歴史における決定的瞬間というものは、
じつは二種類あります。
第一は、国や社会に巨大な影響を与える事件が起きた瞬間。
これは分かりやすいですね。
ところが第二の決定的瞬間はもっと微妙。
すなわち、
〈第一の意味における決定的瞬間〉の到来が不可避になる瞬間
なのです。
こちらの意味における決定的瞬間は、
何気にさりげないというか、
あんがい目立たなかったりする。
けれども、その瞬間を通り過ぎたあとは
もはや引き返せないのです。
アメリカの作家ウィリアム・W・ウッドワードが
ジョージ・ワシントンの評伝において用いた表現を借りれば以下の通り。
真の危機というものは、
どうでもいい出来事のようにしか見えない場合が多く、
ゆえにしばしば、危機と認識されることなく終わってしまう。
さて。
今日は大阪都構想をめぐる住民投票の日です。
多くの方々が指摘されている通り、
構想が可決された場合、
それは大阪市にとって
第一の意味における「決定的瞬間」となるでしょう。
しかし日本全体にとっても
第二の意味における「決定的瞬間」となる可能性が高い。
なぜか?
「大阪都構想とフランス革命」で述べたように、
今回の住民投票は
〈理屈の上ではやって構わないが、道義的な制約を考えた場合、実際にはやってはいけないこと〉
に該当する恐れが強いのです。
しかも、いったん可決されたら後戻りができない。
つまりは
人々の支持さえ得られれば
〈正当性が疑わしく、かつ取り返しのつかない選択〉をしてもよい
という前例が生まれることになる。
大阪に住んでいないから関係ない、ではすまされませんよ、これは。
三橋貴明さんは昨日のブログで
住民投票で賛成多数となった場合、その先の日本はどうなるのか
という趣旨のことを書かれましたが、
まさに今日は、二重の意味で「決定的瞬間」となるかも知れません。
大阪市民のみなさんが、賢明な選択をすることを期待しましょう。
ではでは♬(^_^)♬
6 comments
tamaleah says:
5月 17, 2015
フランス革命に準えた場合、關がルイ16世であり、平松はロベスピエール、橋下はナポレオンなのかと見ている(關は在任中に市営地下鉄の民営化をやろうとして、自公市議や市OBの反発を招いて失脚しているし、平松は職員給与・職員数の削減という形の処刑を進めている。そんな中で革命を志向する大阪市民が選んだのが戦争ならぬ選挙の才能に恵まれた橋下なのだろう)。
今回の自共連合が第6次?対仏大同盟くらいの頃とすると、今後、どうなるかは分からないが、逆反動としての王政復古(助役の市長就任)があり、おそらくは新自由主義的な7月王政を抜けて2月革命(労働者革命)へと繋がるのかも知れない。
遅れて来たフランス革命の結末やいかに。
buttmedd says:
5月 17, 2015
心底悔いているのでよく覚えていますが、小泉郵政選挙の際「既得権益を打破しなければ
ニッポンの未来はない」という文言を見ない聞かない日はなかった。
大阪都構想に賛成する多くの人たちが小泉の時とまったく同じことを叫んでいます。
「勤勉なバカほど傍迷惑なものはない」と言ったホルストガイヤーのことばが思い浮かび、
瞬間、胸の古傷がちくりと痛みました。
既得権益を打破してその後いったい何が起こったか。代わりに誰が既得権益を握ったか。
打破を口にしてきた我々がその権益にいま預かっているのか。
胡乱な正義で地ならしに加担するのはもうたくさん。非力は免罪符になりません。
きょうのエントリーはいつにも増して納得、そして身に沁みました。
akkatomo says:
5月 17, 2015
ここを進めば人間世界の悲惨、引きて戻れば過酷な明日
賽は投げられた
jane doe says:
5月 17, 2015
ゴルゴ13でどこかの部族の長老が「死より怖いのは死の予感だ」と言うシーンを思い出しました。
SATOKENJI says:
5月 17, 2015
「死ぬのは怖くない。だけど死ぬとき、その場に居合わせたくはないね」(ウディ・アレン)
widelogy says:
5月 17, 2015
「正しいこととは、表面上どこまでも地味なのだ」という常識が失われた社会は、滅びの運命から逃れられないのですね。