早いもので
2016年も半ばをすぎ、
8月となりました。
もっともロイターには、こんなコラムも出ています。
いわく、
2016年で最も憂慮すべきことは、
ある意味、まだあと5カ月以上も残っているということだ。
過去7ヶ月で、
どれだけ悪い出来事が起きたかを考えると、
残り5ヶ月についても不安になるとのこと。
それはともかく・・・
8月は私の誕生月です。
しかるに今年の8月、
私は50歳になるんですよ!!
・・・早いものだなあ。
あまり、大したこともしていないのに。
若かったころは
50歳になるのがどんな感じかなんて
まったく想像もつきませんでしたが、
思えば私も
人生の半ばを過ぎているわけです。
関連して思い出すのが
アメリカのロック・ミュージシャン、
イギー・ポップが1999年に発表したアルバム
「アヴェニューB」。
イギーが50代になって
最初につくったアルバムですが
冒頭に「NO SHIT」(くだらないことはごめんだ)という短い曲が収められています。
哀調を帯びたメロディに乗せて、
歌うのではなく、静かに語る。
生まれて50年目の冬に、ふいに気づいたんだ。
オレは本当にひとりぼっちで、
人生、そんなに長い時間が残されているわけじゃない・・・
イギーはあらゆる笑いや触れ合いを大事にしたいと思い、
以前より本を読むのが好きになり、
自宅、とくに書斎にいることが重要に思えてきたとか。
そして、結論はこうなっています。
だが何より、
くだらないことには、もう一切つきあいたくないと思ったんだ。
はじめて聴いたころは
暗い曲だなあという印象しかありませんでしたが
今になってみると
イギーの真意が分かります。
この先の人生、できるだけ真剣に生きたいということですよ。
まったく同感ですね。
ではでは♬(^_^)♬
4 comments
ジャクハイ says:
8月 2, 2016
佐藤先生、50歳の誕生日おめでとう御座います。
それにしてもとても50歳には見えない若々しいお姿ですね。チャンネル桜の討論で初めて佐藤先生を知りましたが、他人にはない独自の視点と鋭く斬新な切り口で一切の淀みなく理路整然とした言論を展開しているお姿に私は強烈なインパクトを受けたのを覚えています。特に講談師調のエネルギッシュな喋りに惹き付けられました。年輩の先生方に引けを取らない知識量といい「凄い人がいたものだ!」と思ったものです。
私などは佐藤先生の半分も生きていませんが誕生日を迎える時には
「去年の自分と比べて幾分か人間的に成長出来た」と思えるように努力したいと思っています。佐藤先生のように頭脳明晰な人間に少しでもなれるよう先生の動画や著書を読んで勉強しています。
「老いては益々壮んなるべし」
これからも佐藤先生の更なる活躍を祈願しております!
SATOKENJI says:
8月 2, 2016
ありがとうございます。
ちなみに私の誕生日は8月27日。
なんと宮沢賢治さんと同じです。
ついでに私は1966年生まれですが、
宮沢賢治さんは1896年生まれ!
つまり、生年月日がちょうど70年違いなのでした。
玉田泰 says:
8月 3, 2016
そうですか、先生も50歳になられますか。
50代も結構楽しいモノですよ。僕は7月で52歳になりましたが、50歳になってからが、人生の大変革期でした。体もシェイプされましたし、先生に出会うことで保守思想にたどり着けました(まだまだ保守を体現するには至っていませんが!)
先生は思想的に確固とした考えを築いていらしゃいますが、ぼくはこれからです。色々と 寄り道したことも良い人生経験だったと思っています。
本来ならばもっと貫録をつけていなければならない歳なんでしょうけれど。
彼女と別れてから、料理や掃除が楽しいと発見したことも大きいです。
「できるだけ真剣に生きたい」心に刺さりました。全く同感です。
ですからあえて言います。50代へようこそ。
マゼラン星人二代目 says:
8月 3, 2016
>くだらないことには、もう一切つきあいたくない
まあ、そう仰らず、私のコメントにも目を通してください。
>8月となりました。
遡ること一年、「戦後七十年談話」なるものをめぐって喧喧諤諤たる空騒ぎがあったことを咄嗟に思いだせる人が、世上、どれだけいたものか。
当該談話が、村山、河野両談話と同等の重みを以って、人々の記憶にしっかり刻印されていると、一年を経てなお、先生はお考えでしょうか。
「謝罪と反省の分離」論とか、一体、定着してるんだかしてないんだか。。。