私の『未来喪失』や、
中野剛志さんの『富国と強兵』の版元である
東洋経済新報社が
新しい研究会を発足させました。
(↓)これも600ページを超える本です。
メインメンバーは
中野剛志さん、
施光恒さん、
柴山桂太さん、
そして私です。
d(^_^)b\(^O^)/大した顔ぶれだろう、おい\(^O^)/d(^_^)b
本格的な活動は2018年からとなるものの
先日、
第0回と銘打たれたセッションが開催されました。
このセッション、
当初は中野さんが
柴山さんとの共著『グローバリズム その先の悲劇に備えよ』を踏まえて
問題提起をする予定でした。
しかるに12月4日のブログ
「平成は十年ごとに悪くなっていった気がする」
を読んだ中野さんが、
2019年4月には平成も終わることだし、
このブログの内容を踏まえて
それぞれ平成を振り返って論じてはどうか?
と提案。
私はもちろん、
施さんと柴山さん、
そして東洋経済新報社のみなさんも
それがいいということになりました。
2時間を超える議論の内容は
いずれ東洋経済オンラインで
数回にわたって配信されることになっていますが
いや、じつに中身の濃いセッションになりましたよ。
さて。
平成の30年間、わが国は
良くて低迷、悪ければ衰退
という残念な状態に置かれてきました。
30年にわたって国が発展しなかったのは
明治以後ではむろん初めて。
20世紀以後に限れば、世界的にも珍しい例かも知れません。
だとしても、何でそうなったの?
簡単に答えの出せる問題ではないのは明らかですが
興味深かったのは中野さんの発言。
いわく。
平成になって実行された改革は
二度の政権交代も含めて
ほとんど失敗に終わったわけだが
その結果、日本人全体が疲れてしまった気がする。
グローバリズムに疲れたとか、
改革に疲れたというだけではなく
国や社会のあり方について、
しっかり考えることにも疲れたのではないか?
だから、まともな政策論議をしないまま
ワンフレーズのスローガンに飛びつきたくなるわけだが
「さらなる改革を!」などという疲れるスローガンには
魅力を感じなくなっているように見える。
なるほど、
希望の党が総選挙で大コケする一方、
自民が勝ったにもかかわらず保守が盛り上がらない現状は
こう考えると説明できます。
となると、
今なお「人づくり革命」だ「生産性革命」だと
改革主義丸出しのスローガンを掲げている安倍内閣は
一強という世評にもかかわらず、
予想もしえないような理由で
あっさりコケたりするのかも。
しかるに安倍内閣の命運もさることながら
私が興味を惹かれるのは
日本人はいつから疲れ始めたのか? ということ。
グローバリズムに疲れた、とか
改革に疲れた、というふうに考えると
わりと最近、
2010年代のように思えます。
しかしですな。
ここでご紹介したいのが
『経済界』1993年1月19日号に掲載された
劇団四季代表・浅利慶太さんと
松竹常務・奥山和由さんの対談。
肩書きはいずれも当時のものですが、
奥山さん、1992年に公開されてヒットした
プロデュース作品『遠き落日』に関連して
こう述べているのです。
(映画版は渡辺淳一の原作から、かなり離れてしまったが)
映像にした場合に観客が何を見たいかを単純計算すると・・・
今なんとなく
観客というか日本人全体というか
なんか疲れちゃってるなって感じがするんですよね。
だから、かなりやさしく語りかけてあげないと
全部がはじけちゃうんです。
『遠き落日』については
原作も映画も知らないのですが、
この発言から判断するかぎり
奥山さんは
原作を(実質的に)改変する形になろうと
かなり内容を甘口にしたうえ、とにかく分かりやすくしないと当たらない
と考えていたようです。
奥山さんの発言にたいして
浅利さんがどう反応したかは分からないのですが
劇団四季がこの2年後、
『美女と野獣』を皮切りに
ディズニーミュージカル路線へと突き進んでいったことを思えば
同意見だった可能性が高い。
とはいえこれは
中野さんが指摘した
現在の日本人の特徴そのままではありませんか。
1993年といえば平成5年。
バブル崩壊こそ起きていたものの
阪神・淡路大震災も
構造改革の本格化も
社会的格差の拡大と国民の貧困化も
リーマン・ショックも
民主党政権も
東日本大震災も
すべてまだ起きていません。
1月はじめですから、55年体制の終焉もまだ。
消費税は3%でした。
もし日本人が、そのころからすでに疲れていたとしたら
それは何を意味するのでしょうか?
これまた簡単に答えが出る問いではありませんので
とりあえず、この3冊をどうぞ。
平成元年(1989年)の2月
アイドルグループ「光GENJI」の発表したアルバムには
『Hey! Say!』というタイトルがつけられていましたが(ホント)、
日本人のホンネは
このころから『Hey! Shut up!』(うるさい、黙れ!)だったのかも知れません。
ではでは♬(^_^)♬
(↓)セッション当日の写真をさらにどうぞ。
8 comments
GUY FAWKES says:
12月 14, 2017
>d(^_^)b\(^O^)/大した顔ぶれだろう、おい\(^O^)/d(^_^)b
大した、どころか文字通り賢人会議であります(驚愕)
まさに表現者・ニューリーダー同盟の爆誕ですな!
チーム名は『グループ2020年』とか…いや失礼しましたorz
SATOKENJI says:
12月 14, 2017
>『グループ2020年』
はて、どこかで聞いたことがあるような。なぜだろう。
豆腐メンタル says:
12月 14, 2017
>d(^_^)b\(^O^)/大した顔ぶれだろう、おい\(^O^)/d(^_^)b
御意。政治家より政治家な面々。
私がいつから疲れたか?かぁ。。
萎みゆく世の中の大人の”頑なさ”に打ちのめされだした頃からでしょうか。
今から約20年前。私は20代。小泉政権ですか。
当時は政治経済に興味無く、お気楽怠惰なくせに将来不安は無いという、富国弱兵路線に無自覚な私。
劇場型政治に対する耐性はなく、”居心地の悪くない閉塞感”になんとなく覆われる。
切羽詰まった考えもなく「小泉ならなんとかしてくれるらしいよ?」みたいな他人事。
世間では、大人の責任という意味で過渡期だったように思います。
他人に求められなくなると誰だって腐ってしまう。
君らが精々頑張ってよと、他人にも求めなくなる。
その悪循環。
この引きこもりにも似た循環を頑なに維持する大人の皆さん。
最も大きな循環という意味では、椅子とりゲームにも似た、東京一局集中に原因を求めてしまいます。
ホワホ says:
12月 15, 2017
写りの所為か、タイトルの所為か
心なしか写真の四方も疲れて見えますねw
半ライス大盛 says:
12月 15, 2017
確かに、最近疲れを感じます。
労働観の相違なのでしょうか?
勤勉は美徳なり
とは一昔前の事で、最近は労働は悪い事のような、働き方改革?そういう
風潮を感じます。
頭で理屈で理解はしますが、心がついてゆかない。
そこに疲労感を感じるんじゃないでしょうか?
24時間働けますか?なんて時代は労働時間長かったけど
疲労はしてなかったような・・・
山田 says:
12月 16, 2017
中野さん、施さん、柴山さんと聞くと、2012年の元旦だったかに西部さんと四人で語り合った番組があったのを思い出しました、
本当に面白い番組で、いつか御三方の番組みたいなのあればなーと思いましたが、まさか佐藤さんが加わって実現するとは!
本当に楽しみです。
しかし、佐藤さんと中野さんの相乗効果はすごいですね!議論の幅が広くてハッとさせられる言葉ばかりです。
みんなが疲れているからの、優しく語りかけてあげなきゃいけないというのはなるほど!と、自分のモヤモヤが晴れた感じでした。
なぜゆとり教育が実施されたのか、自分的には解決した気がします。
最近、私の会社では必要以上に下の意見を気にしている傾向があり、下っ端の私としてはうざったいなと思っていたのですが、そういう社会風土からきてるものなのかと、とても納得できました。
来年以降の活動、心より楽しみにしております!
せい says:
12月 18, 2017
音楽文化に関して言えば、90年代の小室ブームから2000年代に入ると、癒しが流行ったのを覚えています。時期的には小泉改革ですね。個人的には、アニメのエヴァが流行った1995年頃から、世の中の元気が無くなってきた印象です。もっと言えば、バブル全盛時に、子供心に「こんなに無防備に浮かれてて大丈夫か」と直感してましたが、まさか30年も続くとは…。
玉田泰 says:
12月 22, 2017
現代の日本人は疲れているのでしょうか?
ただ、怠惰になっただけのような気がします。考えるのが面倒だから思考停止に陥って、空虚な自分を「疲れた」と都合よく言い換えているだけではないでしょうか。
大衆化が進み、自分を放り出す人が増えたのだと思います。僕の周りにも「無自覚にヨタヨタ歩くゾンビ」のような人が増えました。
今、藤井聡氏の「<凡庸>という悪魔」を読み返していますが、寄る辺なき大衆が爆発的に増加している気がします(因みに本書では、先生の著作も引用されていますね)。
この本を読んで、他人事のように「その通り」とうそぶく凡庸な人も多いのではないかと危惧しています。