都内のあるクリニックで

主治医の診察を受けてきました。

 

この先生、宮沢賢治さんを深く尊敬しています。

 

いわく。

有名な詩「雨ニモ負ケズ」には、

 

一日に玄米4合と

味噌と少しの野菜を食べ

 

という箇所があるが、

あれは単なる粗食の勧めではない。

医学的に見ても

日本人にとって、非常に健康的な食生活である、

とのこと。

 

宮沢さん、岩手県の

稗貫(ひえぬき)農学校

(現・花巻農業高校)で教えてもいましたし、

1927年には2000枚を超える

肥料の設計書を書いたとのことですから

ちゃんと分かっていたのかも知れません。

 

そして、さらにこうおっしゃるのです。

いわく。

 

「雨ニモ負ケズ」で一番すごいのは、

最後の箇所である。

 

みんなにデクノボーと言われ

褒められもせず

苦にもされず

そういう者に私はなりたい

 

つまり宮沢賢治は、「我」を完全に捨てているのだ。

 

たいていの作家は、自分の「我」を探求するところで終わる。

しかし宮沢賢治は、若くして亡くなった(享年37)にもかかわらず

その先まで行った。

私にとって精神的な師匠である。

 

・・・診察を受けているんだか、

文学談義を聞いているんだか分からないノリですが、

宮沢賢治が「我」を捨てていたという指摘は

彼の作品が持つ力を理解するカギになります。

 

たいていの作品(文学に限らず)には、作者の「我」が影のようにつきまとう。

しかし宮沢賢治の場合、その影が(ほとんど)ないため、

読者ひとりひとりにとって、まさに「自分の作品」になるのです。

 

たとえば現在、岩手県の公式事業として刊行されている

「コミックいわて」シリーズ(達増拓也知事、みずから責任編集!)には、

各巻、必ず宮沢賢治にちなんだマンガが収められている。

 

これは宮沢賢治さんの作品が、いかに素晴らしいかを示すものであると同時に、

多くのクリエイターにとって、宮沢作品の世界が非常に同化しやすいことを示していると言えるでしょう。

 

宮沢さんが、岩手県を幻想的な理想郷として思い描き

「イーハトーブ」と名づけたのは有名ですが、

彼の作品は、その「我のなさ」ゆえに、

読者の中にイーハトーブを作り上げるのだと思います。

 

「コミックいわて」に収録された「宮沢賢治もの」マンガは、

それぞれの漫画家さんが

自分の中のイーハトーブから持ち帰った土産のようなものではないでしょうか。

 

なお宮沢賢治については、

2014年8月28日〜31日の記事

「宮沢賢治に思うこと」(「文化・アート」カテゴリー)もどうぞ。

 

ではでは♬(^_^)♬