今年、2017年は
かの「宇宙戦艦ヤマト」(映画版)の大ヒットにより
アニメ・ブームが始まって
ちょうど40年となります。
むろんそのあと、
機動戦士ガンダムや新世紀エヴァンゲリオン、
あるいは一連のジブリ作品から「君の名は。」にいたるまで
アニメからは幾多のヒットが生まれた。
とはいえパイオニアとしての「ヤマト」の栄光は
決して揺らぐものではありません。
なにせ1978年の映画版第二作
「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」は、
1989年、宮崎駿監督の「魔女の宅急便」に抜かれるまで
じつに11年間、アニメ映画の歴代興収トップの座にあったのです。
もっとすごいのは同作品のサントラ。
LPで40万枚近くの売り上げを記録したのですが、
これは2014年、
「アナと雪の女王」のCD売り上げに抜かれるまで、
なんと36年間!!!
アニメ関連サントラの歴代売り上げトップに君臨していました。
わが出世作となった評論集
「ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義」だって、
題名にヤマトが登場したうえ、
カバーには主人公・古代進のシルエットがあしらわれている。
ついでに裏カバーを見れば分かるのですが、
この4つのキャラクターは
すべてヤマトの甲板の上に乗っているのです。
甲板がちょうど、本の帯と重なる仕掛けになっているのですよ。
さて。
その「宇宙戦艦ヤマト」の原作者(※)にして
製作総指揮(エグゼクティブ・プロデューサー)を務めたのが
西崎義展(にしざき・よしのぶ)さん。
(※)これについては、漫画家の松本零士さんとの間で裁判になったようですが、
結局、西崎さんが原作者として認定されました。
ヤマト以外にはヒット作を出せなかったものの、
日本のアニメ、
さらにはポップカルチャーの歴史に大きな足跡を残した人物なのは間違いありません。
他方、西崎さんは
数十億の負債を抱えて破産したうえ、
覚醒剤所持やら銃刀法違反で逮捕され、
はては刑務所生活まで送るハメになるなど、
一筋縄ではゆかないというか、
かなりダークサイドも抱えた人物。
2010年、
所有していたクルーザー(名前はもちろん「ヤマト」)から
海に転落して亡くなったときなど
事故死ではなく、恨みを買っていた相手に殺されたのではないか
という噂が広まったそうです。
・・・はたせるかな、こんな本があるんですね。
『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』
(牧村康正・山田哲久共著、講談社、2015年)!!
書名は前から知っていたのですが
先週、新宿某所で見かけて買い込みました。
いや、じつに面白い本です。
ただし題名とは裏腹に、
西崎さんが「狂気」の人という印象はあまり受けませんでした。
もっと正確に言えば、
西崎義展さんの狂気なるものは
じつは戦後日本の抱える狂気(=矛盾や欺瞞)にほかならず
西崎さん自身は、それに素直に感応したナイーブな人なのではないか
という感じなのです。
たとえば。
西崎さんはヤマトのテーマについて、
繰り返し「愛」だと語っています。
最大のヒット作「さらば宇宙戦艦ヤマト」の際は、
人類愛ならぬ「宇宙愛」という
今にして思えば、かなりワケワカな概念まで提起しました。
しかるに西崎さん、
実生活ではカネと女に目がなく、
複数の愛人を抱えていたのです。
ならばヤマトの「愛」は、
商売上のタテマエ、ないしキレイゴトにすぎなかったのか?
・・・そうとも言えないんですね、これが。
『「宇宙戦艦ヤマト」をつくった男 西崎義展の狂気』
の著者の一人である山田哲久さんは、
かつて西崎さんの部下(アシスタント・プロデューサー)だった人。
ある夜、銀座で豪遊したあと
西崎さんの自宅マンションで
製作中だった「さらば宇宙戦艦ヤマト」のラストをどうすべきか意見を聞かれ、
お前は愛する人のために死ねるのか?
と厳しく問い詰められたそうです。
ところがその夜、当のマンションには
愛人のひとりが控えていたのですよ!!
愛する人のために死ぬも何もあったものじゃない。
あんた、宇宙愛の何なのさ?
しかし、西崎さんは真剣そのもの。
本の記述はこうなっています。
いくらアニメのテーマ論議とはいえ
現実とのギャップは滑稽なほどに際立つ。
しかし、こうした場面でも
真顔で愛を語れるのが西崎という人間の強さであり、
面白さである。
自分の俗物性をすべて忘れ去って、
一気に宇宙愛を語れるのである。
(156ページ)
ヤマトに作詞家として関わった阿久悠さんなど、
西崎さんが逮捕されたあと
東京地方裁判所の裁判官に宛てた嘆願書でこう書いています。
西崎義展(弘文)氏(※)との初対面の一会は、
忘れ難いものがあります。
それは、純粋さと情熱、
あるいは、才能を支える稚気といったものを、
大の男が率直に示したからでした。(中略)
「純粋さ」「真摯さ」「愛」「自己犠牲」を、
これほど真面目に語った人を知りません。
(※)氏の本名。「義展」は若い頃、ナイトクラブの司会をするために考案した名前。
ただカネと女にしか興味のない人間に
こんな芸当ができるはずがない。
とはいえ、裏を返せば
ほとんど「お花畑」的と言いたくなるほど
純粋な情熱を持った人間が
なぜカネと女にハマった生き方をしてしまうのか?
・・・ふつうに考えれば
これは「狂気」ということになるでしょう。
しかしここで想起すべきは
戦後日本そのものが
お花畑的なまでにナイーブな理想(いわゆる戦後民主主義)と、
なりふりかまわぬ繁栄の追求という
二つの顔を持っていたこと。
つまりはタテマエとホンネがともに暴走しているわけですが、
これは西崎さんの特徴でもあります。
西崎義展さんの二面性、
それはわが国の二面性ではないのか?
この人物こそは
「右の売国、左の亡国」を一身に抱え込んだ男だったのではないか?
実際、吉本隆明さんは「さらば宇宙戦艦ヤマト」について
日本的な心情の観客、つまり私たちすべてに、衝撃を与える要素を持っている
と語りました。
ヤマトの主題歌をデモ段階で聴いたある人物は、
この歌を理解できない奴は日本人の子孫じゃないよ
とまで言って絶賛したとか。
となれば、西崎さんの「狂気」を自分に通じるものとして理解することが
戦後日本人の務めではないでしょうか?
ヤマトは大ブームを引き起こしたわけですが、
『対論「炎上」日本のメカニズム』で指摘したとおり
ブームもまた炎上なんですからね。
この話、さらにやるつもりです。
ではでは♬(^_^)♬
8 comments
半ライス大盛 says:
8月 28, 2017
ヤマトと言えば、EDの『真っ赤なスカーフ』が子供心に、何とも怪しげに残ってたりします。
銀座や赤坂見附のバーのカラオケで掛かっていそうな・・・
今にして思えば、西崎さんも松本零士先生も、思想的には良く似ているような気がします。
と言うか、戦後派のアニメ作家は、手塚、宮崎、冨野、などの各監督でも、右寄っているようで
左のようでって感じで、私には同じカテゴリーの思想の持主に思えてなりません。
しかし、共通するのは、それだけでなく、ほぼ全員、普段の行動が奇行種としての逸話が残っている
と言う事です。
政治的な思想については、失礼ながらとっても陳腐なご意見をお述べになっておられるのに
生み出される作品はどれも神がかっている!そして、厳密に言うと、神作が1つ生まれて
その後続かず、苦労されていらっしゃる点も共通しているような気がします。(沢山作品は出されて
ますが、神作は厳密には1、2じゃないでしょうか)
かの島本和彦先生は、作家の所に創作のフィエアリーが舞い降りると表現しております。
(自分の所に舞い降りるフェアリーはロクな奴がいないと腐っておりましたが)
創作の経験の無い私は、皆目見当がつきませんが、作品のコアな部分って創作者の体を通じて
現出しているだけで、人間性と作品とは必ずしも一致しないのではないかと最近思います。
現在、放映中の『RE:CREATORS』などは、作品やキャラは創作者ですらも支配出来るものではない
という一点がテーマで貫かれている所などは、創作者の苦労が見て取れます。
またまた、本論がら逸れたヲタトークで申し訳ございません。
関係ありませんが、たまにカラオケで沢田研二さんの『ヤマトより愛をこめて』を
歌ったりして場を白けさせてしまう事に深い反省をしております。
GUY FAWKES says:
8月 28, 2017
>現在、放映中の『RE:CREATORS』などは、作品やキャラは創作者ですらも支配出来るものではないという一点がテーマで貫かれている所などは、創作者の苦労が見て取れます。
凄い、まさか佐藤健志氏のブログでレクリエイターズが出てくるとはやはり類友(失礼!)
私が敬愛する夭折したとある作家さんも「人は己自らがフィクションであることから逃れられない」と仰っていましたが、
『幻想政治学』という提唱にもあるように、創作物ないしはポップカルチャーを基に評論をしてくださる方も
今や佐藤先生ぐらいしかいなくなってしまったのが切ないです…
マゼラン成人二代目 says:
8月 29, 2017
>自分の俗物性をすべて忘れ去って、
>一気に宇宙愛を語れるのである。
これ、パラドックス(「二面性」「狂気」)と言えるでしょうか。少々疑問です。
むしろ、「宇宙愛」は「俗物性」の帰結ではないかとすら思う。
「宇宙それ自体」を持ちだして、家族とか国家とかいった、近代社会の二大帰属対象を思いきり矮小化してみせることができれば、女好きとか銭ゲバといった「俗物性」高らかに肯定できようというもの。
そんな可能性はないのでしょうか。
(愛人を囲いこむのは、家族(制度)を無みするものであるし、
カネ=貨幣というものは、コミュニティとか国家とかの統合を弛緩させる危うさを常に孕む)
>「宇宙それ自体」
わが国には、「宇宙人」呼ばわりの元総理大臣がいる。そして、それが当該人物の「為政者としての資質の欠如」をただちに含意するかのような物云いが、当時も今もしばしば行なわれる。
玉田泰 says:
8月 30, 2017
ヤマトが大ブームだった当時、サントラレコードを聴きました。それは、よくある音楽だけを編集したものではなく、文字通りサウンドトラックをLPに落とし込んだような感じで、セリフがあったり、見せ場では効果音が延々続くという、今となってはかなりシュールな代物でしたw。ですが、家庭用ビデオもなかった時代には、贅沢な娯楽でした。想像力が果てしなく広がるのです。特に僕は映画を観に行く小遣いすらもらえない、貧乏な家庭の子でしたし。
しかし、振り返ってみると、それを聴かせてくれた友人はボンボン?
ガキがアルバムを買えたばかりか、自分のプレーヤーまで持っていたなんて。しかもその子は、ヤマト熱が高じて、子供の身の丈程もある天体望遠鏡まで持っていたのです。
憶えていませんが、逆に貧乏な家庭で、新聞少年だったのかな?
豆腐メンタル says:
8月 31, 2017
>つまりはタテマエとホンネがともに暴走しているわけです
例えば、処女性を求めるのは男性自身が純粋でありたいことの投影ではないでしょうか。そして不倫はその対極にありそうです。
また、純粋や真摯さや愛や自己犠牲は、宗教における教義のようです。教義によって純化を補完する。また多分「宇宙愛」はその対極にある。
共に前者は権威主義的でのっぺりとした一方通行です。後者は反権威主義的で支離滅裂という具合です。
問題は、そのようなカオスな態度では身がもたないことです。
表裏一体に収めておけばいいのに混ぜ合わそうとするから、全部くすんでしまう。
ふと思い付いたのですが。。例えば「自民党」と呼ばず「自由民主党」とか、「JK」と呼ばず「女子高校生」と正式に呼ぶことがワケワカからの回復につながるのかもしれませんね。
Daniel says:
8月 31, 2017
一応、ここにも爪跡を(笑)
宇宙戦艦ヤマト、大好きです。その昔、確か土曜日の七時になると、「ヤマト」がテレビで放映されていたんですよ。あの頃の子供は、みんな見てましたねぇ。男の子の「ごっこ遊び」では、波動砲が必殺技で登場。これを撃たれると皆、全滅してお仕舞いとなるのです(笑)。ヤマトの主砲は一撃でガミラスの空母を撃沈するほどですが、やっぱ波動砲ですよ。
一応ごっこ遊びのハンデでは、波動砲のエネルギー充填が120%にならないと撃てないという決りだったので、充填前に攻撃される恐れがあるのです。今から思えば、子供のくせに結構ルール考えてたなぁと思います。そうそう、「ワープ」で逃げるという手もあったなぁ。
沖田艦長の「古代、コロナ(本当はここは「プロミネンス」なのですが)を波動砲で撃て!」のシーンには、シビれました。よく「理想の上司」って、毎年のように調査されていますが、私なら、間違いなく「沖田艦長!」って答えますね。
さらばー、地球よー♪、の主題歌を聞くと、一気に血沸き肉躍る。カラオケに行くと、必ず歌いたくなります。汽車はー、闇を抜けて♪、の銀河鉄道999の主題歌もとってもいいのですが。
意外なことに、アメリカでも「ヤマト(Star Blazers)」は結構人気で、あの主題歌の英語版も、なかなか名訳になっています。感涙するくらい、いい訳になってますよ。
でもそうなると、アメリカにも二面性があるのかな?…ありそうですね。
反孫・フォード says:
9月 1, 2017
>結局、西崎さんが原作者として認定
宇宙愛(と言うべきか私庶民の感覚的には・・と言うべきか?)としては、松本氏が原作者だと認める方がプロデューサー的な見解だと思いますけどね。
松本氏の漫画に夢中だった者としてはあの作品はあまりにも松本色に染められている気がしてなりません。
他にも幾人も居た原案者としてその方たちの名前を上げてあげてその中に自分も含めるのであれば納得はいきます。
(他blogで知ったのですが)あの時代以前の時代には梶原一騎氏も戦艦ヤマトを宇宙に翔ばした小説を書いておられたみたいで、個人的には(手塚氏の著作権?とかを騙し盗ったことを考えると)西崎氏の頭の中がオリジナル発祥ではない気がしてなりません。
梶原氏からリンチを受けなかったことが不思議でなりません。
衝動買い的なコメント失礼しま舌。
SATOKENJI says:
9月 1, 2017
梶原さんの件については、『西崎義展の狂気』にも出てきます。
「新戦艦大和」と言うのですが、じつはこれも戦前に別の作家が書いた
「新戦艦高千穂」という作品からヒントを得ているとかで、
トラブルにならなかったそうです。