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わが悪友にして
自称・反日工作員の黎夢諾が、
ちょっと書かせろと言ってきました。
どうぞ。
ウイルスEM22の話を知っているか?
1960年代にCIAが開発を始めたとされるもので、
正式名称は EXTREMIZINE-22。
エクストリマイジンと読む。
EM22に感染すると
脳の神経系統が変異を起こす。
作用は以下の通り。
1)不安が強まり、つねに鬱状態になる。
2)あらゆる刺激が、実際よりも過大に認識される。
3)付随して幻覚・幻聴が発生する。
つまり、このウイルスに感染した者は
現実を正しく認識することができなくなり、
空想的で極端な考えしか持てなくなるのだ!
エクストリマイジンという名がついたのも
当然のことだろう。
(注:「極端にさせるもの」と解釈できるので)
ちなみに感染者は
オドオド怯えつつも
何かに怒らずにはいられなくなる
とされている。
EM22については
真偽定かならぬ情報しか存在しておらず、
長らく実在が疑われてきた。
じつを言えば、
今なお存在の確証はない。
生物兵器のSTAP細胞と呼ぶものすらいる。
とはいえ、いわゆる陰謀説の中では
リアリティを持ったものの部類に属するだろう。
ご参考までに。
・・・とのことでした。
夢諾の言うことですから
額面通り受け取らない方がいいと思いますが、
100%否定しきれるかどうかも
微妙なところではないでしょうか?
ではでは♬(^_^)♬
3 comments
akkatomo says:
4月 14, 2015
つまりウイルス性のアル中、重度二日酔いという訳ですね。
フルート says:
4月 14, 2015
討論とても勉強になりました!(しかしパネリストの論の中には、逆に反面教師として勉強になってしまう様な論もありましたけど・・)
私は田中教授のPart2でのご主張が、特に変だなと思いました。
田中教授は・・・
1)「日本人は言葉の嘘って事を知っている民族」
2)「だから共産主義にもならなかった」
3)「このならないという所に、ある意味での潜在的な所のいわゆるそれ自体が、やはり一つの大きな見解であって、で、それは日本人が常に未だにそういう事を維持しているのは、ともあれ自民党がずっとですね、一度民主党になりましたけど二度の安倍政権の勝利ではっきりみんな判った」
のだとお話しになりました。
おそらく田中教授が話されたかった事は、言葉の存在を超えた普遍的なる存在・言葉の存在を超えて人々を繋ぎとめる規範性の存在と、解釈する事の重要性・並びに危険性(これはPart1でのご主張でしたが)のお話しですよね?しかしそうならなおの事、その存在の証明は解釈だけで済まされて良いものではない筈です。現象を上手く説明する事すらできない様な解釈をしただけで証明がされたと解釈するのはそれこそ危険な解釈です。「二度の安倍政権の勝利ではっきりみんな判ったと思う」の勝利とは一体どんな勝利なのか、みんなとはどこまで範囲を拡げて解釈されたみんななのか、私は田中教授の論と在り方に未熟さを感じました。未熟さを直視できないから・弱いから失敗もするし、人(ユダヤや共産主義者などなど)のせいにもするんだと思いました。
次回の討論も楽しみに待っております!頑張って下さい!(解釈ではなく実践によって正しさの証明をするのなら、応援するだけじゃなくて、自分も勉強して頑張れという事ですけども)!
フルート says:
4月 18, 2015
すみません。。上の私の書き込みなのですが..今読み返してみましたら.真逆にも読めて終う事に気付きました..。詰り…
1)自民党へと投票した有権者は、本当に『言葉の嘘』を見抜いていたのか?また今も見抜いていると言えるのか?
2)1が真だとしても、教授の主張する日本人の潜在性とは、日本が共産主義国やキリスト教国(※キリスト教国の事も教授は挙げられておりましたので・・)にならなかった事、ただその事だけで、説明が済んで終う種類のものなのか?
田中教授は、どんなに少なくとも、1と2の疑問へ(あとできれば、もちろん、どう考えても表層の問題などで済んでいる筈のないTPPの問題についても)答えなければいけない筈だと、そう思って書き込んだのですけど..私の先日の書き方だと…
(I)『現象を上手く説明する事すらできない様な解釈をしただけで、(ある存在の)証明がされたと解釈するのは、それこそ危険な解釈です』
を行う主体が、もし田中教授ではなく、全く別の主体、例えば子供に(I)の考え方が宛がわれて、これが肯定もされるのだと解釈した場合・・とんでもない事になっちゃいます・・。(例えば大人が子供をお祭りに連れて行って、神さまであったり共同体の大切さを教えようとしたとします。その時、その子が主体となって「現象を上手く説明する事すらできない様な解釈をしただけで証明がされたと解釈するのはそれこそ危険な解釈だ」と言って、自分より大きな存在、自分より尊かったり自分より美しかったり、自分よりいとおしいものの存在についても一切受け付けない・・事が良い事になったら、かなりヤバイです。。)
しかも大まかに言って子供よりずっと何かを教えなければならない側である大人であっても・・自分にとって都合の悪い事、例えば自分の至らなさを自分に直面させる何か・・についてまで(I)の考え方を適用させても良いのだとした場合、これも大変な事になって終います・・。自分にとって都合の悪い存在についての認識を自分がしないだけで、自分にとって都合の悪い存在は存在しない事になって終います・・。私が伝えたいと考えていた事と完全に逆になって終っています・・。
あくまで「それは表面の話だ。潜在的な話ではない。」の一点張りを貫き通しそうな田中教授に対して、私は、ユダヤとか共産主義思想とか、自分が敵と見做している存在に自分の方からよりかかったりせず、敵ではなくて自分の至らなさについてもしっかり疑って欲しい。田中教授の方こそ自主性や自立心を見せて欲しい。。という考えから書いたつもりの文章だったのですけれど..かなり未熟な説明でした・・。すみません。。以後できるだけ同じ様な失敗はしない様に気を付けます。。(また長文もすみませんでした。。)