9月14日刊行の新著について

ゲラの校正作業に追われたうえ

「おはよう寺ちゃん」や『FRONT JAPAN 桜』、

さらには講演などもこなしたので

記事の間隔が空いてしまいましたm(_ _)m。

 

今回の本は

本文・脚注あわせて400ページ近いという

『未来喪失』(2001年)以来の大作ですが

担当編集者が「面白い!!」とエキサイトしてくれています。

 

目下、カバーデザインなども詰めているものの

素晴らしく斬新な仕上がりになる可能性があります。

乞うご期待!!

 

・・・ちなみに『FRONT JAPAN 桜』では

杉田水脈議員の「生産性」発言を取り上げたわけですが

本当はこういうフレーズで決めるつもりでした。

 

生産性とは、ふつう「産出/投入」で計算される。

しかるに子づくりは肉体労働。

つまり「投入」はベッドインの回数となる。

 

よって「産出/投入」ではなく

「出産/挿入」で計算すべし!

 

何か質問でも?

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そうならなかった理由については

ご想像にお任せしますが

どうも保守派のみなさん、

こういうことにはウブな傾向が強いようなので

それで正解かも知れません。

 

なにせあの程度の話について

生真面目に反発せずにいられない方まで散見されましたので。

 

あ、ちなみに動画はこちら。

 

「まあ、ネンネなのね」(※)個人の感想です。

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それはともかく。

 

平成最後の終戦の日が

まもなくめぐってまいります。

 

もっとも私、

この日を「終戦の日」などと呼ぶことに

以前より疑問を感じていました。

なぜか。

 

1945年8月15日は

日本と連合国の戦争が終わった日ではありません。

それはサンフランシスコ平和条約の発効した1952年4月28日。

 

しかも1945年8月15日は

日本が連合国に降伏した日ですらありません。

それはミズーリ号で降伏文書調印の行われた1945年9月2日。

 

ならば連合国にたいしてポツダム宣言の受諾を伝えた日か?

いえいえ、それは1945年8月14日。

 

1945年8月15日は

連合国にたいするポツダム宣言の受諾を、玉音放送という形で対内的に公表した日

にすぎないのです。

 

日本人のほとんどは

あの放送で初めて陛下の肉声を聴いたのですから

強烈なインパクトがあったのは想像に難くない。

 

しかし国際的には、さして意味のある日付ではないのです。

まあ韓国や北朝鮮のように、

この日を「光復節」や「解放記念日」として重視してくれる

ありがたい国もあるにはありますが

いかんせん少数派。

 

とはいえ、あの戦争の敗北からまず学ぶべき教訓があるとすれば、

それは次のようなものではないのか。

 

外国と関わる際、

とくに自国の覇権を確立しようとする際には

自分の都合や尺度にあわせて物事を考えるべからず。

なにせ相手は外国(人)なのだ。

向こうの視点を理解したうえで

つねに最悪の(=自分にとって都合の悪い)事態を想定するくらいでないかぎり

いかに善意や正義があろうと失敗する。

 

その意味で8月15日を「終戦の日」と呼んでいる間は

われわれは過去の教訓をちゃんと学んでいないと思うわけです。

 

ついでに気になるのは

9月2日や4月28日ではなく

8月15日を「終戦の日」と見なすことが

じつは現実逃避としての側面を持っている点。

 

だってそうでしょうに。

9月2日を「終戦の日」としたら、

戦争はただ終わったのではなく

日本の敗北と降伏で終わったことがクローズアップされる。

4月28日なら、

占領もまた戦争の一部だったことがクローズアップされます。

 

早い話が

日本の力ではどうにもならないところで歴史が動いていたことを

直視せざるをえなくなるんですな。

 

しかるに8月15日なら

昭和天皇の力で歴史が動いたかのごとく

印象づけられるではありませんか。

 

・・・実際、わが国の「終戦の日」で印象的なのは

昭和の戦争についての価値判断がつねに回避されること。

 

日本に正義はあったのか?

それとも日本は悪だったのか?

東京大空襲や原爆投下など、戦争末期のアメリカの行動は肯定しうるものか?

当時、アジアのほとんどが欧米の植民地になっていたことをどう思うか?

日本の戦い方は賢明だったと言えるか?

とくに戦争末期は、いたずらに人命を浪費するような真似をしたのではないか?

戦没者の大半が、普通の意味における戦死でなく、

餓死や戦病死、あるいは輸送船が沈められたあげくの水没死であることをどう思うか

 

これらの点が問われることなく

とにかく戦争は悲惨なものだから、繰り返してはいけない

という点だけが強調される。

 

分からなくはありませんよ。

上記の点を考えだしたら、

戦後日本のあり方が根本から揺らぎかねない。

 

本心ではあまり悪いと思っていなくとも

とりあえず自国が悪かったことにしておいて

冷戦下で上手に立ち回って経済的繁栄をつかむべく

最大の敵だったはずのアメリカに尻尾を振って従属した

という不都合な真実がバレてしまいますからね。

 

そして幸か不幸か(いや、幸ではあったのでしょうが)

対米従属のもとでわが国は

少なくともいったん、世界有数の経済大国になる。

 

となれば、戦後日本のあり方を根本から問い直すより

とにかく豊かになったんだからいいじゃないか

とばかり、

戦没者のみなさまの尊い犠牲のおかげで

平和で豊かな現在の日本があるのです

といったキレイゴトを並べたくもなるでしょう。

 

あのころはとにかく悲惨だったが、

今はとにかく豊かになった。

だから、あの戦争についての価値判断は

戦後についての価値判断ともども棚上げにしよう。

要はそういうこと。

 

けれども、過去に学ばない者は過ちを繰り返す。

このような思考停止が

回り回って現在の日本の衰退を招いているのではないか。

 

なにせ自国が滅びかけた体験について

まともな価値判断を回避したまま

かつての敵に付き従っているのですぞ。

繁栄がいつまでも続いたら、そちらのほうが不思議ってもんです。

 

2010年代末のわが国は

もはや豊かとは言えなくなってきているし、

どこまで平和かも疑わしくなっている。

 

平成最後の終戦の日を迎えるにあたり、

われわれがすべきことは

「とにかく戦争は悲惨なのだから」

「とにかく豊かになったのだから」

という思考停止のパターンから脱却することだと思えてなりません。

 

それは取りも直さず、

8月15日を本当に「終戦の日」などと呼ぶべきなのか、

あらためて真剣に考えることを意味します。

 

元号も新しくなることですし、

来年からは9月2日か4月28日を「終戦の日」にしませんか?

これができれば、

われわれの物の見方もずいぶん変わると思いますよ。

 

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ではでは♬(^_^)♬
(おまけ)
収録後のツーショットです。
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