本日は三橋貴明さん

三橋経済塾で講演します。

 

タイトルは

日本は右傾化することで左傾化した!

または、お花畑に反発したあげく別のお花畑に迷い込む話。

 

『右の売国、左の亡国』の内容を踏まえ、

さらに発展させたものです。

 

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ちなみに以前、

「○○、または××」というタイトルが多いのはなぜか?

という質問がありましたが、

これは西洋における風習喜劇のタイトルのつけ方にちなんだもの。

 

「または」の後のフレーズが

前のフレーズを説明しつつ

皮肉っぽいコメントにもなっているのが普通です。

 

有名な例は

偶発核戦争をブラック・コメディとして辛辣に描ききった

スタンリー・キューブリック監督の傑作

「博士の異常な愛情」。

 

同作品の正式な邦題はこうです。

博士の異常な愛情、

または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか。

 

まあ最近、

わが国のすぐ近くには

心配するのを止めて水爆を愛するようになった国が実在しますし、

ほかならぬわが国も

心配するのを止めて「最も強い表現で非難する」だけですませるようになっている模様。

というわけで、どうぞ。

 

「最も強い表現で非難する」、

今やすっかりおなじみとなりましたが

当の表現が具体的に何かは

ついぞ明らかではないんですよね。

それはともかく。

 

思えばわが国は

もう長いこと

心配するのを止めて経世済民をやらなくなっているように見受けられます。

 

安全保障の危機については

主体的な対策は講じず、アメリカ頼みに徹するか、

でなければ

現実的な対策は講じず、神頼みに徹する。

 

デフレ脱却の突破口となりうる積極財政は

プライマリーバランス黒字化にこだわってやらない。

他方、消費税の10%引き上げは

予定通り2019年に実施することにこだわる。

 

地方発展はもとより

災害対策にも必要となるインフラ整備も

「何だね、どこにそんなカネがあるんだね?!」

のアキラ的論理でやらない。

 

食糧安全保障の要となる国内農業の保護もやらない。

 

他方、勤労者の給与を抑え込むことになる

外国人労働力の受け入れは熱心にやる。

 

文化や伝統を根底から揺るがしかねない

英語化の推進も熱心にやる。

 

安倍総理の名言にもある通り、政治は結果が全てです。

いかに立派な動機があろうと、

結果がダメだったらダメなのです。

 

そして結果から判断するかぎり、

わが国の政府は

経世済民をやる気がないか、

あるいはその能力がないと判断されても

致し方ないのではないでしょうか?

 

「そんな国には何もないし、未来への展望も望みえない」──エドマンド・バーク

フランス革命の省察

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しかも驚くべきは

野党の側にも

経世済民をしっかりやろうとする姿勢が

ほとんど見られないこと。

 

この姿勢さえあれば、

政権交代だってけっこう簡単に達成できるかも知れないのですが

昨今の民進党の体たらくなど、

何としても自民党に政権を任せつづけたい!!

という確固たる意思を感じます。

 

裏を返せば、

(国の将来について)心配するのを止めて経世済民をやらない

ことについては

どうも超党派的合意が成立しているとしか思えない。

 

人々の間に不満がたまり、

些細なことで炎上にいたるのも道理であります。

 

『対論 「炎上」日本のメカニズム』帯付き書影

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だとしても、わが国はとりあえず民主主義国家です。

国民を満足させられない政治家は、

政治家としての地位を保つことができないはずなのです。

 

そんな国でどうして、

(国の将来について)心配するのを止めて経世済民をやらない

などという超党派的合意が成立してしまうのか?

 

ここで思い起こされるのが

保守派の一部に強烈なアレルギー反応を生じさせることで知られる

経路依存性の概念。

 

経世済民をやろうとする政治勢力が見当たらず、

国民もそれに本気で怒っているとは到底思えない現状を変えてゆくには

やはり戦後日本のたどってきた経路を

詳細に振り返る必要があるでしょう。

 

次か、その次あたりの本は

それがテーマになるかも知れませんね。

ではでは♬(^_^)♬