イスラム国が行った
モアズ・カサスベ中尉の殺害について、
作家の高橋源一郎さんが2月7日にこんなツイートをしていました。
パイロット焼殺動画を(少しだけ)見た。
ある映画監督は彼らの動画に「ハリウッド映画の文法がある」と思えると言った。
ぼくにも、そこにある種の「審美眼」あるいは美意識さえあるように思えた。
これは非常に面白い指摘です。
というのも、おなじみジャン=リュック・ゴダールは、
こう語ったことがあるのです。
一つの美学的な態度決定は
最終的には一つの政治的な態度決定に対応する。
平たく言い直せばこうなります。
ハリウッド映画のスタイルで映像をつくることは、
「自分たちもアメリカのようになりたい」という意思表示である。
ならばイスラム国は、
アメリカを目の敵にしているようでありながら
じつはアメリカになりたがっていることになります。
しかも注目されるのは、
くだんのパイロット殺害への報復として
ヨルダンが空爆を行ったとき、
アブドラ国王がみずから、戦闘機に乗り込んで先陣を切るという報道がなされたこと。
KADOKAWAのメルマガ「踊る天下国家」でも書きましたが、
1996年に大ヒットしたハリウッドのSF映画
「インデペンデンス・デイ」では、
人類を滅ぼそうとするエイリアンにたいし、
アメリカ大統領がみずから、戦闘機に乗り込んで先陣を切るという描写があったのです。
「一つの美学的な態度決定は
最終的には一つの政治的な態度決定に対応する」 という
ゴダールの言葉が正しいとすれば、
イスラム国とヨルダンは、ともにアメリカのようになりたがっているのです!
こう考えるときテロの問題は、
ゴダール映画の題名ではありませんが
まさしく「メイド・イン・USA」(=アメリカ製)になります。
そしてイスラム国が、
「テロとの戦い」の一環としてアメリカが行った
イラク戦争をきっかけに生まれたのを思えば、
これは単なる比喩ではありません。
かかる状況において
日本は一体、どうすべきなのか?
明確な答えはありません。
しかし「テロはメイド・イン・USA」という点を直視しないかぎり、
私たちは答えへの糸口すらつかめないでしょう。
「テロに屈しない」とか
「テロを許さない」と叫ぶだけで、
毅然とした態度を取ったなどと構えるのは
まったくの自己欺瞞なのです。
というわけで、あらためてこちらをどうぞ。
なお美学的な意思決定と
政治的な意思決定の関連性については、
この本で詳しく論じました。
ではでは♬(^_^)♬