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谷崎潤一郎さんの名作「細雪」を読んでいたところ
面白い言葉(というか漢字)の使い方に出くわしました。
この作品の舞台は昭和前半期ですが
由緒ある家(ただし落ち目)の娘でありながら
30歳になっても独身のままという人物・蒔岡(まきおか)雪子が登場します。
30歳で未婚ぐらい
今なら、どうということもない話。
けれども当時は良家の令嬢にあるまじきことだったのでしょう。
で、その経緯について
こんな記述があるのです。
(雪子は)家名にふさわしい婚家先を望む結果、
初めのうちは降るほどあった縁談を、
どれも物足りないような気がして、断り断りしたものだから、
次第に世間が愛憎をつかして話を持って行く者もなくなり・・・
(新潮文庫版、上巻14ページ。表記を一部変更)
「愛憎」には「あいそ」とルビが振ってあるので
文脈から考えても
「愛想をつかす」という意味で使われているはず。
とはいえ表記は「愛憎をつかす」なんですね。
意味深長だと思いました。
愛想、つまりポジティブな感情がなくなるだけでは
「あいそをつかす」にはならない。
愛のみならず、憎までなくなるのが
本当の「あいそをつかす」。
今後は私もこの表記を使いたくなったくらいです。
ちなみに谷崎さんの文章、呼吸のリズムもじつに素晴らしい。
ひとつひとつの文も、段落も長いのですが
するする頭に入ってきます。
さすがは文豪ですね。
ではでは♬(^_^)♬
5 comments
マゼラン星人二代目 says:
11月 6, 2014
>今後は私もこの表記を使いたくなったくらいです。
いつ、どこで、誰に?
akkatomo says:
11月 6, 2014
愛の反対は憎悪ではなく無関心 by.マザー・テレサ
ロシア帝国 says:
11月 6, 2014
おいマゼラン。今まで好意的なコメントを寄せていた癖に突然手の平返しかよ。まさか佐藤さんが施さんに負けたから礼儀を尽くす必要はなくなったと思ってるんじゃないだろうな。そもそも佐藤さんと施さんは勝負をしていたわけではない。
フルート says:
11月 7, 2014
私(混乱や誤解を生みやすい文章にいつもなっちゃってるんですよね。。)が言えた事ではないという事を痛烈に自覚している所ですのでほんとに恐縮なのですけれども、、でも佐藤先生の最新の論考『日本自立への二つのシナリオ』やそれ以前の論考(「新」日本経済新聞)を読んだ方なら、「佐藤さんが施さんに負けた~」という印象を持たれる方はまずいらっしゃらないのではないでしょうか。。(いえその勿論、私はロシア帝国さんに反発するだとかそういう考えを持っているなんて事は100%無くてですね、むしろ全く同じ目線・同じ立ち位置から今眺めているのではと勝手に解釈させて頂いているのですけど・・でもマゼランさんもきっとお読みになられていると思いますし、それでマゼランさんがそのような認識を持たれたとは私にはちょっと思えなくて・・)その・・さっき「新」日本経済新聞への書き込みを見てきたのですが、もう誤解に誤解が重なってそれで感情的になってしまった方達の罵詈雑言がひどすぎる事になってしまっていて・・。ですので今私たちにできる事は、ただ「日本自立への二つのシナリオ」というこの論考そのものを、一人でも多くの人に見てもらう事ではないかなと思いました。。
どうも失礼致しました。。
マゼラン星人二代目 says:
11月 10, 2014
>おいマゼラン。今まで好意的なコメントを寄せていた癖に突然手の平返しかよ。まさか
>佐藤さんが施さんに負けたから礼儀を尽くす必要はなくなったと思ってるんじゃないだ
>ろうな。そもそも佐藤さんと施さんは勝負をしていたわけではない。
何故、そういう解釈が出てくるのか。理解に苦しむ。
佐藤先生が実際には何に「愛憎を尽かした」のか、を知りたくなった。(何かに愛想を尽かすことなくして、このような文章をものする必然性が感じられない)
それだけのこと。
真面目に応えるのも馬鹿馬鹿しいくらいの言いがかり。