谷崎潤一郎さんの名作「細雪」を読んでいたところ

面白い言葉(というか漢字)の使い方に出くわしました。

 

この作品の舞台は昭和前半期ですが

由緒ある家(ただし落ち目)の娘でありながら

30歳になっても独身のままという人物・蒔岡(まきおか)雪子が登場します。

 

30歳で未婚ぐらい

今なら、どうということもない話。

けれども当時は良家の令嬢にあるまじきことだったのでしょう。

 

で、その経緯について

こんな記述があるのです。

 

(雪子は)家名にふさわしい婚家先を望む結果、

初めのうちは降るほどあった縁談を、

どれも物足りないような気がして、断り断りしたものだから、

次第に世間が愛憎をつかして話を持って行く者もなくなり・・・

(新潮文庫版、上巻14ページ。表記を一部変更)

 

「愛憎」には「あいそ」とルビが振ってあるので

文脈から考えても

「愛想をつかす」という意味で使われているはず。

 

とはいえ表記は「愛憎をつかす」なんですね。

意味深長だと思いました。

 

愛想、つまりポジティブな感情がなくなるだけでは

「あいそをつかす」にはならない。

愛のみならず、憎までなくなるのが

本当の「あいそをつかす」。

 

今後は私もこの表記を使いたくなったくらいです。

 

ちなみに谷崎さんの文章、呼吸のリズムもじつに素晴らしい。

ひとつひとつの文も、段落も長いのですが

するする頭に入ってきます。

 

さすがは文豪ですね。

ではでは♬(^_^)♬