『平和主義は貧困への道 または対米従属の爽快な末路』のカバー画像、

おかげさまで、たくさんの反響をいただいています。

 

担当デザイナーのHさんも、

「冥利に尽きる」と言っておりますよ。

 

COVER+OBI

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その中から

ヤン・ウェンリー命さんのコメントをご紹介。

 

気になりすぎます。

ぱっと見たときの第一印象は「(゚Д゚≡゚Д゚)?」でした(笑)

インパクトが半端ないです。

 

で、一日たって冷静になってからもう一度見てみました。

そうするとどうやら背景の旭日旗らしい模様は薄れ、沈みかけていて、

大きな女性の後ろにはコスモポリタン的な風景があり、

なんだか「最先端で最新鋭でスタイリッシュな女性」が前面にドドンと。

右側の橋の下は多分、震災かなにかの傷跡でしょうか。

 

なんとなく、なんとなくですが意味するところがわかってきたような?

これはもう、読むしかないです。

 

そうでしょう?

もはや読むしかないんですよ。

 

ちなみに私はあのカバーを

「愛と希望的観測の街」と呼んでいます。

 

大島渚の劇映画デビュー作

『愛と希望の街』にちなんだものですが、

この映画、撮影前にタイトルが二転三転したことで有名。

 

シナリオ段階では「鳩を売る少年」という題でした。

しかるに製作会社(松竹)が、

それでは小品に見えると反対、

「光りと雲」というタイトルにしたがる。

何が光りで、何が雲かは、じつはよく分からなかったとか。

 

大島監督、ならば「怒りの街」はどうかと提案。

貧困層の不満と屈辱感をめぐる話だからです。

すると、今度は不穏当との反応。

その後、「悲しみの街」「愛と悲しみの街」を経て

「愛と希望の街」に決まります。

 

ところがこの映画、愛の挫折と絶望を描いたといっても過言ではない。

それを「愛と希望」とは

タイトル自体が希望的観測になっているのではないか?

 

「愛と希望的観測の街」は、

この経緯も踏まえてつけたもの。

それが何を意味するかは、本を読んでのお楽しみですが

とりあえず

カバーの女性は「愛と希望」を信じているのか、

それともすべてが「希望的観測」にすぎないと見抜いているのか?

という点を考えていただくと

見えてくるものがあるでしょう。

 

・・・さて。

 

台風21号が関西に大きな被害をもたらしたと思ったら、

北海道で強い地震が発生。

文字通り、総崩れの感が強いニッポンであります。

 

思えば東日本大震災のとき

保守派界隈の一部では

政権が悪いと天災が起こりやすい

なんて話が出ていました。

 

1995年、阪神淡路大震災のときは村山内閣で

2011年、東日本大震災のときは菅内閣でしたから

なるほどと納得させられるところもあるのですが

ならば今年の夏の顛末は、安倍内閣について何を語っているか?

 

もちろん、こうなると何も聞こえてこなくなる。

村山・菅の両氏が笑っているんじゃないですかね。

 

♬認知す〜る〜な〜あ〜ら、チョイと不協和音頭、ヨイヨイ♬

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言っちゃ何ですが

これがホントの

HEY! SAY NOTHING!!

 

さあ、戦後の残骸の中で踊ろう!

チラシ画像

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それはさておき、

ここまで災害があいついだら

いい加減、緊縮路線だの消費税増税などはぶん投げて

積極財政による防災インフラ整備と景気対策に踏み切るのが

まともな政治というもの。

 

藤井聡さんは、ロイターの取材でこう語っています。

 

西日本豪雨と今回の台風21号の高潮被害を踏まえれば、

治山、治水対策は喫緊の課題だ。

さらに土木学会は南海トラフ地震で1000兆円を超える被害が生ずると試算している。

災害対策が不十分であれば、将来の成長基盤自体が破壊される。

だから、国債に基づく大型かつ速やかな災害対策は、

骨太2018の将来の成長を確保するための投資をすべしとの理念にかなう重要案件と言えよう。

(※)北海道の地震について触れていないのは、その前日に取材を受けたため。

 

増税の影響が甚大であることに加え、

経済状況は14年の消費増税の影響が残存し、

今後はオリンピックの特需剥落や残業代の縮小、米経済等の海外の景気悪化などが予想される。

これを凌駕するには、毎年10─15兆円の超大型の経済対策を4、5年継続する必要がある。

元の記事はこちら。

 

三橋貴明さんなど、

いっそう過激にこう発言。

 

(積極財政による防災インフラ整備や、原発再稼働を求める)声が

高まらないとしたら(高まらないでしょうが)、

我が国はもうおしまいです。亡国まっしぐらです。

 

といいますか、ここまで愚かな国が亡国に至らないとしたら、

むしろ”歴史”に対して失礼なような気がしてきます。

(二番目のカッコは原文)

元の記事はこちら。

 

ごもっとも。

歴史の女神は、悪にはしばしば目をつぶりますが、

愚かさは決して見逃しませんからね。

 

インフラは発展や繁栄の基盤となるものですから

それ自体として、効率よく利益があがるという性格のものではない。

だからこそ、「公共事業はムダ」論が幅をきかせるのです。

 

けれども効率よく利益のあがる経済活動は

そのような基盤がちゃんと整備されていて

はじめて安定的に成立する。

 

言い替えれば、

効率よく利益を上げるためにも、

どこかで効率や利益を度外視する姿勢が必要なのです。

このパラドックスを担うことこそ

政府の重要な役割のひとつ。

 

これが分かっていないと

効率や利益を追求しているつもりで

自分の基盤をどんどん突き崩し、

ついには墓穴を掘るというハメになる。

 

平成日本はみごとにこの愚行をやらかしたわけです。

防災インフラの整備が進まず、

豪雨だ、台風だ、地震だと

天災のたびに大きな被害が出てしまうのは

その意味で必然の帰結と言わねばなりません。

 

し・か・し。

 

効率や利益を追求しているつもりで

自分の基盤をどんどん突き崩し、

ついには墓穴を掘る愚行が見られるのは

決して防災の分野だけではなかったりするんですな。

 

というわけで、どうぞ。

 

世界レベルで「大学が崩壊している」根本原因〜研究機関は本来、天才を「飼っておく」場所だ 

(東洋経済オンライン、9月7日配信)

 

中野剛志さん、施光恒さん、柴山桂太さん(今回は不参加)と開いている

東洋経済の研究会の討論抄録です。

ご覧になるにはこちら!

 

7月29日の記事

「大学改革のさもしくも偉大な顛末、または東洋経済オンライン配信」

で紹介したものの続編。

 

前回につづいて、

清泉女子大学特任講師・藤本夕衣さんにご参加いただいていますが

ここで論じられている「大学崩壊」の本質もまさにこれ。

 

施さんの言葉を借りれば

日本もそうですがアメリカでも、

稼げる人間を作り出すことが近年、大学の第一目標となり、

人文学的な教養などいらないというふうになってしまっている

のです。

 

藤本さんもこう発言。

5年や10年といった短期間の

「目に見える成果」が求められ続けているなかで、

自然科学の基礎研究や人文学は危機的状況に置かれています。

政府は、こうした危機についての認識が浅いのだと思います。

 

中野さんはさらにこう言い切ります。

僕は研究機関としての大学は、

効率性を求めるべき場ではないと思っているんです。

秀才の官僚やビジネスマンが大学を効率的に経営したら、

天才たちは居場所を失うでしょう。

 

全員に共通しているのは

目先の効率や利益にぼかりこだわる姿勢のせいで

画期的な研究が行われる可能性がどんどん少なくなり、

大学が崩壊しつつあるという認識です。

 

公共事業ムダ論がインフラをダメにするのと同じで

「人文学・基礎研究ムダ論」とも呼ぶべきものが

社会的な「知のインフラ」をダメにしているんですな。

 

しかもここには

かつては宗教との結びつきゆえに

現世的な権力(つまり政府)の介入を拒否しえた大学が

宗教を捨て、近代合理主義を至上のものと見なすことにより

みずから 「効率や利益」にとらわれる素地をつくってしまった

という厄介な事情がある。

 

私はこう言いました。

信仰を失った知性は、実利と効率という魔神の前にひれ伏すことになる。

 

「自由な社会ほど宗教が必要」というエドマンド・バークの発想は、

なかなかに意味深長なものなのです。

 

フランス革命の省察

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 今回の東洋経済オンライン、

おかげさまで評判が良く、

アクセスランキングでも上位に入っています。

みなさんもぜひご覧下さい。

 

いつも暇潰しでしかない東洋経済の記事で

これほどレベルの高い内容のものが出るとは驚き

などとという

東洋経済のみなさんが見たら

思わず絶句してしまうようなコメントまでありましたからね。

 

とまれ、

効率や利益にばかりこだわると、防災もできなければ学問も崩壊するのであります。