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昨日の記事でも書きましたが、
TOKYO MX テレビの「西部邁ゼミナール」年末スペシャル
「メディアクラシーの落日」
本日、17:00より放送です。
局側から提供していただいた
私の画像をご紹介しましょう。
某局では今年前半に人気を博したドラマの総集編を
えんえん放送するとのことながら、
みなさんは西部先生や藤井さん、それに私のほうを選んで下さるものと信じております。
テーマは「メディアクラシー」、
つまりメディアによる社会支配ですが
そのほかにもいろいろな論点が展開されます。
その中からピックアップしたいのが
「戦後体制というやつ、じつは非常に強靱なのではないか?」
という論点。
ただし、ここで言う「強靱」とは、
藤井さんが提唱するような意味での強靱性とは違います。
破壊的なインパクトであってもしっかり受け止め、
ダメージを最小限にとどめるのが
本来あるべき「強靱性」(レジリエンス)。
ところが戦後日本には、
いかなるインパクトも融通無碍(ゆうずうむげ)に取り込んでしまい、
ダメージを抱え込みつつも現状維持するという特徴が見られるのです。
番組がどんな仕上がりになっているか、私も楽しみです。
ご期待下さい!
あらためて、スタジオ内の様子などを。
ではでは♬(^_^)♬
8 comments
akkatomo says:
12月 29, 2014
融通無碍というと聞こえはいいですけれども、悪く言えば
何事も真剣に受け取らないが故に、柳に風と受け流しているだけではないかという疑念はあります
何といいますか、中身がないならどうどでも受け流せるように思うのです
単に聞き流して澄まし、向き合わない。そういう処世が染みついているというか
たかゆき says:
12月 29, 2014
融通無碍も捨て難い♪
西部さま おタバコを
嗜まれるのですね
喫煙者をも取り込む空間には
好感がもてます。
そろそろ放送開始のお時間、、
ではでは。
バケツリレー says:
12月 29, 2014
いつも楽しく読ませていただいております。
TOKYO MX 残念ながら見られない地域に住んでおります… Webで見られるとよいのですが。
>いかなるインパクトも融通無碍(ゆうずうむげ)に取り込んでしまい、ダメージを抱え込みつつも現状維持するという特徴
芥川龍之介の短編「神神の微笑」を思い出しました。http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/68_15177.html
古来より日本人とその文化の独自性を守ってきた力が、戦後体制にまで付与されているとは… 憲法前文に代表される、敗戦とその後の復活の物語が、日本人にとって新たな神話となっているということでしょうか。現憲法前文は神話と同等以上に荒唐無稽さを誇ってはいますが。
何だか、大事な日本神話を乗っ取られたような気もして口惜しさも倍増しです。
ベッラ says:
12月 30, 2014
ニコニコ動画で拝見しました。内容がとても素晴らしくて、感動しました。
ラテン語に言い換えるとすごくわかりやすい・・・というのは私は声楽家(イタリアオペラのソプラノ)ですので、イタリア語とラテン語は大変近くてわかりやすいのです。
それに、佐藤先生の仰ることが新鮮に響きます。
以前は大変失礼しました。私は今は佐藤先生のお話をされることに感嘆、そして鋭敏な感覚と判断にブラーヴォ!!です。
SATOKENJI says:
12月 30, 2014
ありがとうございます。
ところで戦後日本には、このアリアを捧げてはいかがでしょう。
アミルカーレ・ポンキエルリのオペラ「ラ・ジョコンダ」より。
「自殺!」
ベッラ says:
12月 30, 2014
「ラ・ジョコンダ」ですが、この喜び溢れるような名前のヒロイン、庶民で場末の歌い手、ひそかに恋するエンツオ・グリマルドは貴族、またエンツオは政略結婚のために引き裂かれた美しいラウラを忘れられない、
ジョコンダがひたすらエンツオを思うこの2分あまり、なんて美しく敬虔な心であこがれるのだろうと思うと胸がいっぱいになります。https://www.youtube.com/watch?v=j17NbFg7j2Q
ラウラに嫉妬を抑えられないジョコンダは、ラウラが自分の母親の命を救ってくれた恩人と知り、迫りくる追手からラウラを逃します。やがて報われない恋にジョコンダは「自殺」のアリアを歌いますが・・・。
戦後日本は「ジョコンダ」のような純な心があるでしょうか。
どこかの「残念司会」の言う通りでは日本はますますダメになります。
佐藤先生、どんどんご意見を仰ってください。日本のために、そして私たち読者はいつも待っています。
ベッラ says:
12月 30, 2014
大変恐縮ですが、ポンキエッリのオペラ『ジョコンダ』の最後のアリアsuicidio!「自殺」、youtubeを
加えてエントリしました。http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/cf3e95ae5c918c019ef1c4c5ce46eca8
そして以前「西部ゼミナール」にご出演された≪戦後日本の自殺願望≫の動画2つをUPしております。
やはり素晴らしい、年始年末、佐藤先生の本や動画で勉強します。
フルート says:
12月 31, 2014
面白かったです!(以下長過ぎますが感想です。。)
シナリオを正しく理解する為には、ストーリーを正しく理解する必要がある。ストーリーの解釈が正しければ、途中シナリオが変更になっても対応する事ができる。一つの視点からのみ考えるのでなく、それぞれの配役から全体を把握する必要がある。ただ一人の人間が一つの役に与る為には、一人の人間として一つのストーリーを語れなければならない。
しかしストーリーの語源はヒストリアで、それはヘロドトスの著した歴史がその実体調査を超えた神話的語り掛け・物語性を成していた事に由来する。むかし人は、自分の肉体としての実体性・俗世と、神的・霊的な世界とを意識し、双方を連関させて考えても、多くは俗世側が神的・霊的世界を包含しているとは考えず、神的・霊的世界が俗世を包含していると考えていた。それが現在、本来俗世にその全体像を与えていた神的・霊的世界の霊媒としてあったメディアは、「終戦記念日」を境にした「日本の生まれ変わり」としての歴史の断絶を嗜好するに至った。ここでは国連で名誉ある地位を占める為、ある種神的八紘一宇の組換えが行われており、神的・歴史的物語性を排し、度外視したシナリオ・ストーリーが誕生し易く、片やそんなメディアの在り方を正す筈のいわゆる保守側も、現在が主導して現在に都合よく歴史や未来を組換えたかたちの連続性を逸したシナリオ・ストーリーを思い描く。これは俗世が現在に与ったその存在理由を永遠の現在に求める事であって、現在が永遠性を放出する事、その放出した永遠性を再度現在が取り込む事で本来あり得なかった“正統性”を主張する事と同義である。
メディアの在り方を正そうとする時、本来の歴史性からくる正統性の主張を焦るあまり、混乱の理由を専ら外部の敵にばかり求めて居てはいけない。既に取り込んでしまったものの切断や切除は出来ない。(切断・切除するに際して、仮に取り込んでいったその経緯が完璧に理解されていたとしても、取り込んだ以上は既に歴史性を有したという事であり、それは歴史の切断・切除を意味する)実体的で有限な身体性と、世代を幾代も超える神的歴史性とのバランスの取れた複合に欠かせないのは、どちらにも存しているその順序を理解する事。順序を度外視してしまったら、実体性も歴史的連続性も(誰がどう語り・誰がどう解釈したのかも)見失ってしまい、その都度ゴジラがやってきて、シナリオ・ストーリーの変更を要求する。