ジョン・F・ケネディの名言に、こんなものがあります。
HE WHO HAS CHILDREN GIVES HOSTAGES TO FORTUNE.
子どもを持つとは、運命に人質を与えるということだ。
子どもは未来に生きる。
しかるに未来のあり方は、
現在の世代の努力によってある程度はコントロールできるとはいえ、
最終的には運命に任せるしかないもの。
マキャベリも国の命運を論じる際、
ヴィルトゥ(徳、力量)と並んで
フォルトゥナ(運命)の概念を重視しました。
しかしそうなると
子どもを持つ者は誰であれ
この子が幸せに生きられるかどうかは、最終的には運命次第だ
という真実を受け入れざるをえない。
ケネディはこれを「運命に人質を与える」と形容したのです。
逆に言えば、いかなる親も
運命に対抗しうるものとしてのヴィルトゥを
自分がどれくらい持ち合わせているのか
子どもからつねに問われていることになるでしょう。
さて。
千葉県野田市の小学生、
栗原心愛(みあ)さんの死をきっかけに
わが国では目下、児童虐待が大きな関心を呼んでいます。
8日には政府が関係閣僚会議を開きました。
安倍総理いわく
幼い命を守れなかったことは悔やんでも悔やみきれない。
子どもの命を守ることを最優先にあらゆる手段を尽くす
というわけで、
以下の対策が決まることに。
児童相談所が在宅で指導しているすべての虐待事案に関し、1か月以内に子どもの安全を確認する。
全国の公立小中学校と教育委員会は、虐待が疑われる事案を1か月かけて点検。
保護者が虐待を認めなかったり、転居を繰り返して関係機関との関わりを避けたりする場合には、
躊躇(ちゅうちょ)せず一時保護や立ち入り調査を行う。
さらに虐待(の疑い)をめぐる通報や、虐待を訴える資料については
通告元は一切明かさない、資料は一切見せない
というルールをつくるとのこと。
保護者が資料開示などを威圧的に要求する場合には、
学校や教委が児相や警察と連携して対処することも
ルール化するそうです。
10歳の少女が、両親から虐待を受けた果てに死んでしまうというのは
なんとも痛ましい話です。
安倍総理ならずとも、あらゆる手段を尽くして根絶する! と言いたくなるところ。
ただし、感情論で政策を決めていいかどうかは別の話。
上記の対策をよくご覧下さい。
・通告元は一切明かさない、資料は一切見せない。
・保護者が資料開示などを威圧的に要求する場合には、
学校や教委が児相や警察と連携して対処する。
これはつまり
虐待(の疑い)について密告があれば、
根拠を何ら明かさず、子どもを親から引き離してよい。
親が抗議したら、警察を使って実力で追い払う。
ということではないのか。
のみならず、
通告元を一切明かす必要もなければ、
資料も見せなくてよいのであれば
虐待(の疑い)をめぐる通報なるものを捏造することも容易なはず。
親が虐待を認めなかったり、転居を繰り返して関係機関との関わりを避けたりする場合には、
躊躇(ちゅうちょ)せず一時保護や立ち入り調査を行う
という方針にいたっては
居住・移転の自由を定めた日本国憲法第22条や、
住居の不可侵を定めた同第35条に違反する恐れすらあります。
児童虐待根絶のためなら
密告も正当化されるし、
憲法違反の疑いがあろうと
根拠を示すことなく住居に立ち入って子どもを親から引き離してもいい、
果たしてこの発想は正しいか?
これは要するに、
運命ならぬ行政ならば子どもを人質に取ってもいい
ということですよ。
そこまで強硬にやらなければ救えない命もあるに違いない。
しかし権威主義国や全体主義国の政府が
まさにこのような手を使って
自分たちに反対する人々を抑圧してきたのも事実。
旧ソ連で用いられた表現にならえば「愛情による人心掌握」というやつです。
そしてルールをつくる際には
悪用されたらどうなるかについて考慮するのが絶対条件。
断っておけば
安倍総理はじめ、現在の政府関係者が
栗原心愛さんの事件を政治的に利用したがっているなどとは
私は思っておりませんよ。
少なくとも主観的には、児童虐待を根絶したい一心なのでしょう。
しかし、いくら正義感に基づいていようと
悪用されるリスクが十分に想定されるルールを
その点についてロクに考慮することなく決めてしまうのは
政治のあり方として賢いとは言えないのです。
「善意の積み重ねが、ときに巨大な悪意を生み出すこともある」(※)松田政男の言葉です。
賢い政治のあり方について知るにはこちら!
じゃあ、どうするんだ?
虐待を放置しておけというのか?
・・・そろそろ、そう言いたくなった方もいるでしょう。
むろん私も、
児童虐待は可能なかぎり阻止されねばならない
と思います。
わが国での虐待件数
(正確には、全国児童相談所における虐待相談件数)は
2012年度から2017年度にいたる5年間で倍増。
厚生労働省によれば、
統計を取り始めた1990年度から27年連続で増加しています。
「ちょっと、この統計は信用していいんでしょうね」(※)個人の感想です。
しかしそれは
国民の自由をできるだけ保障する形でなされるのが望ましい。
行政が強硬な対応に出るまでもなく、そもそも虐待が起きない
というのが、一番いいに決まっているんですからね。
では、そのためにはどうすべきか。
総理は9日、
現在は3200人の児童福祉司を
2022年度までに5000人とする意向を表明しました。
しかしこれも、以下の理由で十分ではありません。
1)5000人になったところで、増加率は4年で60%。
虐待件数は6年で100%増なのだから、
児童福祉司一人あたりの負担は「良くて同じ、悪ければ増加」となる。
2)10年以上の勤務経験があるベテラン児童福祉司は
なんと全体の16%しかいない。
しかも別部署への異動(地方公務員なので)も多いし、
ストレスに耐えかねたあげく退職する福祉司もいる。
頭数をそろえるだけでは、これらの問題は解決しない。
3)児童虐待の最善の解決法は、そもそも虐待が起きないようにすること。
福祉司を増やすというのは、虐待増加は防げないことを前提にしており、
その意味で後手に回った発想である。
国連の子どもの権利委員会も
政府にたいし、
児童虐待への対応強化を勧告していますが、
これも加害者への罰則強化や
子どもが被害を訴えやすいシステムの構築など
対処療法的な提言にとどまっています。
ならば、より抜本的な解決策はないか?
あります。
つまりこちら。
1)積極財政によってデフレ不況から脱却する。
2)財政均衡主義を否定する。
冒頭で展開した、ケネディの言葉をめぐる話を思い出して下さい。
「運命の人質」たる子どもは
われわれが運命に立ち向かう力量、
すなわちヴィルトゥをどれだけ持っているかを
たえず問いかけている存在です。
しかるに過去30年間、
わが国のたどったフォルトゥナ(運命)は
良くて低迷、悪ければ衰退、
そして全体的な貧困化!!
ならば親の中で
子どもが自分のヴィルトゥのなさを暗黙のうちに非難している
と感じる者が増えたとしても
何ら不思議はありません。
いわば虐待に走る親は
子どもを痛めつけることで
運命にたいしてせめてもの逆襲を試みる、
ないしそのつもりになっているのかも知れないのです。
「運命の人質」である以上、
子どもはある意味、運命の側に立っているんですからね。
心愛さんの父親である栗原勇一郎容疑者が
逮捕されたあとも
悪いことをしたとは思っていない
と、自分のヴィルトゥ(徳)を強調しているのは
関連して象徴的。
児童虐待に関する著書のある
ルポライターの杉山春さんもこう述べています。
日本の社会は特に男性たちに対して、
存在を否定するようなマイナスの突き上げが強く、
DVも虐待も顕在化しています。
恥や屈辱といった感情を抑え込めず、
自分の正しさを証明しようとすることで、
暴力をふるい、困窮をし、
転居、転職、転校を繰り返すようなケースは
今後さらに増えるのではないでしょうか。
このままでは子どもなど家族の中でも一番弱いところに
被害が出てしまうと危惧しています。
これらの事件は社会の縮図のように感じます。
厚生労働省が児童虐待の統計を取り始めた1990年など、
バブルが崩壊した年ではありませんか。
「バカが、だから言っただろうに」(※)個人の感想です。
すなわち積極財政によってデフレ不況から脱却することは
衰退・没落というフォルトゥナにたいして立ち向かうヴィルトゥを
現在の大人が持っていると示す意味合いを持つ。
ついでに景気回復によって貧困化にブレーキがかかれば
個々の親にしても、もっと自己肯定感が持てる。
つまりは自分のヴィルトゥに自信が持てるわけです。
だいたい『平和主義は貧困への道』の第二章でも論じたように
戦後日本型の平和主義は
政府(の永続性)を否定しようとするあまり
家庭も否定するにいたった。
ついでに財政均衡主義のもとでは
政府の負債は「国の借金」であり、
次の世代へのツケと見なされる。
けれどもこれをなくす方法は、じつは二つあるんですね。
1)緊縮財政や増税によって、政府の負債をとにかく減らす。
2)引き継ぐ者のいない負債は消滅するので、次の世代が存在しないようにする。
「ほらね、この本は真理そのものなのよ」(※)お姉さまのお言葉です。
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ならば、
平和主義に固執したうえ
繁栄が維持できなくなり
そのうえ政府の負債までたまった現在のわが国で
児童虐待が急増するのは、まったく自然のなりゆきなのです!
平和主義は子殺しへの道!!
平和主義やめますか?
それとも、子どもを殺しますか?
われわれが直面しているのは、そういう選択なのです。
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ではでは♬(^_^)♬
12 comments
SunBurst says:
2月 10, 2019
この記事大いに同感します。
>すなわち積極財政によってデフレ不況から脱却することは
>衰退・没落というフォルトゥナにたいして立ち向かうヴィルトゥを
>現在の大人が持っていると示す意味合いを持つ。
特にここ。
けど、緊縮脳の奴らも、「将来世代に負担を押し付けるのか」みたいなレトリックが大好きで、
よく使ってますよね。それ自体間違っていても、まかり通っている事に恐怖を感じます。
安治 says:
2月 10, 2019
他のブログで健康の話題について一番の健康法は真っ当な政治をやる事で国民が豊かに暮らせるようになる事だと書き込みしたことがあるのですが、まさに佐藤さんが指摘する財政法第四条による緊縮財政が貧困化を生み、世の大人達を心の病にさせているから、こういう児童虐待が起きるのだろうと私は思います
ハッキリ言って児童虐待なんてよほど変態でもなければ好き好んでやる人はいないと思いますし、それをやるということは病気といってよく、児童保護より親を保護する方が先ではないでしょうか
貧困化もそうですが、デジタルファーストの話題でも触れた無駄を無くすという事ばかりで無駄を楽しむ余裕がなく、そうして精神的に疲弊している状態で子育てしようとすれば正常でいられなくなるのは当たり前です
世の大人達を狂わしているのは貧困化より無駄を省いて人生を豊かにできずにいることによる心の余裕をなくしていることの方が大きいとのではないかと考えています
そういう根本的なことから解決していかないと駄目なのだけれど、だからといって今起きている児童虐待を無視することはできないので、安倍総理があれこれ対策を講じるのは結構なのですが、やはり根本の問題を見ないまま無理に解決しようとしても佐藤さんがおっしゃる新左翼的発想になるとはこのことですね
悪く言えば親を密告すれば子供を誘拐することができると言っているようなもので、完全に家族を分断するようなかつて支那がやったような文革ほどではないにしろ、似たような発想で問題を解決するようなもので、逆に子供にとって大事な躾がまったくできなくなり、我儘勝手な子供を量産するだけだと思います
そんな子供が将来社会に出たら恐ろしいことになることぐらい誰でも分かります
子供よりまずは親からであり、その親達の心の病を取り除いてやることこそ本当の意味で児童虐待を無くす道だと思います
安治 says:
2月 10, 2019
もう一つ児童虐待の原因として考えられるのは子供を私物化しようとしすぎることも大きな要因ではないかと私は思います
そうなると子供を躾と称して思い通りに操ろうとして、思い通りにならないとイライラして感情的に叩いてしまい、結果虐待へと発展してしまうというケースは少なくないはずです
子供は思い通りにならないのは当たり前であり、まして親の所有物なんかではなく、もちろん躾は大事ですが、天からの授かりものとして大事に育て、後のことは運命に任すのが筋のはずですが、私物化が虐待だけでなく過剰な過保護にも繋がっていると思います
要は子供より自分可愛さであり、本当に子供が大事であるなら、見守ることの方が大事なはずです
じゃあ子供が事故にあったらどうするんだとか、ほっといて事件に巻き込まれたらどうするんだとか、過剰にヒステリックになる親が多くなっていると思いますが、これも無駄をなくそうとして心の余裕をなくして知らずの内に考え方が新左翼的になっているためで、その余裕のなさが結局逆効果となり虐待を生む根本要因になっているということにいい加減気付かないといつまでたっても同じ事の繰り返しだと思います
児童虐待だけでなくパワハラやモラハラも言ってみれば大人虐待も同然で、児童虐待は社会の写し鏡なんですよ
心の余裕を取り戻す意味で財政法第四条の改正はもちろん大事ですが、明治維新を再評価することで復古していくことも大事ではないかと私は考えています
しろくま says:
2月 10, 2019
佐藤さんの意見に同感です。というか安倍総理や安倍政権は厚生労働省の統計不正や
森友問題などや増税問題など入管法改正などのロクな議論もせずに決めてしまう事とか総合的に考えると
安倍総理の思い付きの法案はろくな事にならないなと思ってます。
それに親と子供の関係性を単なる政治的に利用しないで貰いたいと思います
個人的な考えですがこの少子化の中、子供を持った作っただけでも素晴らしいじゃないかという
ある種の親への肯定感が無いとヴィルトゥも持てないでしょうと思います
なので単なる両親が悪い極悪だ!といって片付けるような事で問題を解決しようとはしないで貰いたなと思います。
あそたか says:
2月 11, 2019
障害者が~!女性が~!朝鮮の方々が~!・・・などの場合と同様、子供が~!というキャッチフレーズが叫ばれれば、明らに間違っている事に対しても、いつもの如く何の思考も致さない国会議員さんたち(政治業者)によってショックドクトリン的に進んでしまうのでしょうか。国の未来よりも業界の利益の方が大事なので、当然の成り行きかもしれませんが。
密告があれば強制介入して子供を拉致できる権限を与えるなどと、どこぞの秘密警察のような組織をつくるつもりでしょうか。昨今、民主党政権交代のような悪夢だけは云々言っている御仁がいますが、仲間割れでしょうかね。自民派と元民主派で、どちらがさきに日本を破壊するかを競っているかのようです。
それにしても反日「ジャップ」政権は恐ろしいです。悉く日本人に対して牙をむくことを法律化していきますね。
異常なデフレ維持政策を止めることに全力を注ぐことが現在日本のとるべき唯一の道でしょうね。佐藤さんご指摘の財政法について言及するほうがはるかに有効です。
心ある人たちだけでも、正論を言い続けましょう。
GUY FAWKES says:
2月 11, 2019
今回、佐藤先生が児童虐待について取り上げられたことは難しい話を身近に寄り添わせ、本質を浮かび上がらせる重要な指摘です。
個人的に私はこれを「諸問題の日常化アプローチ」と呼んでいます(拙い造語を失敬します)
これは声の大きい不特定多数の存在が叫んでいるだけかもしれませんが、
昨今何かと一つの事件・事案がセンセーショナルに報じられると「厳罰化だ!強権を持って排せ!」とばかり叫ばれます。
それもこの手の主張は所謂・保守層と呼ばれる方々に多い、
代表的なのは未成年を取り巻く環境への批判に絡めた少年法廃止・少年犯罪凶悪化論。
しかしながら、少年犯罪の刑法犯(所謂・凶悪犯罪を含めた実刑クラスの犯罪者)は
事実上の昭和最後の年である1988年以降、ずっと減少傾向にあります。
(尤も、それこそ昨今の統計操作疑惑からすればこれにも嫌疑がかけられる可能性がありますが…)
>国民の自由をできるだけ保障する形でなされるのが望ましい。行政が強硬な対応に出るまでもなく、そもそも虐待が起きないというのが、一番いいに決まっているんですからね。
>ならば、より抜本的な解決策はないか?あります。つまりこちら。
1)積極財政によってデフレ不況から脱却する。
2)財政均衡主義を否定する。
話が少し逸れた様ですが、私が申し上げたい点は「結果としての犯罪や虐待がある前提で、
且つそれを後手後手に対処ないしは処罰することだけに注力しないでください」ということです。
例えば、佐藤先生が今回引用された杉山さんが寄稿されているAERAの記事のコメント欄にも
「父親が精神的異常者だっただけ」「警察を介入させて引き離すしかない」「行政権限の強化で救済を」
という意見が随分と多くの支持を集めております。
無論それが全て、とも決めつけませんし、個人的要因を無視すべきとも思いません。
ですが、児童虐待に話を戻せば全ての虐待加害者が精神異常者だからで済ませることはできません。
異常、とは常々から異なる故にその意味であり、全員が特異な存在なら異常なんて言葉は存在しない筈。
こうした少年犯罪の実情に苦言を呈しながら事実と異なる主張を繰り返したり、
痛ましい虐待について被害者を出さない根本的な考えよりも只管に加害者に厳罰を唱える流れはおかしい。
両者に言えることとして、そもそも事に及ばせない様にしなければ被害者が出る大前提は覆らないのです。
ここにも、認知的不協和と保守主義の欠如による「敵がいてくれないと死ぬ病」と狂気の改革思想が見出せると思います。
豆腐メンタル says:
2月 11, 2019
敵がいてくれないと死ぬ病の患者さんて、本来の対策や提案や意見とは程遠い”炎上”なんですよね。当事者なんかではなく傍観者。安全地帯から石を投げているようなものでいじめと同根。なんかキリストの説話みたいですが。
そんなことを大人らしき人達が喜々として大騒ぎするんですから子どもには相当な悪影響があるでしょうね。
一言、腐ってるねと伝えてあげたい。
しろくま says:
2月 11, 2019
狂気の改革思想ですね。もっと言えば自分で自分の首を絞める事を積極的に推し進めてる事に気付いてない
緊縮財政も国民や庶民の生活を苦しくさせるのにむしろそれを積極的に勧める事が正しい事だ庶民にとっても
プラスだと考えてしまう。今回の事も普段少子化で大変だと言いながら一層子供を持った両親や子供を作ろうとする男女を追い詰めるような事を作る方が面倒になりそうな事を是としてしまう。どっちも庶民や一般人を苦しくすることなのにそれを是と考えてしまうのは狂気意外何物でもないです。
豆腐メンタル says:
2月 11, 2019
戦後日本の力量は財力のみに成り下がっております。
生命の営みへの冒涜とも言えますね。
福岡ワマツ says:
2月 11, 2019
たとえ善意から生まれた言動であったとしても、それが生き地獄を生み、人を死なせることがあるのですね。
悲しむべきは、我々人間の理性の愚かしさでしょうか。
汎損・フォード says:
2月 13, 2019
積極財政実施と財政均衡破棄にしか解決手段が無いことを発言し続ける人達を佐藤氏界隈にしか知りません。
真実?はスカッとスッキリなのに、中央政府、メディアは事実?を複雑にややこしく膿出し続けて行くばかり。
失礼しました。
ひいらぎちら says:
2月 14, 2019
初めてコメント失礼します。
コブラ効果が怖いです。
「捕食者なき世界」「ねずみに支配された島」(William Stolzenburg)という本にある、仲間と仲良く暮らしていたのに食糧難によっていがみ合いながら餓死してしまうアカホエザルを思い出しました。
せめて本来持っている特性くらい潰されずに生きたいものです。人間も。
弱者はいう態度で生きていけばよいのでしょうね。