昨年より定期的に出演させていただいている
文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」。
明日もやります!
おなじみ、寺ちゃんこと寺島尚正さんです。
明日の話題は
都構想否決をめぐる世論調査の結果をどう見るか
とか
安保関連法案が成立した場合、
アメリカの言いなりになる危険はないのか?
といったものになる予定。
どちらも旬の話題ですので
面白くなると思いますよ。
朝の6:00〜7:00。
ご期待下さい!
それから「新日本経済新聞」では
メルマガ「<福田恆存>演劇と言論のつながり」が好評配信中。
河出書房新社の特集本
「福田恆存 人間・この劇的なるもの」の刊行を記念したものですが
福田さんの<保守>にたいする関心と
演劇にたいする関心が
どのような形でつながっているかを論じました。
なにせ福田さん、
1965年に書かれた「演劇的文化論」という文章で
こう述べているのです。
私の中には健康、秩序、有機性、全一性といったものにたいする憧れがあって、
一方、現代日本の文学、芸術、文化すべてにおいてその憧れが満たされず、
その欲求不満がいつの間にか私を演劇に追い込んだのではないかと思うのです。
健康、秩序、有機性、全一性は
演劇において最も維持されており、
また最も回復されやすいものであると同時に、
日本の新劇(※)においては最も歪められ、最も回復しがたい状態に陥っております。
何よりもその逆説に私は惹かれたのに違いありません。
(原文旧かな、表記を一部変更。以下同じ)
(※)新劇とは「西洋風の近代的な芝居」を意味する言葉。
「明治維新以前を舞台とする伝統的な芝居」を指す「旧劇」の反対語でもある。
現在では死語に近いが、かつては広く使われた。
なお「旧劇」に取って代わる形で定着した言葉が「時代劇」。
健康、秩序、有機性、全一性。
これらが社会規模で保たれている状態を
「保守の達成」と呼ぶのではないでしょうか?
となると福田さんにとって
「日本における演劇の可能性」と
「日本における保守の可能性」は
イコールだったことになります。
実際、「演劇的文化論」にはこんな一節まである。
私の論調は、新劇改良抜きに日本近代化の問題は解決しえないということになります(。)
それはなぜなのか?
「<福田恆存>演劇と言論のかかわり」、
こちらもぜひご覧下さい。
ではでは♬(^_^)♬