<お読みになる前に>

この記事は、

7月24日に配信した「政治思想は髪型で決まる?」の続きです。

私を批判した方の文章をめぐる分析ですが、

その方「ベッラさん」からはすでに丁重な謝罪のコメントをいただきました。

 

ただしこの記事には、

戦後日本の文化史をめぐる

面白いディテールが盛り込まれています。

これを知っていただくことは、

保守のあり方を考えるうえで有益だと思いますので、

あえてアップいたします。

 

したがってみなさんには、

以下の内容はベッラさんへの批判を意図したものではなく、

政治的な立場をめぐるイメージが

どのように形成されてゆくかという点を分析するためのものである

ことをご理解いただいたうえ、

お読み下さるようお願い申し上げます。

 

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長い髪を束ねたのも、

ダンスを披露するのも、

「反権力」をうたう左派の闘士

似たところがある、

とまで思ってしまう。

 

「闘士」は原文では「闘志」でしたが、明らかな誤記なので直してあります。

 

昨夜はこの文の一行目について

問題点を指摘したわけですが、

ここでは二行目行きましょう。

 

問題点はこちら!

 

2)この人にとって、

政治的な立場は

ダンスができるかどうかで決まるらしい。

 

まず断っておきますけど、

左翼の連中が、そうそう踊れるかどうかは知りませんよ。

全然、身体が動かない人だっているかも知れない。

 

しかし、そんなことは問題ではありません。

 

ダンスができるかどうかと、

どんな政治的な立場を取るかの間に、

一体、いかなる関係があるんですかね?!

 

・・・というのは、

ちょっと意地悪な反応。

 

「男の長髪=反体制」という

古色蒼然たる図式を、

この方が今なお信じておられるところから見て、

「ダンスができる=左翼」という図式を

なぜ信じるにいたったのか、

だいたいの見当はつきます。

 

1950年代後半、

武装革命路線を撤回した日本共産党は、

「歌と踊りの大衆路線」

なるものを推進しました。

 

早い話、女の子を連れてきて、

反戦歌など歌いつつダンスを楽しむのが

革命への道・・・ということになったのです。

冗談みたいな話ですが、まったくの事実。

 

たぶんこの方、

当時のことを覚えていらっしゃるのでしょう。

 

しかし「ダンスができる=左翼」という発想のナンセンスぶりについては、

大島渚監督(この人も左翼ですが、日本共産党には批判的な立場を取っていました)の映画

「日本の夜と霧」に登場した、

この台詞を紹介するだけで十分です。

いわく、

 

「歌と踊りが、

革命とどういう関係があるんだ。

ロシアやスイスの民謡を

女の子と歌うことが、

革命と何のかかわりがある!」

 

異議な〜し!!

 

「日本の夜と霧」って、1960年の映画ですよ。

その時点で、左翼内部からさえ批判されていた発想を、

保守を自認される方が、今なお抱え込んでいたりするんですね。

 

日本の文化が左翼主導と言われるのは、

保守がいちばんの左翼だからじゃないですか?(笑)

 

だから Saya さんみたいに

保守系で歌える人は貴重なのですよ。

できればダンスもマスターしてほしいと願っているところです。

ステージがいっそう華やかになりますからね。

 

ではでは♬(^_^)♬