さてさて。
unless too much pains are bestowed upon their conversion.
という場合の painsを
「苦痛」と訳すのが、例によって不適切であることは
昨日、お話ししました。
しかし小松訳の問題の核心はそこにはない。
「bestowed upon」の処理にあるのです。
何がまずいのか?
これは訳文から入ったほうが分かりやすい。
転向することがたいして苦痛ではないなら
と言ったとき、
苦痛を味わっているのは誰でしょうか?
当然、転向する人々ですね。
小松訳にならえば「浅はかな人間や敵意を持った者」。
ところが、でございますよ。
bestow は他動詞です。
他動詞の定義こちら。
ある客体に作用を及ぼす意味をもつ動詞(広辞苑より)。
つまり自分以外の対象にたいして、何かをすることを表します。
ついでに bestow の意味こちら。
「授ける、授与する」「用いる、(時間などを)費やす」(リーダーズ英和辞典より)。
自分で自分に何かを bestow することは
本質的に不可能なんですよ!!
すなわち
unless too much pains are bestowed upon their conversion.
の箇所は
(浅はか、ないし悪意を持った独立反対派の)意見を変えさせることに
あまり多くの労力を(独立推進派が)費やさなければ
ということなのです。
で、推進派が余計な世話を焼かなければ
浅はか、ないし悪意を持った反対派はどうなるのか。
will cease of themselves
姿を消す。
ペインの文意は明快であります。
しかるにこれを、
転向することがたいして苦痛ではないなら、
おのずから考えを変えるだろう。
と訳すのは、
果たして適切なことでありましょうか?!
そんなわけで、
みなさんにはあらためて
わが『コモン・センス完全版』をお勧めしておきましょう。
ではでは♬(^_^)♬
7 comments
マゼラン星人二代目 says:
8月 19, 2014
>苦痛を味わっているのは誰でしょうか?
>当然、転向する人々ですね。
>小松訳にならえば「浅はかな人間や敵意を持った者」。
その通りです。
>ところが、でございますよ。
>bestow は他動詞です。
わかってます。それがどうかしましたか、と申しあげたい位です。
>他動詞の定義こちら。
>ある客体に作用を及ぼす意味をもつ動詞(広辞苑より)。
>つまり自分以外の対象にたいして、何かをすることを表します。
ダウト!
この広辞苑の定義は、誤りではないが、ミスリーディングです。
「他動詞」とそれ以外を分ける要件とは、文法的には、構文上対格(受け身の文では主格)とつなげられるか否か、それだけです。
意味内容上の主客関係(作動関係)とは必ずしも関係がない。
ここでの動詞 bestow を例にとると、これ(“bestow”)が他動詞たる所以は、(能動文に直したとき) pains(苦労を)という対格をとることにある。ただ、それだけのこと。
意味内容的には、”upon their conversion”もbestowの作用対象になりそうですが、文法的には bestowの他動詞としての要件とは何の関係もありません。
つまり、upon 以下の内容如何によって、動詞bestowの他動詞としての性質が損われることは、ない。
>自分で自分に何かを bestow することは
>本質的に不可能なんですよ!!
したがって、仮に「自分で自分(とそれにまつわる事ども)に何かを bestow uponする」ことになっても、文法的には何の不都合もありません。内容的には「(何らかの行ないを通じて)自ら何かを招く」とでも解釈すればいいでしょう。
以上のことを念頭において、件の句を、小松訳にできるだけ寄りそう形で、以下のように訳してみる。
「彼らの転向に対して(“upon their conversion”)、too much pains が 齎される (“are bestowed”)ことがないならば」
→「彼らが転向するに際して、そのことで too much painsを招くようなことがありさえしなげれば」
これで何が問題なのか、わかりません。
その際、何故、再帰代名詞が使われていないのか(何故、THEIR conversion なのか)が問題になりそうです。
簡単です。
文法的には作動主体(明示されていない。学校文法なら “it” とでも置きかえるところでしょう)と、作動方向(their conversion)が同一者ではないからです。
だから、厳密に言えば「自分で自分に何かをbestowする」ことにすら実はなっていない。
意味内容に引きずられて形式を見失なわないこと。
せい says:
8月 19, 2014
やはり分かっている人が、まともな日本語で意訳して翻訳してくれないと、国民にも
広まらないし理解も出来ないですね。
そしてネットで2chなどでさらに短く超意訳されて広まっていくと。
せい says:
8月 19, 2014
マゼラン星人二代目さん
ちょっと文章の呼吸がきつくて読みづらいので、よくわかっていらっしゃる貴方がそこの箇所を全体通して意訳して「これがトマス・ペインが本当に言いたいことだ」というのを示してくれませんか?
>→「彼らが転向するに際して、そのことで too much painsを招くようなことがありさえしなげれば」
>
>これで何が問題なのか、わかりません。
一箇所の正しさよりも全文通して意訳してみてもらい、貴方の言う「正しさ」を知りたいです。それで意味が変だなと思ったら、「それってトマスの言いたいことと違うんじゃないの?」と分かりやすく判断できますので。古典の意訳って、ちゃんとしてるのだと、現代語訳でも論理的で明快で分かりやすいんですよね。徒然草とか。
マゼラン星人二代目 says:
8月 19, 2014
>ちょっと文章の呼吸がきつくて読みづらいので、よくわかっていらっしゃる貴方がそこの>箇所を全体通して意訳して「これがトマス・ペインが本当に言いたいことだ」というの>を示してくれませんか?
このページでのテーマは件の箇所をどう読むか、について文法的根拠に即して確定すること、に限定されていたのではなかったのですか。
原著者の思想の全体像を把握したうえでなければ発言を許されない、というのなら、正直なところ、私には参入資格がないので、降りさせてもらう。
あとは、どうぞ、ご勝手に。
SATOKENJI says:
8月 19, 2014
なんか、懐かしいフレーズですね。
もー says:
8月 19, 2014
『コモン・センス』は、限られた人達にしかわからないような(高尚な)ものだとは思えません。
文脈も文法も両方ある程度大事です。
小松訳は忠実に翻訳しているとは思えないです。
1.tooを無視している。(unless too much pains~は「painsは費やすだけ無駄」という意味としか考えられない。)
2.cease of themselves を「おのずから考えを変えるだろう」と訳している。(十分な説明のない詩のようなものならば、翻訳者が直訳から離れても問題はないと思います。)
佐藤訳は素直で筋も通っていると思います。もし間違いがあったとしても、それは(専門家が気づくような)些細なもの(trivial matters)でしかないと思います。
直訳を優先してある程度の水準の(普通の)日本語に訳すのが翻訳者の役割だと思います。
せい says:
8月 19, 2014
>原著者の思想の全体像を把握したうえでなければ発言を許されない
原著者の思想の全体像ではなく、No.1の全体の文章を、貴方の意訳でまともな日本語でいってみてほしい、と言ったのです。
別に原著者の思想の全体像を把握しろとはいっておりません。
1)トマス・ペインの原文
(T)hose whose sentiments are injudicious,
or unfriendly,
will cease of themselves
unless too much pains are bestowed upon their conversion.