昨日に続いて、黎夢諾がコメントします。

 

架空の女性法王をめぐる話は

バラク・オバマ以外にも、さまざまな事例に応用可能だと思う。

 

かりにヒラリー・クリントンが

2016年、アメリカ史上初の女性大統領になったとしても、

同じことが言えるのではないか?

 

韓国の女性大統領など、

父親と比べても、いろいろな意味で後退しているとしか思えないところがある。

 

この国でも、事情は大同小異ではないのか。

たとえばマツコ・デラックスはこんなことを言っているぞ。

「男の世界に合わせられる女の人じゃないと平等には結局ならないもんね。

女の感性のままで勝負しようと思ったら、相当無理だよ」

 

「これまでは男の人の基準に女の人を合わせることが平等だった」

 

「『男がしてることもしていいよ女も』っていう男女平等だった」

 

女性政治家についてのマツコの発言も、厳しいというか鋭い。

「スカート履いてるだけで、中身は男じゃん」

 

発言が紹介された記事をご覧になりたい方はこちらをクリック。

 

しかしオレに言わせれば、

事態はマツコが考えるより、さらに悪いのかも知れない。

 

本当に「スカート履いてるだけで中身は男」なら、

少なくとも男より因習的とか、

目上の男の指示にたいし男より従順、ということはないわけだ。

 

だが「スカート履いてる」ことが、

表向きプラスの要因に見えて、

じつはマイナス要因だったらどうなるかね。

 

もともと男じゃないんだから、

男の世界に合わせる度合いも、

男以上でなければ、という話になるだろう。

 

となると、社会の指導的な地位に女性がつくことは

何らかの「変化」をもたらすかに見えて、

むしろ変化を阻害する、ということも考えられる。

 

それをひそかな目的として、女性を抜擢する男だっているだろう。

「今や女性の時代です。世の流れが変わらなければ」と言いつつ、

まさにそのことによって、男社会を維持する次第。

 

断っておくが、オレは女性の社会進出に文句をつけているのではない。

「男以上に、男の基準に合わせること」が

ひそかな進出の条件となっているのであれば、

うわべだけのものにすぎまいと言っているのだ。

 

マツコ・デラックスは、

「女の人が男になろうって無理をせずに、

男と同じ権利が与えられる世の中にならないと、

ほんとの平等じゃない」

と力説したそうだが、

もっともな話じゃないか。

 

・・・だいたい女が男になったら、少子化は絶対に解決しないぞ。

 

とのことでした。

ではでは♬(^_^)♬