「リアリティのダンス」は、
自伝的でありながら、
幻想的という変わった作品。
つまりホドロフスキーは、自分の少年時代をモチーフにしつつ、
随所で現実を作り替えているんですね。
実際にあったことを、
「こうであってほしかったこと」に。
こう書くと、観念の世界に逃避しているようにも聞こえますが、
決してそうではありません。
「事実」と、
「真実」とは、
必ずしもイコールではないからです。
これについては、私の評論集「夢見られた近代」における
「『華氏911』の虚構と現実」
という評論をご覧いただくのが一番良いのですが、
簡単にご説明しましょう。
なお、「夢見られた近代」2008年版に関心のある方はこちらを。
また、8月に刊行されるリミックス増補版に関心のある方はこちらをどうぞ。
事実とは、つまり実際にあったことです。
しかし世の中には、相反する事実も多々存在する。
事実を積み重ねてゆくだけで、世の中が分かるということはないのです。
そのため、
「世の中は本当はこうであるはずだ」
という視点に基づいて、
事実をアレンジすることが必要になってくる。
この視点が、すなわち「真実」なのです。
ホドロフスキーは、事実より真実を優先させたわけですね。
ここでご覧いただきたいのが、このスチール。
(C) photos Pascale Montandon-Jodorowsky
(C) “LE SOLEIL FILMS” CHILE・“CAMERA ONE” FRANCE 2013
少年ホドロフスキーだけがカラーで、残りの人物はモノクロ(しかも等身大の切り抜き写真)になっているでしょう?
「事実」とは、このモノクロの人物のようなものです。
それに意味を与えるのは、われわれ一人ひとりの中にある「真実」。
ホドロフスキーは自分の過去を作り替えることで、
自分の人生の真実を浮かび上がらせようとしているのではないでしょうか。
ではでは♬(^_^)♬