昨日の話の続きです。

 

世界に冠たるものだったはずの日本の漫画文化は

今や、かなり危機的な状態にある。

紙の単行本の販売額は

なんと1年で15%近くも減少。

 

かわりに電子版が伸びてはいるものの

こちらは過去の名作をガンガン値引きするという

「底辺への競争」的な商法によるものであり

新作の販売を促進するどころか

むしろ阻害しかねない。

 

漫画はタダ(ないしタダ同然)で読めて当たり前という発想が

読者の側に定着してしまえば

値引きできない新刊の単行本を

買おうとする者が減ってしまうからです。

 

はたせるかな、

無料の海賊版サイトがはびこってしまい

業界が強い危機感を抱くまでにいたっている。

 

だ・か・ら、

クールジャパンとは落ち込んだ文化ジャンルがさらに冷え込むことだ

という話になるわけですが

私にはこれが

日本における漫画出版ビジネスモデルが

長らく抱えてきた問題の最終的帰結のように思えます。

 

どういうことか。

 

1993年、

私は『アキラ』の最終巻刊行に合わせて

大友克洋さんにインタビューしたことがあります。

そのとき、エンキ・ビラルの話が出たんですよ。

 

ビラルはフランスの漫画家。

生まれはユーゴスラビア(現セルビア)のベオグラードで、

9歳のとき、パリに移住したのですが

圧倒的な画力と

青や緑、灰色にポイントを置いた独特の色彩感覚によって

フランスのみならず

ヨーロッパを代表する漫画家の一人となります。

 

映画監督としても

「バンカー・パレス・ホテル」

「ティコ・ムーン」

「ゴッド・ディーバ」

の3作を発表。

 

画力はもとより

クールな絵のタッチが

大友さんの画風とも共通していたため

話題に上ったのですが

そのとき大友さん、こんな趣旨のことをおっしゃったのです。

 

オレはビラルがうらやましい。

あいつは年に原稿を40ページ描けば食っていける。

こちらは2週間に一回、

「アキラ」を16ページ描かなきゃいけないんだ。

 

計算してみますと

大友さんが年間に描く「アキラ」の枚数は416ページとなります。

ビラルの10倍!

 

しかも年間416ページなら

日本の人気漫画家としては間違いなく少ない。

手塚治虫さんは、毎月200〜300枚だったと聞きます。

平均250枚としたら、年間で3000ページ。

 

石ノ森章太郎さんなど、

月産700枚の記録を持っているとか。

さすがに瞬間風速的なものだそうですが

だとしても、どうしてこんなに多いのか???

 

・・・これは日本の漫画出版が

ずっと薄利多売のビジネスモデルに従ってきたことと

無縁ではありえません。

 

漫画の単行本の値段は

今でも本体価格で400円(台)〜700円ぐらいが主流。

高くても1000円以内です。

 

活字の単行本に比べて、顕著に安い。

こちらは安くても1200円、

だいたい1400〜1700円ぐらいはしますからね。

ページ数にもよりますが、

2000円か2500円を超えないかぎり、

そう高いという感じはしないでしょう。

 

ひきかえ漫画の単行本に1400〜1700円なんて値をつけたら

メチャクチャ高い!! という話になるのは確実。

(※)愛蔵版・豪華版・限定版の類は除きます。

 

わが国で漫画が大量に読まれるようになるうえで

この安さが貢献したのは間違いない。

しかしそれは同時に

漫画は気軽に読めるもの

というイメージもつくります。

 

気軽に読めると言えば聞こえはいいが

これは読み捨てても構わない、ということ。

こうして迅速な大量生産と、迅速な大量消費のサイクルができあがってゆく。

 

けれども迅速な大量生産とは

つまり漫画家がひたすら量を描かなければいけない、ということ。

そして、ひたすら量を描かなければいけない状態では

全体としてのクオリティが上がりにくいのは自明の理。

内容的にも中身が薄くなりやすいし、

絵に凝ることも難しい。

 

ついでに安い値段で販売するとなれば

いい紙は使えないし

カラー印刷もできません。

その意味でも、絵に凝るのは割に合わなくなります。

 

そして絵に凝っておらず

内容的にも中身の薄い漫画が多くなる結果として

やはり薄利多売路線でなければ、という話になる・・・

 

早い話が

文化としてのレベルを上げにくい経路を

業界としてつくってしまったのです。

 

逆にエンキ・ビラルの作品は

絵も物語も恐ろしく密度が濃い。

単行本は1冊あたり50〜60ページ程度ですが

日本の漫画なら単行本3冊ぐらいになりそうな中身がある。

飛ばし読みなど無理です。

 

単行本3冊といえば500〜600ページですから

生産枚数が10分の1のかわりに、密度は10倍という次第。

そして、絵にたいする凝りようときたら。

 

仕事場のビラルの映像を見たことがありますが

彼の原稿はページ単位では制作されていません。

なんとコマ単位。

 

大きな作業用ボードに、

これまた大きなコマを一つずつ貼り付け

丹念に描きこんでゆくのです。

むろんフルカラー。

あとでつなぎ合わせて1ページにするんでしょうね。

 

すなわち原稿を仕上げるための労力も

日本の漫画の10倍ぐらいありそう。

これで採算が取れるのか?

 

取れます。

ごく単純に計算して、

原稿料や単行本の価格が10倍ならいいのです。

つまりは大判の美術書のような形で、本を出せばいい。

それだけの画力はあるんですから。

 

で、実際にそうなんですね。

 

手元にあるビラルの本『カオスの中の神々』(英語版)を例に取りましょう。

1990年ごろに買ったものですが

値段は12ドル95セント。

今なら15〜16ドルぐらいになるでしょうね。

 

1ドル=110円として1700円前後。

え、日本の漫画本の3倍ちょっとじゃないかって?

(※)400円(台)〜700円なので、中を取ると約550円となります。

 

値段だけならそうですよ。

ところが『カオスの中の神々』は64ページ。

日本の漫画本の3分の1ぐらいの長さです。

 

つまり1ページあたりで考えると

ビラルの本の値段は日本の漫画本の10倍ぐらい。

原稿料や単行本の価格が10倍ならいいという

先の話の通りになります。

 

日本の漫画は薄利多売のビジネスモデルゆえ

どうしても安かろう悪かろうのパターンにハマりやすくなるのにたいし

「値段はそれなりに張るが、クオリティは文句なしに高い」というパターンが

形成されているのですよ。

 

やはり素晴らしい画力があり、

絵に思い切り凝りたいタイプの作家である大友さんが

うらやましがるのも当然でしょう。

 

しかるに薄利多売の安かろう悪かろう路線で、

いったん値下げ競争が始まったら大変なことになる。

あっという間に底辺、

つまりタダにたどりついてしまうのです!!

 

形の上では大量生産・大量消費のサイクルが続いているように見えるかも知れませんが

実際にはどんどん収益がなくなってゆく。

とくに値下げできない新作は

「不当に高い」ということになり、

さっぱり売れなくなってしまう。

 

つまりはデフレスパイラル。

これで日本の漫画に未来があると思いますか?

 

わが国の漫画文化を今後も存続・発展させるには

「値段はそれなりに張るが、クオリティは文句なしに高い」

というタイプの作品が、

もっと出てくる必要があるのではないでしょうか。

このビジネスモデルなら、多売が成立しなくても採算は取れます。

ついでに漫画家の技量も向上するでしょう。

 

そして「高品質・高価格」路線と、

従来通りの薄利多売路線の二本立てで行く。

こうしないかぎり、漫画はどんどんジリ貧になってゆく気がしてなりません。

 

むろん、経済全体がデフレを脱却する必要もありますよ。

読者の側にも金銭的余裕がなければ、

新作をあれこれ買って読もうというゆとりは生じません。

 

とはいえ、それと同時に

「気軽に読み飛ばせて、絵もたいして上手くない200ページの漫画より

じっくり読まねばならない密度を持ち、絵も素晴らしい40ページの漫画のほうがいい」という

「量より質」の価値観を築いてゆくことも大事ではないでしょうか。

 

でないと読者に金銭的余裕があっても、薄利多売路線は変わらない。

この路線、もともと高度成長期に生まれたんですからね。

 

多少高くてもいい、本当にクオリティの高い作品をくれ!

 

読者の側からこのような声があがるとき

日本の漫画は真にクールになると思うのです。

 

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ではでは♬(^_^)♬