敗戦の翌年、

1946年5月19日。

 

皇居前広場で、食料(とくにコメ)を求める大集会が行われました。

参加者は25万人。

いわゆる「食料メーデー」です。

 

共産党のリーダーだった徳田球一は、

演説の最中、皇居を指して

「おれたちは飢えている。彼はどうだ」と怒鳴ったとか。

 

しかるにこの大会で有名になったのが、

松島松太郎という人物の持っていたプラカード。

そこには、こう書いてあったのです。

 

詔書

国体はゴジされたぞ

朕はタラフク食ってるぞ

ナンジ人民飢えて死ね

 

松島松太郎は不敬罪に問われ

同年6月に起訴されますが、

同年11月、日本国憲法の公布とともに不敬罪そのものがなくなったとして免訴になります。

 

厳密に言えば、

不敬罪ではなく名誉毀損でいったん有罪にした(第一審)にもかかわらず

弁護側が控訴すると

大赦により免訴する(第二審)とか、

大赦なので審議できない(第三審)などと

かなり強引な形でチャラになっている。

 

占領軍への手前もあって、ウヤムヤにしたかったということでしょうね。

 

とはいえ大島渚さんの紹介した逸話を踏まえるとき、

こんな疑問が湧いてきます。

 

松島松太郎は共産党員でしたが

(プラカードにそう明記してありました)

この人、ある時点までは

「陛下は君たち一人一人の腹の減り具合まで心配して下さっている」という例の教えを

心底、信じていたのではないでしょうか?

 

それが何かのきっかけで失望に変わったとき、

その反作用、

ないし反動として共産主義に走った。

 

つまり松島松太郎の共産主義志向は

皇室への敬意、ないし愛国心が化けたものではなかったか、ということです。

 

となると、問題のプラカードの文面にしても、

根底には皇室への信頼感が(裏返しの形になってはいますが)宿っていると見なしうる。

 

しばらく前、このサイトで

「皇室への敬意と共産主義志向は両立するか」という議論がありましたが、

両者がこんなふうに、表裏一体の関係をなすこともあったのかも知れません。

 

さしずめ、共産党員のひそかな愛国ですね。

ではでは♬(^_^)♬