9月22日の記事
「シン・ゴジラ観てきました。」について、
青さんから面白いコメントがありました。
いわく。
僕がシンゴジラを見て気になったのは、
主人公が「日本はスクラップ&ビルドで成長してきた」という台詞ですね。
正しい台詞は忘れましたがこのような事を終盤で言ったと思います。
確かに世界屈指の災害大国ですから、
あの台詞にもなるほどと思うところはあります。
しかしスクラップ&ビルドを良いことのように言ってのけてしまうと
スクラップすること、
つまり構造改革、規制緩和、TPP、その他が良いことになってしまいそうで
怖いと思いました。
(表記を一部変更)
問題の台詞、
「この国はスクラップ・アンド・ビルドで成長してきた」だったと思いますが
たしかに幕切れに出てきました。
スクラップ・アンド・ビルドは本来、
老朽化して非効率な工場設備や行政機構を廃棄・廃止して、
新しい生産施設・行政機構におきかえることによって、
生産設備・行政機構の集中化、効率化などを実現すること。
という意味です。
ただしゴジラ来襲という文脈において使われているわけですから
「巨大破壊の正当化」というニュアンスが宿ってしまうのは否定できない。
その意味で
「この国はショック・ドクトリンで成長してきた」というのと
大差ないところがあります。
青さんが怖いと感じるのも無理からぬことですが・・・
じつのところ怪獣映画は、
巨大破壊の正当化のうえに成り立っています。
怪獣が上陸し、
都市部をガンガン破壊してくれなかったら、
そもそも映画として成立しないじゃないですか。
政府の危機管理が徹底していたおかげで
ゴジラが水際で撃退され、
上陸を果たせなかったらどうなると思います?
そうです。
30分で映画が終わってしまうんですよ(笑)!!
裏を返せば「シン・ゴジラ」において
政府の初動危機管理が失敗するのは
それが日本の現状だからというより
何よりもまず
それが怪獣映画の約束事だからなのです。
現実世界の危機管理は
とにかく危機を防ぐことを目的としているが
怪獣映画における「危機管理」は
クライマックスの大逆転にいたるまでは
危機が深まりつづけることを(暗黙の)目的としている。
でなけりゃ、話が盛り上がらず
映画が面白くならないでしょうが。
この相違を見逃したまま
「シン・ゴジラに学ぶ危機管理の問題点」などと言い出すのは、
やはりマズいと思うわけです。
さて。
このように怪獣映画とは
巨大破壊の恐怖を描きだすためにも
巨大破壊が起こってくれなければ困るジャンル。
つまりは巨大破壊を否定するふりをしつつ
巨大破壊をもたらす存在を
ひそかに正当化する宿命を背負ったジャンルです。
しかるにこうなると、ある疑問が生まれてくる。
つまり、
この映画の対米従属否定は本物か。
対米従属の恐怖を描きだすためにも、
対米従属が成立していなければ困るというか、
対米従属を否定するふりをしつつ、
対米従属をひそかに正当化しているのではないか。
青さんが挙げた「(現実世界の)スクラップ」の例に
TPPが入っているのは
この点で意味深長です。
まあ、構造改革や規制緩和だって
「かの国」から要望が来ているわけですけどね。
ではでは♬(^_^)♬
5 comments
Guy Fawkes says:
9月 24, 2016
>しかるにこうなると、ある疑問が生まれてくる。つまり、この映画の対米従属否定は本物か。
>対米従属の恐怖を描きだすためにも、対米従属が成立していなければ困るというか、
>対米従属を否定するふりをしつつ、対米従属をひそかに正当化しているのではないか。
便乗を恐縮ですが、この部分の「対米従属」を「近代化」に置き換えても面白いかもしれません。
なお最初の「この映画の『対米従属否定』は本物か」につきましては、
「この映画の『近代化or近代化否定』」は本物か」とダブルミーニング的にも捉えられるかもしれません。
というのも、今回の「シン・ゴジ」では「米軍に頼めばいい」という台詞や
戦後日本の危機管理体制の脆弱さを露呈するかのような描写がふんだんに(この時点で隠し味ではない)
盛り込まれている他方で効率化の名の下に刷新される構造改革ないしは近代化を
積極的か消極的かは別として、特段否定してはいないと私も感じました。
既に多くの方が指摘していますが、当該作は「怪獣同士が争っておしまい」の作品というよりは
巨大怪獣に翻弄される国家組織の政治スリラーとそれを構成する人間たちの思惑と葛藤という
初代「ゴジラ」との質的類似性に言及されています。
しかし、今回の「シン・ゴジ」に関していえば、「現代日本への警鐘」というより
「スクラップ・アンド・ビルドが齎した文字通り『文明的臨界点の副産物』」という
「戦後脱却という名の属国化」を体現する形でゴジラが現れたとしか考えられないのです。
巨大破壊を趣旨とする怪獣映画というジャンルと創造的破壊を是とする近現代の相関性。
「ゴジラに沢山殺されたくはないが、一方でゴジラに沢山ぶっ壊してもらいたいものもある」
庵野監督の意図は察しかねますが、ここにも近現代日本のディレンマが垣間見れた気がします。
せい says:
9月 28, 2016
スクラップアンドビルドのセリフは「ご破算を願いましては」構想ですね。
あれほど東京を破壊されて強がりにしてもポジティブにすぎると思います。
もっと悲壮な覚悟でいうべきシーンではないですかね。正座だとなお可。(笑)
ゴジラを凍らせてこれからも共存していくラストは原子力発電や核を揶揄
しているのかなあと思いました。初代ゴジラは倒しましたね。
しかし怪獣映画は怪獣が主役だから暴れるシーンが不可欠というのはなるほどなあと思いました。
トップを狙えやエヴァのようにゴジラのほかに政府側に巨大ロボが用意してれば、例え東京を戦場に
するにしても、ビルを地下に避難させたりして見せ場を作れますものね。
ウルトラマンなら多少ですみます(笑)
せい says:
9月 28, 2016
P・S
ロボットやヒーローが用意出来ないとなれば、自衛隊や米軍にその役目をさせるしかないわけで
シビリアンコントロールによる官邸模様も含めて、過剰な情報量による演出は「本気で戦っているぞ」
というアピールなのかもしれません。
玉田泰 says:
10月 2, 2016
成る程、この場合、米国=ゴジラな訳ですね。
改革という名の破壊、それを有り難がる国民。
どこか自虐的であるのを誇っているようですね。
マゼラン星人二代目 says:
10月 8, 2016
スクラップ&ビルドについて、
「いいかげんにしろ」と言わんばかりに批判的に言及しているパトレイバーの第一作目はバブル期の作品、それに対して、
「この国はまだまだやれる」と希望の端緒をそこに見出そうとするシン・ゴジラは長期低迷期の作品。
興味深い対照をなしているような気がします。