しばらく前、ツイッターでこんな画像を見つけました。
面白いのでリツイートしたところ、
けっこう反応がありましたね。
むろん中には
「この図式は単純すぎる」とか
「自分はこのどちらでもない」とか
おっしゃりたがる方もいるでしょうが、
そんな方々には
エドマンド・バークさんより伝言があります。
健全な一般論は、
例外の存在を前提として成り立っているのだ。
(「新訳 フランス革命の省察」、86ページ)
・・・で、本題に戻りますと、
この図式、なかなかに意味深長。
つまり「右翼」(ないし保守派)とは
天下国家(とくに対外関係や歴史認識)レベルにおける保守にのみ敏感な人々
のことであり、
たいする「左翼」とは
生活レベルにおける保守にのみ敏感な人々
ということなのです。
裏を返せば、
保守派が左翼から「生活レベルの保守」を学び
左翼が保守派から「天下国家レベルの保守」を学んだとき、
日本という国の保守は、最も望ましい形で達成される
ということになる。
ただし問題の図式は
保守派は生活レベルにおける保守に関心がなく
左翼は天下国家レベルにおける保守に関心がない
ことも意味する。
したがって、
保守派が左翼から「天下国家レベルにおける保守への無関心」を学び
左翼が保守派から「生活レベルにおける保守への無関心」を学んだら最後、
日本という国の保守は、絶対に達成されない
こともまた事実。
つまり未来に向けた展望をつかむには
保守も左翼も、互いに相手から正しく学ぶことが必要だと言えるでしょう。
この点に先にめざめて
積極的に実践しはじめた方が
勝利を収めるに違いありません。
何にせよ、
「右か左か」という硬直した二者択一の発想が通用した時代は
やはり決定的に終わっているのです。
そんなわけで、あらためてこちらをどうぞ!
おかげさまで amazon のイデオロギー部門では
42日間(=6週間)連続で1位を記録しています。
ではでは♬(^_^)♬
1 comment
akkatomo says:
3月 9, 2015
まぁ、考えてみれば当たり前の話なんですよね。
一つの事業で埋めきれない穴を他の方に埋めていただく、というのは。
上図にあります右翼的左翼的な心情というのは
イデオロギーを別としても誰の心にも宿るものでございます。
生活を安定させるという事と、世の中を立派で正しいものにしていくという事。
この両者が対立していたかの如く捉えていたという事がよく考えてみればおかしい。
それらは一個の全体において、部分に過ぎないものであります。
そして、全体というものは部分より常に大きい。
で、あれば必然的にこの両者を相補する事も可能であると考える他ないでしょう。
しかし、それにしても右派左派を統合する全体とは一体全体何であるのか。
日本、及び日本国民と言う外ありませんが、
これを真正面から述べられるようになってほしいものです。