川津祐介さんという

ベテラン俳優がいらっしゃいます。

 

ご本人のブログ

「川津祐介の神住まう家」

にあったプロフィールによれば、

正式な肩書は

1.俳優

2.陶芸家

3.画家

4.料理研究家

5.正農塾用務員

6.好辛倶楽部名誉会長

7.宇宙一の愛妻家

とのことなので、

たんに「俳優」とご紹介するのは

不十分かも知れません。

 

ただし

一般的には俳優として最も知られていますので、

ここでもそうさせていただきます。

 

1958年、

松竹映画「この天の虹」でデビュー。

青春スターとして人気を博したあと、

テレビドラマでも幅広く活躍されました。

 

1960年、

やはり松竹映画「青春残酷物語」

川津さんを主演に起用した

大島渚監督によれば

ボクシングの選手としての経歴もお持ちとのこと。

 

ちなみにこの映画にあった

川津さんが黙々とリンゴをかじる場面は

当時、非常に有名になりました。

 

松竹といえば1945年秋、

実質的な戦後日本映画第一号と呼ばれる

「そよかぜ」(同年10月11日公開)を製作した会社。

 

敗戦直後の流行歌の代表格たる「リンゴの唄」

もともと、この映画の主題歌です。

 

♬赤いリンゴに唇寄せて・・・

というアレですが、

1960年といえばそれからまだ15年。

 

ついでに日米安保条約の改定

国中が大騒ぎになった年でもあります。

 

そんな年につくられた「青春残酷物語」に、

主人公が黙々とリンゴをかじる場面が盛り込まれていたのには

製作陣の深い思い入れというか、

意味深長なものを感じますね。

 

さて。

 

俳優業のほかにも川津さん、

1988年には著書「こんなにヤセていいかしら」を大ヒットさせ、

骨盤体操を流行させています。

 

最近では、このブログでも何度か取り上げた映画

「セシウムと少女」

海神「海さん」の役で出演。

 

同作品には日本伝来の神々が7名登場するのですが

海さんはそのリーダー。

僧侶と海軍提督をミックスしたような人物像

重厚かつ軽妙という深みのある演技を披露、

作品を引き締めておられました。

 

こちらが「海さん」です。(↓)

 

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「セシウムと少女」については

私もパンフレットに

「『3・11』は『3・10』の翌日だ〜『セシウムと少女』を多面的に楽しむために」

というエッセイ(※)を寄稿していますので、

ちょっとご縁があるわけですが・・・

 

(※)3・11は自明として、3・10は東京大空襲の日付です。念のため。

 

じつは川津さん、ご自身のブログで

『戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する』

取り上げて下さっていたのです!

 

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 電子版もご用意しています。

 

本年4月、

熊本地震の余震が収まらない中で

お読みになったとのこと。

 

関連箇所を抜粋してご紹介いたします。


著者が

終章の『筋の通った未来のために』の章で

描いている着地点と

私が描いている人類全体の歴史の着地点は

必ずしも一致しないが

著者の真摯で真剣な

現状分析には頭が下がる。


私たちの国の未来

人類全体の未来について

真摯に

真剣に

考え

共に行動に移してゆく

同じ志を抱いた方と

私は語り合いたい。


同志の出現を

私は待っている。

 

もとの記事(4月20日付)をご覧になりたい方はこちらを。

 

川津さん、ありがとうございます。

ますますのご活躍を祈念するとともに

いずれお目にかかる機会があれば幸甚です!

 

なお「セシウムと少女」については

「表現者」誌の連載「一言一会」でも2回にわたって取り上げる予定。

10月16日発売予定の69号と、

12月16日発売 予定の70号です。

 

ではでは♬(^_^)♬