KADOKAWA のメルマガ「ちょく論」で
やらせていただいている連載
「踊る天下国家」の2回目が
本日、8:00より配信されます。
(ただし8:00以前は無効です。ご注意下さい)
いや、今回は充実しましたよ。
1回目「朝日に塩を送る保守派」に比べると、
本文の長さは1.5倍以上、
音声ファイルの長さにいたっては、ずばり2倍!!
約1時間にわたり、トークをお楽しみいただけます。
有料ですが、これだけの中身があれば
じつにお得だと自負していますよ。
なお「ちょく論」、
冒頭部分は無料でご覧いただけるわけですが、
今回から音声ファイルについても、
冒頭部分を無料でお聴きいただけます。
文章と声の組み合わせによる立体的な言論の展開。
これが「踊る天下国家」のコンセプトですからね。
さて、2回目のテーマは
「憲法九条がノーベル賞を取る日」。
今年のノーベル平和賞は、
パキスタン出身の少女マララ・ユスフザイさんと
インドの社会活動家カイラシュ・サティヤルティさんに授与されましたが、
「憲法九条を保持する日本国民」が有力候補に挙がっている!!
などという予想が発表され、話題となりました。
結局は取れなかったわけですが、
ノミネートのきっかけを作った
「憲法九条にノーベル平和賞を」実行委員会では、
今後も活動を続けるとのこと。
石の上にも三年と申します。
本当に賞を取れる日だって、そのうち来るかも知れません。
そこで質問なのですが、
「憲法九条を保持する日本国民」がノーベル平和賞を取ることに
あなたは賛成ですか、反対ですか?
ハッキリさせておきましょう。
私は賛成です。
ぜひ取っていただきたい!!
た・だ・し。
念のため記しておきますが、
それは憲法九条を評価するからではありません。
ノーベル賞を取ることこそ、
憲法改正を実現するための近道だと考えるからです。
「ええ? そんなバカな。いい加減なことを書くな!」
あなたはこう、おっしゃるかも知れない。
九条にノーベル賞を取らせようとする運動が
改憲を妨害したがる連中の策謀なのは明らかじゃないか。
どうしてそれが、改憲実現の近道なんて話になるんだ?
佐藤健志もいよいよ、言うことがメチャクチャになってきたんじゃないのか?
(©五島勉先生)
あなたの疑問はもっともです。
しかし、ちょっと待っていただきましょう。
私は決して、いい加減な気持ちで書いているわけではありません。
ノーベル平和賞の受賞こそ、
一見、改憲を封じ込めるかに見えて
じつは改憲への大きな第一歩となるのです。
なぜか?
それについては、メルマガをご覧いただかねばなりません。
けれどもヒントを出しておきましょう。
「憲法九条にノーベル平和賞」と言いますが、
じつは九条そのものが賞を取ることはありえないのです。
ノーベル平和賞は個人か団体にしか授与されません。
したがって現在、展開されている運動は
「憲法九条を保持する」という前置きこそついているものの、
じつは日本国民にノーベル平和賞を取らせようとするものなのです。
そして日本国民が平和賞を取ることは、
改憲にとってプラスなのですよ!
日本国民にノーベル賞を!!
ではでは♬(^_^)♬
11 comments
マゼラン星人二代目 says:
10月 15, 2014
>「憲法九条を保持する」という前置きこそついているものの、
>じつは日本国民にノーベル平和賞を取らせようとするものなのです。
解せない。
もう一つヒントとして、次の質問にお答え頂けると幸いです:
「一度、獲得した賞は(何があっても)剥奪されることはあるのか、無いのか。」
カス人間 says:
10月 15, 2014
難しく考え過ぎでは?
平和賞を貰うという事は、平和的な国として国際的に認められた様なもの。
しかも賞を貰えばその後も平和に対して貢献する義務が発生する訳で。
此処まで来れば平和維持のために止む終えず9条を廃棄すると言い切っても誰も文句は言えない。
佐藤先生の答えとは違う意見かも知れませんが、
小生はオンライン決済はやらない主義なので答え合わせに参加出来ぬのが残念です。
SATOKENJI says:
10月 15, 2014
これはノーベル賞委員会、ないしその事務局に問い合わせるべき事柄でしょう。
私も興味があるので、答えが判明したらお教え下さい。
もっとも本当に剥奪するとなると、それはそれで大変だと思いますが・・・
マゼラン星人二代目 says:
10月 15, 2014
そうですか。(大変失礼しました)
「一度付与された賞は剥奪されない」というのが鍵になるのかと思いましたが、そうでもない、となると、私には答案がありません。
私が考えていたのは、
1) 戦後教育を内面化した一般的な日本国民は、「平和国家日本」というセルフイメージの依りどころを主として「憲法九条」に求めている、
2) ノーベル賞の受賞を機に、次第にその依りどころが「ノーベル平和賞」にシフトする。
3) 結果、「憲法九条」への執着が次第に失われる、
4) 憲法九条の改廃が比較的容易になる、
というものでした。
受賞者は「日本国民」であって「憲法九条」そのものではない、という示唆からの着想です。憲法九条を捨てても平和賞保持者でいられるということが前提に据えられていますので、そこが不確かだと成りたたない話です。
もちろん、「憲法九条にノーベル賞」という言いまわしが示すように、平和賞の受賞者とその受賞理由が事実上一体であることは、現時点ではわかり切ったことです。
しかし、長期的には、上記のプロセスを通じた一種の倒錯が生じ得るのではないか、などと考えた次第です。
何せ、「ノーベル賞」というコトバそのものの持つ、あやしい輝きときたら、もう、それはそれは。。。
SATOKENJI says:
10月 15, 2014
いえいえ、
メルマガで書いたこととは違いますが、
これはこれで面白い視点だと思いますよ。
平和賞の剥奪については、
私が調べたかぎり前例はありません。
また、やるとしたら大変なので
(賞の権威が丸つぶれになる危険があるでしょう)
事実上できないのでは? とも思います。
ただし、いかなる理由があってもやらないかどうかは
授与する側に聞かないことには分かりません。
前例がないというだけでは、
「これからも絶対にやらない」ことの証拠にはなりませんからね。
よって問い合わせをお勧めした次第です。
マゼラン「解せない」←高慢な言い方だね^^ says:
10月 15, 2014
チャンネル桜に近い人に話を聞いたら、このブログで水島批判記事が投稿される度に、チャンネル桜にメールで密告している人がいるらしいです。しかも数人いるとか。なんかもう笑えてきますね。そこまでして水島さんと佐藤さんを喧嘩させたいのかと。いやいや、彼らを喧嘩させることは、アンタラの人生とは何の関係もないだろうに。そう言いたいですね。
SATOKENJI says:
10月 15, 2014
このブログが広く読まれているしるしですね。
とりあえず、感謝しておきましょうか(笑)。
マゼラン星人二代目 says:
10月 15, 2014
「解せない」がいけなければ、「ごめんなさい、わかりません」でも勿論よかった。
とまれ、簡単に解けてしまう謎かけではないのだから、この種の感慨(「解せない」「判たない」etc)が出てくるのは、「高慢」ではなくて、むしろ、「当然」ではないですか。
それとも、あなた、答えをお持ちなのですか。
水島総子 says:
10月 15, 2014
某日
某時刻
チャンネル桜・スタジオ
我々の悲願であった朝日新聞の解体を無事達成させることができました。まずは今まで支援して下さった皆様に感謝申し上げます。さて、皆様も知っての通り、相変わらず既成メディアは朝日の失業者ばかりを取り上げて同情を誘っていますが、これはまったく馬鹿馬鹿しいことだと言わざるをえません。何十年間も日本を貶め続けてきた連中に情けをかける必要があるのでしょうか。いいえ、ありません。少なくとも保守派はそのように考えるべきだと思います。とにかく我々はこの結果に喜んでばかりはいられません。勝って兜の緒を締めよ。勝った時だからこそ、気を引き締める必要があるわけです。我々の戦いはこれからも続くというわけであります。今日は、以上です。」
フルート says:
10月 16, 2014
ちょく論第二回目特典音声ファイルすごく良かったです!
作品を好きな人に教えるとき注意しなければいけないこと、いわゆるネタバレになっちゃうといけないので、少しだけ・・『真ん中に〇〇が立っているだけで・・』のところ!まずここを認識できないことにはそもそも”親日””反日”のどちらであったって国や人の在り方として不安定過ぎますよね。
また安倍総理と石破大臣とのやりとり、ここにも安倍総理の本当のところ自身に自信は無いのに神の側に立てちゃう何かある種これ以上ない位の主体性のなさを感じました。
ある時は神側と一体化することで万能観すら有すのに、都合が悪くなっちゃうと今度は自身の政治的左右からの見立てとしての敵側による全ては策略だ史観に振り回されちゃう、一見したところ主体性があるように見えて本当のところ、見る視点を変えるのではなく、ある発言に伴って自身の姿形まで都合良く変えて解釈してしまっているから、この後ろめたさが自信のなさとなって「結構政治的ですよね。(ニコッ)」になってしまったのかなと思いました。
日本全体で自分たちの姿形が分からなくなってしまっていて、こんな物の捉え方では歴史の連続性も本当の自由の実感もままならないと思いました。
!Q! says:
10月 16, 2014
9条に平和賞なんて反対です。
日本国民として反対です。
なので、日本国民に9条の件で平和賞なんてありえません。