アメリカのカルト悪役俳優、
デイブ・ベッシオさんが
ツイッターで良いことを言っています。
ベッシオさんのプロフィールについては
2014年10月4日の記事
「アメリカの悪役俳優との会話」でご紹介しましたので
詳細はそちらをご覧いただきたいのですが
いわく。
If your actions inspire others
to dream more,
learn more,
do more and become more,
you are a leader.
日本語にしますと。
君の行動によって
周囲のみんなが
夢をふくらませ、
今まで知らなかったことを学ぶ気になり、
新たな行動を起こして
よりすぐれた人間になろうと決意したとする。
君はリーダーだ。
まったくその通りですが
現実にはこういう例も目立ちます。
If your actions inspire others
to dream less,
learn less,
do less and become less,
君の行動によって
周囲のみんなが
夢など見なくなり、
思考停止に陥って、
同じ行動を繰り返すだけの
つまらない人間でいいやと決意したとする。
この場合の「君」は何になるでしょう?
私の答えはこれです。
YOU ARE A KITSCH LEADER.
君はキッチュなリーダーだ。
で論じたように、
キッチュにおいては、
明らかに無理のある理念が
崇高で実現可能な理想として絶対化されます。
そして当の理念にとって都合の悪い事柄は
汚物のごとく排除される。
ならばキッチュに慣れてしまった人間が
夢など見なくなり、
思考停止に陥って、
同じ行動を繰り返すだけの
つまらない人間と化す
のは必然ではないでしょうか?
しかも困ったことに
真にキッチュが徹底されてしまうと
そのような状態こそが
夢をふくらませ、
今まで知らなかったことを学ぶ気になり、
新たな行動を起こして
よりすぐれた人間になろうとする
状態であるかのごとく思えてくる。
そういう人々は
キッチュなリーダーのほうを
本物のリーダーより好みさえするかも知れません。
本物のリーダーのもとでは
人々はみんな主体性をもって
自分を高めようと努力しなければなりませんが
キッチュなリーダーのもとでは
そんなことをしなくても良いからです。
そして、人々がそうやって思考停止や自堕落を決め込んでいるほうが
リーダーとしても(とりあえず)支配しやすいでしょう。
つまりキッチュのもとでは
リーダーと、それに従う人々の間に
思考停止と自堕落の悪循環が生じてしまうんですね。
これを阻止しつづけることが、
リーダーの満たすべき最大の条件ではないでしょうか。
ではでは♬(^_^)♬
8 comments
玉田泰 says:
5月 14, 2016
人はある意味、キッチュなリーダーを求めてやまないのではないでしょうか。何故ならその方が楽だし熱狂出来るから。リーダーとしての資質は余り関係がない。アイドルに群れるオバサン達が目に浮かびます。
トランプなど、キッチュを誇っている気がします。過激な発言で人々を酔わせ、思考停止に陥らせて、更にそれを煽ることで支持を伸ばして来たと言うか。
ただぶち壊せと言う快感に人々を駆り立てるのは、選挙に勝つには便利なやり方でも、将来の展望はそこにはありません。
トランプが大統領になった後、立ちすくむアメリカが見えるようです。
SATOKENJI says:
5月 14, 2016
「ただぶち壊せと言う快感に人々を駆り立てるのは、選挙に勝つには便利なやり方でも、将来の展望はそこにはありません」
エドマンド・バークが、ほとんど同じことを言っていますよ。
「新訳 フランス革命の省察」をどうぞ。
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(※)5/11のコメント欄、URLに間違いがありました。失礼しました。
マゼラン星人二代目 says:
5月 14, 2016
>君の行動によって
>周囲のみんなが
>夢をふくらませ、
>今まで知らなかったことを学ぶ気になり、
>新たな行動を起こして
>よりすぐれた人間になろうと決意したとする。
>君はリーダーだ。
まるで、「何だか頼りない、危っかしくて見てられない」甲斐性無し然たること(「この人は私が見ててあげなくちゃ」)こそがリーダーの要件であるかのようだ。
>明らかに無理のある理念が
>崇高で実現可能な理想として絶対化されます。
(表層的な)頼もしさ、華麗さにはくれぐれも御用心あれ、という限りでは、まだしも理解しやすくはある。(とはいえ、これとて、行うは難し)
とまれ、信頼感も程を過ぎれば、いともたやすくマンネリに転化する。
せい says:
5月 14, 2016
〉まるで、「何だか頼りない、危っかしくて見てられない」甲斐性無し然たること(「この人は私が見ててあげなくちゃ」)こそがリーダーの要件であるかのようだ。
「明らかに無理のある理念」ならぬ「明らかに無理のある意見」で、とにかく否定的な意見をいってやりたいという姿勢は、まさに「キッチュな状態」を体現しているといえましょう。
SATOKENJI says:
5月 14, 2016
双方のコメント、一部編集しました。ご了承ください。
マテリア says:
5月 14, 2016
>「明らかに無理のある理念」ならぬ「明らかに無理のある意見」で、とにかく否定的な意見をいってやりた>いという姿勢
ま、各論に対する批判は「楽」であり、「何かを言ってやった」という自己満足を感じることができるお手軽な手段ですから。ネットならではですね。
むーどん says:
5月 14, 2016
中学生が使うレベルの単語の羅列文を読んで分かったつもりだったけど、佐藤さんの訳をみると、結局わかってなかった…。英語、いや。
りょう says:
5月 18, 2016
先日人工知能(AI)についてのテレビ番組を見て、その凄まじい発達になにやら意気消沈というか、無力感というか何とも複雑な思いでした。
人工知能が人間より賢く合理的な判断をし、人間が判断するより人工知能の指示に従ったほうが安全で安心で合理的に暮らせる、というような社会がやってくるなんてどうなのよ?と大いに疑問に感じつつ、夢見たり、学んだり、考えることさえ馬鹿らしくなってしまいそうな、でもそんなのおかしいんじゃないかとか、とても夢のある世界のようには思えませんでした。
最近では人の感情のようなものまでわかるようなロボットが開発されているということも紹介されていて、コンピューターの学習機能が蓄積したものが「感情」なのか?でもそれは人間が経験から学習することと同じなのか、「感情」ではないから、感情や気持ちに振り回されず、より正しく合理的な判断ができるのかとか、思考はますます混沌とするばかりです。
AIに夢を感じる人も多いのでしょう。プログラミングを小学校から必修化するなどというニュースにも触れ、何かがおかしいように感じるアラフォー女です。