BSフジ「プライムニュース」
『「若者×政治」相関図 “保守化傾向”の核心 “炎上”のメカニズム』
充実した内容になったと思いますが、
いかがでしたか。
今ならハイライトムービーが前後編で配信されています。
どうも今回、
キャスターのお二人は
ある特定のコメンテーターをしきりに立てたがっているように見えたものの
当のコメンテーターが案外におとなしかったため、
議論が当初の予想や期待とは
いささか違った方向に発展した模様。
「政治家の本音」云々を論じるコーナーのあとで
CMに入ったときなど
「このコーナー、本当はどんな議論になるはずだったんでしたっけ」
なんて声が聞こえましたからね。
とはいえ生番組で
本当はどんな議論になるはずだったか
なんてことを振り返ったって
失礼ながら大した意味はない。
結果として面白い議論になったかどうか。
これがすべてに決まっているじゃないですか。
「政治は結果がすべて」(Ⓒ安倍総理)にならって言えば
「ライブも結果がすべて」(Ⓒ佐藤健志)なのです。
ちなみに私としては
番組の冒頭、
「女性の活躍」をめぐる議論での反応がじつに興味深かった。
「女性の活躍をもっと促進すべきだ」という内容のスピーチをしておきながら
妊娠中絶に否定的なトランプ政権の姿勢にたいして
賛成であれ反対であれ
自分の見解を公表しないようでは
しょせんイヴァンカ・トランプは見かけ倒しというか
パパの操り人形ではないのか?
とか、
シンデレラなどと呼ばれる女性は
しばしば権力のある男性に甘やかされて
「ガラスの靴」をはかせてもらうが
有頂天になって歩き回っていると
やがて足下で靴が砕け散り、
大ケガのあげく姿を消すことになりがちである
といった程度の認識は
このテーマを考えるうえで、当然の出発点だと思うからです。
国際女性会議でのイヴァンカ演説だって
わが国のテレビ報道では
会場に人が詰めかけているような映し方がされていたものの
実際にはガラガラだったとのこと。
これがホントの「WAW!」。
だとしても、象徴的な話ではありませんか。
イヴァンカ演説、少なくとも表面的には立派でしたが
内容はスピーチライターが書くに決まっているんだし
あの程度の雄弁術は、まあ習ってくるでしょう。
問題はどこまで突っ込んだ内容になっているか。
自分の身体のあり方を決める自由や権利の有無について曖昧にしたまま
社会的活躍がどうこう言ったって
ただのキレイゴトですよ、ンなものは。
もっと言えば、
カナダの天才映画監督デヴィッド・クローネンバーグが喝破するとおり
男らしさや女らしさは
多分にわれわれがつくりあげるファンタジーにすぎない。
だからこそ
歌舞伎の女形はときに本物の女より女らしく
宝塚の男役はときに本物の男より男らしい
という話になるのです。
その意味では
男が女になってもいいし、女が男になってもいいわけですが
これにたいする障壁となるのが
生物学的な肉体の違い、
早い話が生殖への関与の仕方の違いです。
裏を返せば
セクシュアリティと生殖の関係をどう考えるかこそ
女性の活躍をめぐる最も本質的な問題。
クローネンバーグの言葉をどうぞ。
人間は男女の間で生殖器を取り替えてもいいんだ。
生殖器を使わずに生殖してもいいんだ。
セックスとは関係なく、快楽をもたらす器官をつくる自由だってある。
そうすれば男女の違いは消滅し、
人間は性による二極化を乗り越えて
もっと一元的な存在になるんじゃないか。
男性的な感じ方と女性的な感じ方の違いは残るだろうけどね。
・・・いや、もちろん
そこまでの議論をするつもりはありませんでしたよ。
クローネンバーグがスタジオに来てくれるわけじゃないんですから。
とはいえ
男らしさや女らしさの虚構性を自覚しないまま
男のように活躍することだけを追求したら
「女性の活躍」が自滅に終わるのは当たり前じゃないですか。
女殺すに刃物は要らぬ、ガラスの靴でも履かせりゃいいってもんです。
今回は女性コメンテーターもいることだし
私の発言にたいしても
そう! ホントにそう! そこが問題なの!!
というノリで盛り上がると思っていたのですが
現実はどうだったか。
番組内で出た意見ではありませんが
たしかに日本はまだまだ遅れているようです。
まあたしかに、
今なおフランス革命じみた騒ぎを繰り返し、
右も左も炎上したまま
売国か亡国に邁進しているのが
わが祖国の現状ですから
あまり多くを望んではいけないのでしょうが。
(↓)おかげさまで、Amazon在庫が補充されました。
しかし、ライブの緊張感はやはりいいですね!
ではでは♬(^_^)♬
13 comments
GUY FAWKES says:
11月 6, 2017
>男らしさや女らしさは多分にわれわれがつくりあげるファンタジーにすぎない。
>男らしさや女らしさの虚構性を自覚しないまま男のように活躍することだけを追求したら「女性の活躍」が自滅に終わるのは当たり前
仰る様にジェンダーの認識って所詮は曖昧で脆弱な固定観念だとしか思えません。
普遍化するには現実的に無理がありますし、リベラル的な言い方をすればそもそも多様性の不承認ですよね。
もしかすると、先生のご指摘に三浦さんも含めて他の方々が乗り気にならなかったのは家事育児、ないしは内助の功を
奥さんに丸投げして当然と思っている旦那さんと同じく、なんだかんだでいざという時は男性が金銭的問題や
災害・戦時になっても身体を投げ打ってくれるだろうという希望的観測が無意識下にあったからかもしれません。
やはり、先般のプライムニュースは佐藤先生以外の参加者の皆さんの脳内は完全に『クラッシュ』(バラードとクローネンバーグ的な意味で)していたご様子(苦笑)
SATOKENJI says:
11月 6, 2017
そこに快感を見出すくらいでなければ>『クラッシュ』(バラードとクローネンバーグ的な意味で)
コバ says:
11月 6, 2017
でも疑問は残ります。性別による役割や、男らしい・女らしい行動、態度というのはその国の伝統や文化に色濃く残っており、それも全て虚構というのは疑問です。育て方というのも関与しているとは思いますが、例えば男児と女児では好むもの趣向、嗜好も違う気がします。虚構という考えには単純には納得できないです。もっとも確かに男性が女性を、女性が男性を演じたりすることは可能で、あるいは母親になったら急に強くなったり(男化?笑)しますので、やはりただの虚構なのかもしれないですが(笑)
SATOKENJI says:
11月 6, 2017
すべて虚構であるはずはありません。
じつはクローネンバーグも、
「男児と女児の育て方を同じにすれば違いがなくなるということはありえない」
と発言しています。
ただし福田恆存さんが喝破したとおり、伝統や文化もまた虚構です。
だから「多分に虚構性を持っている」としたのですよ。
ついでにクローネンバーグの場合、
人間の肉体改造、ないし突然変異による性別の消滅まで視野に入れていますからね。
コバ says:
11月 6, 2017
先生自らご返信を頂き恐縮の至りです。
あの保守の福田恆存氏が伝統や文化を虚構とおっしゃられているとは…
保守というものについて自分の理解、認識がまだ浅いのかもしれません。また先生の著書含め学習を深めたいと思います。
ペンギン says:
11月 6, 2017
先生!
男女の関係だけでなく、この私達の宇宙すらも虚構かもしれません!
なんでも理論上存在してはならないそうで。
http://gigazine.net/news/20171030-cern-antimatter-research/
こちらは、それどころかコンピューターによる仮想現実かもしれないそうです。
http://ja.catalyst.red/articles/simulation/
豆腐メンタル says:
11月 6, 2017
日本女性におかれてはガラスの靴ならぬ「女性専用車両」を手に入れておられます。御活躍を祈念いたします。
例え一旦であれ、平等や人権の精神を歪めてもよいとお考えの方が女性活躍における真の敵であります。
利己主義列車でいこう!じゃないんです。次の停車駅はしっぺ返し~…とならないか思いやられますよ。女性諸君。
先生の指パッチンで砕けないかなぁ。
先生の指パッチン場面良いですねぇ。私なら失敗してぺちっとなったらどうしようと不安でできません。
レギーム作 says:
11月 6, 2017
>男らしさや女らしさの虚構性を自覚しないまま
男のように活躍することだけを追求したら
「女性の活躍」が自滅に終わるのは当たり前じゃないですか。
虚構性を自覚していないのなら単に、女性が男装して(女性に男装させて)っていう、
見たことないのですが、女性が軍服姿でエロい、見た目だけ「愛の嵐」状態(古館アナ風)!
といいますか、「女性の活躍」ってのはそういう趣向の薄っぺらい変態プレイかと。
白状しますと、放送中はそんなヨコシマなコトばっかり考えていたので、
いろいろ抜け落ちちゃったりしているわけですが・・・(汗)
他には、ロールプレイング、フェイス、ポライトネス、ペルソナ・・・
ってやると、すぐにボロが出るから止めまして(;^_^A
様々な場において、人間は演じる役割を使い分けているわけですから、
そういった意味では「女性の活躍」と「政治家の本音」は繋がってるのかな
とか考えてしてみたり(「炎上」は”正義の仮面”か)。
壇上という場で「政治家」という仮面を付け、演説のレトリックを用いている小泉さん、
スタジオという場で、「社会学者」の仮面を付けてポジショントークをする古市さん。
これも、このある種の虚構性を自覚していないのなら「本音」ってなんじゃい!ってコトに。
こんな私なんぞの的を得ない戯言より、先生がズバッと本質突いてるやん!何故続かん!
って放送中はヤキモキしてましたが、
>「ライブも結果がすべて」(Ⓒ佐藤健志)
ってコトですね。
山田 says:
11月 6, 2017
司会を務めた女子アナを見ていたら、佐藤さんのブログ『「人生に敗れた女」の正体』というのを思い出しました。
今後、もし反町さんの代わりにまた出るようなことがあれば、ぜひ引導を渡してあげてください。
佐藤さんと三浦さんが共演されるということで非常に楽しみにしていたのですが、
三浦さんは人気コメンテーターというキャラクターを維持するためか、当たり障りのない発言ばかりでしたね…残念。
佐藤さん以外のコメンテーターに対しては不満のある方が多いようですが、
女性の活躍に関する三浦さんの考え方は、youtubeの「女性政治家論」というタイトルの動画を見てもらえると、もう少し理解の深い方ということがわかるかと思うので、お時間ある方はぜひ。
三浦さん・古市さんの声が小さいというのもなかなか面白いですね。
やはりテレビだと発言に気を付けすぎて、本音が言えていないという証拠でしょうか。
「妊娠中絶」、「ガラスの靴」、「女性の男性化」などなど、せっかく佐藤さんが議論を本質へ発展させるワードを出していたのに…
とにかく、議論の面白さは司会者にかかっているというのがよくわかった2時間でした。
Guy Fawkes says:
11月 6, 2017
>とにかく、議論の面白さは司会者にかかっているというのがよくわかった2時間でした。
あっ…山田様、そちらのご発言は某放送の某討論回にお聞かせしたら、些か厄介なことになりそうな感じです…(したり顔の笑み)
山田 says:
11月 7, 2017
どなたかわかりませんが、「じゃぁどうするの?ほかに誰かいるの?」とかなんとか言われそうなので、聞かれないように気を付けたいですね…苦笑
メイ says:
11月 8, 2017
政治家が言う「活躍」とは何なのか、段々判らなくなってきました。
これって、目標じゃなくて、結果じゃないのかな?
家族の為に必死で働いて、「活躍」なんて言葉が眼中に無い方もたくさんいらっしゃると思いますし、仕事や社会参加をどんな形でしていくかは、それぞれですよね。
私自身は、自分でも爆笑してしまう位、知性が無いので、自分にできそうな事をやるだけ、かなあ。
ただ、「女性の活躍」というテーマからは外れてしまうかもしれませんが、男性と女性の関係が近頃、思わしくない、という感じが、少しだけしています。
男性と女性は違いがとても大きいので、理解が難しい時もあり、もともと互いに反目しやすい面があるかもしれません。
個人的には、反目しがちな存在同士が、少しずつでも「連帯」するほうが大切に思えます。
男性と女性、年配者と若者、社長と社員、公務の人と住民・・。社会には、どちらの立場も必要だと思う。男女で言えば、男性的な勇気や理性や緻密な分析力と、女性的な情緒性や物事を大きく包含していく性質(大雑把ともいう?)、どちらも社会に必要ですし、助け合えたら・・と思うのですが、疎外感を感じてる人が増えてる気がする。
仕事に成功するには、自分を認め必要としてくれるお客様がいてくれるから、ですが、「自分の活躍」ばかりが念頭にある時は、どうなんだろう?
自分の活躍と、他人の活躍の両方を大切にして、誰かを活躍させてあげたいと思い合ってる方が楽しいんじゃないでしょうか。
あちこちで変な分断が酷くなれば、男性も女性も、活躍などしにくくなるし、楽しくなくなってくる。
Yuko says:
11月 9, 2017
先週のプライムニュース、女性活躍の議論を興味深く拝見しました。
特に「ガラスの靴」の例えには、目から鱗が落ちるとともに戦慄が走りました。
恥ずかしながら、私は下駄を履かせてもらうことは当たり前だと思っていました。
そうでもしなければ、女性活躍は進まないと思ったのです。しかし、真の実力がなければ、
また努力をしなければ、いつかガラスの靴は砕けて自分を傷つけてしまう恐れがあるのですね。
考えてみれば当然のことなのですが、女性側にもどこか甘えがあるように思います。
日本女性は戦後、上から与えられるかたちで参政権を手にしました。
自分たちの手で平等の権利を獲得していないことが、今に至る女性たちの自信のなさと
男性への依頼心の強さに結びついているのかもしれません。
とはいえ、女性たちが自発的に変わっていかなければ、真の女性活躍・真の自立にはつながらないと思います。
妊娠中絶問題に象徴される「自分の生き方を自分で決める自由と権利」を強く自覚しつつ、
いわゆる「女性らしさ」・「男性らしさ」にこだわらない姿勢をもちたいです。
男女の社会的性差は、生物学的相違を根拠に人間が勝手に作り出したのですから、
そのような虚構を人々が意識することによって、多少でも社会に変化を与えられたらと思います。