昨日の記事「GDPと盲導犬」では

かのSTAP細胞から

景気のV字回復にいたるまで、

「現実にはありもしないものを、みんな見たような気になる」傾向が

最近、強まっているのではないかと書きました。

 

ありもしないものを見た気になるからには

「そういうものに存在してほしい」

という願望が強く存在しているのでしょう。

 

盲導犬刺傷事件(とされるもの)にこれを当てはめると、

日本人は盲導犬が襲われるのを見たがっていた

という興味深い結論が出てきますが、

これはちょっと脇に置きます。

 

今日、考えてみたいのは

「現実にはありもしないものを、みんな見たような気になる」

ことの裏返し。

 

つまり

「現実に存在しているのに、みんな見ていない気になる」

現象です。

 

存在してほしいものについては

実在していなくとも見えてしまうのならば

存在してほしくないものについては

実在していても見えなくなるのは必然。

 

百田尚樹さんと渡部昇一さんの対談本

「ゼロ戦と日本刀」(PHP研究所、2013年)には

関連してスゴいエピソードが出てきます。

 

太平洋戦争中、ミッドウェイ海戦直前の話。

本文より引用しましょう。

 

図上演習というサイコロを使ったシミュレーションを行ったときに、

日本の空母に爆弾が九発命中して沈没する目が出ました。

シミュレーションですから作戦を見直すのが決まりなのですが、

宇垣纏(うがき・まとめ)参謀長は

「いまのは三分の一の三発(命中)にする」

といって、演習をつづけたのです。

何のための演習かわからないでしょう。

(106ページ)

 

どんな事態が起きても困らないよう、

事前にいろいろ想定しておくのが演習の意義。

にもかかわらず、起きたら困るような事態は起きないことを前提にやっていたんですね。

 

戦争中にしてこのありさま。

経済の専門家とか、政府の担当者が

今回のGDP発表(年率で実質1.6%減)について

「いまのは1.6%増にする」

とか言っていたら、どうしますか?

 

あるいは選挙による議席変動の予測について

「いまの減少分は三分の一にする」

とか言っていたら。

 

言葉が信用できなくなるとは、こういうことですね。

ではでは♬(^_^)♬