さてさて。

unless too much pains are bestowed upon their conversion.

という場合の painsを

「苦痛」と訳すのが、例によって不適切であることは

昨日、お話ししました。

 

しかし小松訳の問題の核心はそこにはない。

「bestowed upon」の処理にあるのです。

 

何がまずいのか?

これは訳文から入ったほうが分かりやすい。

 

転向することがたいして苦痛ではないなら

 

と言ったとき、

苦痛を味わっているのは誰でしょうか?

 

当然、転向する人々ですね。

小松訳にならえば「浅はかな人間や敵意を持った者」。

 

ところが、でございますよ。

bestow は他動詞です。

 

他動詞の定義こちら。

ある客体に作用を及ぼす意味をもつ動詞(広辞苑より)。

つまり自分以外の対象にたいして、何かをすることを表します。

 

ついでに bestow の意味こちら。

「授ける、授与する」「用いる、(時間などを)費やす」(リーダーズ英和辞典より)。

 

自分で自分に何かを bestow することは

本質的に不可能なんですよ!!

 

すなわち

unless too much pains are bestowed upon their conversion.

の箇所は

 

(浅はか、ないし悪意を持った独立反対派の)意見を変えさせることに

あまり多くの労力を(独立推進派が)費やさなければ 

 

ということなのです。

で、推進派が余計な世話を焼かなければ

浅はか、ないし悪意を持った反対派はどうなるのか。

 

will cease of themselves 

姿を消す。

 

ペインの文意は明快であります。

しかるにこれを、

 

転向することがたいして苦痛ではないなら、

おのずから考えを変えるだろう。

 

と訳すのは、

果たして適切なことでありましょうか?!

 

そんなわけで、

みなさんにはあらためて

わが『コモン・センス完全版』をお勧めしておきましょう。

 

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ではでは♬(^_^)♬