施光恒さんの新著
『本当に日本人は流されやすいのか』(角川新書)を
このところ読んでいました。
著者こちら。
集団主義的で流されやすいという
日本人イメージのテンプレにたいし
本当にそうなのか?
と問いかける一冊。
アプローチの方法論も面白ければ
文章もタイトで読みやすい。
自信をもって書いていることの表れです。
みなさんも、ぜひ読んでみて下さい。
ちなみに余談ですが、
自信をもって書かれている文章と
そうでない文章とを見分ける
簡単にして(かなり)確実な方法があります。
ある特定のフレーズが、
どの程度の頻度で出てくるかをチェックすればよろしい。
ならば、そのフレーズとは何か?
ずばりこちら。
言うまでもなく。
いいですか、
本当に言うまでもないんだったら、
そんな文章は盛り込む必要がないんですよ。
一発、カットあるのみ。
裏を返せば、
カットされずに残っているかぎり
その文章は言うまでもないことではない
ということになる。
じゃあ、なんで「言うまでもなく」とか付けたがるわけ?
そうです。
このフレーズを多用したがる人は
こんな分かりきったことを書くなんてバカじゃないの?
と笑われることを気にしているのです。
ときには無言のままで十分、ということもあります。
ゆえに
言うまでもなく
言うまでもないことだが
〜なのは言うまでもない
などと連発して、自分を安心させる次第。
だ・か・ら、自信がないと言うのですよ!
ついでに、そのような人物は
物事を適切に論じることよりも
インテリとしての自分のプライドを守ることのほうが
往々にして大事になる。
いえ、そういう人だって
中身のある議論をすることはありますよ。
しかし全体として言えば
やはり議論が形骸化しやすいのは否定できません。
施さんの文章に
「言うまでもなく」がほとんど見られないことは
言うまでもないでしょう。
・・・それはさておき。
この本を読んでいて、非常に興味深い発見をしました。
施さんは第二章で、
『水戸黄門』の人気について考察しているのですが、
そこに「水戸黄門でありがちな設定」として
ストーリーのサンプルが出てきます。
こちら。
ある町では、悪代官が、
強欲な商人と結託して私利私欲のために政治を行い、
自分たちの言うことを聞かない
頑固だが真っ当に生きている職人に辛い仕打ちを行っている。
職人は、どうにか持ちこたえ、
慎ましくも己の信念に従って生活している。
しかし職人が、悪代官と強欲な商人のあまりにひどい仕打ちに
くじけそうになったとき、
水戸黄門の一行がやってくる。
黄門様の一行は、職人の窮状をよく知るようになり大いに同情し、
悪代官と強欲商人の不正をただすために立ち上がり、
彼らに適切な裁きを加える。
(75ページ)
いかにも、ありそうです。
これで最後に「黄門様一行は、物事が良くなったのを見届けて旅を続ける」
がつくわけですが・・・
こう置き換えてみたら、どうなるか?
悪代官=戦前の日本政府
強欲な商人=財閥
頑固だが真っ当に生きている職人=一般国民
水戸黄門=ダグラス・マッカーサー
その一行=占領軍
すると先の話はこうなる。
戦前の日本では、悪い政府が、
強欲な財閥と結託して私利私欲のために政治を行い、
自分たちの言うことを聞かない
真っ当な一般国民に辛い仕打ちを行っている。
国民は、どうにか持ちこたえ、
慎ましくも己の信念に従って生活している。
しかし国民が、悪い政府と強欲な財閥のあまりにひどい仕打ち、
つまり太平洋戦争の惨敗ぶりにくじけそうになったとき、
ダグラス・マッカーサーの占領軍がやってくる。
マッカーサー様の一行は、一般国民の窮状をよく知るようになり大いに同情し、
日本政府と強欲財閥の不正をただすために立ち上がり、
東京裁判と財閥解体という適切な裁きを加える・・・
♬敗戦、楽ありゃ苦もあ〜る〜さ〜♬
なんとなんと、
東京裁判史観に基づいた
占領体験の物語になるのです!!
となると助さんは
さしずめコートニー・ホイットニー少将
(マッカーサーの腹心。占領軍の理想主義派)で
格さんはチャールズ・ウィロビー少将
(やはり元帥の腹心。占領軍の反共強硬派)。
毎回、風呂に入ることで評判になった
くノ一のかげろうお銀は
憲法に男女同権を盛り込んだベアテ・シロタ・ゴードンか?
いや、マッカーサーの愛人と噂された原節子かも知れないな。
(注:ただしこの噂は事実無根。念のため)
ついでに黄門様ご一行を
アメリカの軍事行動と考えれば、
たしかに日本を去ったあとも
朝鮮半島、ベトナム、イラクなどなど
諸国漫遊の旅を続けていますからねえ。
次のトークライブでは、「水戸黄門のテーマ」を演奏してもらおうかな。
断っておきますが
占領体験=水戸黄門説は
施さんが展開している議論と直接の関係はありません。
しかし日本人の間に浸透した
占領期をめぐる物語が
日本人の間で非常にポピュラーな時代劇と
そっくりのパターンを持っていることは
注目に値するのではないでしょうか?
だから、「僕たちは戦後史を知らない」と言うのだよ。
これが持つ意味合いについては
ゆっくり考えてみたいと思います。
(↓)その間に、アナタが読むべき3冊はこちら!
6 comments
tanza says:
5月 24, 2018
>東京裁判と財閥解体という適切な裁きを加える・・・
これは、日本国民が望んでいたものではなく、連合国側の都合によるもの。
財閥解体について、吉田茂は次のように言っている。
「古い財閥を解体することが果して国民に利益となるかどうか甚だ疑問である」
SATOKENJI says:
5月 24, 2018
この箇所は占領をめぐる歴史的事実ではなく、
東京裁判史観に基づいた形で、
日本国民の間に定着した占領体験の物語
を述べています。
東京裁判だって、日本国民が望んだかどうかは疑わしい。
しかし歴史は、事実であると同時に物語でもあるのです。
レギーム作 says:
5月 25, 2018
占領体験=水戸黄門説。
特攻隊出身の方がマッカーサー(黄門様)を演じてたってことになりますね(゚д゚)!
この配役は偶然ではなく、戦後日本人の抱えている云々・・・おっと、
あっしの下手な勘繰りはこのくらいで(;^_^A
shun says:
5月 26, 2018
米国自身も「水戸黄門的なるもの」を演じたがる節はありますね。
私なんかあんなの出てきたら、「なんだお前は?部外者は引っ込んでろ!」と
言いたくなりますがw
佐藤先生は「ハートアタッカー」という映画はご覧になられましたか?
「ハートロッカー」に乗っかったダサい邦題を配給会社につけられてしまいましたが
原題は「battle for haditha」というイギリス映画で
ダサい邦題のせいでB級映画かと思いきや、真面目な社会派映画で意外と悪くなかったです。
ご存知かもしれませんが
2005年11月19日に起きた「ハディサの虐殺」と呼ばれるアメリカ軍がイラクで子供を含む
一般市民24名を殺害した事件を題材に
ドキュメンタリータッチで撮影した劇映画です。
その映画のラストシーンが水戸黄門(ヒーロー)でありたいアメリカ軍を
痛烈に、なおかつ哀しく皮肉っていたのは実にイギリス人らしいなと思いました。
アメリカ人と日本人は「幻想を抱きやすい(というか抱きたい)」という点では
相性がいいのかもしれませんね。
しかし、我が国民にはいい加減に(悪)夢から覚めてほしいものです。
拓三 says:
5月 26, 2018
最近、佐藤氏の文脈でふと感じたのですが、
以前の佐藤氏は議論を深める為様々な角度から幅広く読者の思考を刺激し自己の結論をなるべく押さえた形の文脈が多かった様に思います。ただ佐藤氏の意図ならび表現の解釈を理解できず議論を深める所か意見の相違と解釈し自己保身に走るヘタレを見るにつれ、この国は議論さえする余裕も、あるいは議論をする脳ミソも劣化したのだと絶望を感じ、それにより小学生の先生の様に分かりやすく答えを解説する文章に変えざるを得なくなったのかな、と思った次第です。
確か以前に佐藤氏と施氏とのやり取りで佐藤氏が施氏に対し違う角度からの問題定義としてツッコミを入れただけで「仲間割れだ」と騒ぐ連中を思いだし、書きたくなった次第です。
玉田泰 says:
6月 22, 2018
『本当に日本人は流されやすいのか』読了しました。
施氏の論点は明解だと思います。近年の日本人はセルフイメージ(自意識)と無意識が乖離しているのではないか、という問題提起だと受け取りました。
これからの日本人がセルフイメージをどう修正すべきかについての提言は、我々の将来への力強い指針を示していたと感じました。
僕自身、身につまされる一冊でした。