10月25日の記事
「55年体制は不毛だったらしい、または選挙結果をめぐる考察」
について、
豆腐メンタルさんから以下の質問がありました。
おおショック
先生!勝手ながら是非とも御教授ください。
55年体制下の成長は紛れも無い事実。
成長し豊かになったことの異論は全くありません。
正に経世済民の期間であったと理解しています。
では一方、自民党以外の選択肢が事実上無かったことの”弊害”の大きさはどうでしょう。
効率的に高い成長を実現できる間は、独裁的体制に満足した。経済的には問題なし。
しかし、この独裁的体制への一辺倒な適応が日本の民主主義を、
経路依存的な炎上政治の今に至らしめたのではないでしょうか。
これは、しょうがないことと受け入れるべきことなのでしょうか。
日本の政治が「経路依存的な炎上政治」にいたった過程については
『対論「炎上」日本のメカニズム』第六章
「仮相と炎上の戦後史」で詳述しました。
よって、まずはこちらをご覧下さい。
そのうえでお答えするならば・・・
いろいろな回答ができるんですよ、じつは。
1)55年体制を「独裁的」と形容するのは妥当ではない。
さまざまな政党が存在していた以上、自民党の一党独裁でないのは明らか。
さらに野党が政権を奪取する可能性は、つねに保証されていました。
よって「選択肢がなかった」のではなく、
「国民がそのような選択肢を取らなかった」のです。
2)55年体制下で「政権交代のチャンスがなかった」というのは結果論である。
1970年代には「保革伯仲」という現象が生じました。
革新(つまり社会党をはじめとする左翼・リベラル)の議席数が、
保守(つまり自民党)に迫ったのです。
むろん、国会運営は不安定になる。
ついでに事と次第では、次の選挙で政権交代だってありうるかも知れない。
当時の自民党は、けっこう危機感を抱いていたのですよ。
3)55年体制における自民党は、今より幅広い立場を包含していたし、
「政権を担う以上、対立勢力の立場もくみ取ってやらねばならない」という意識があった。
なにせ、あの枝野幸男さんがこんなことを言っているくらいです。
リベラルと保守は対立概念ではない。
かつての(自民党の)大平正芳さんや加藤紘一さんは
「保守だけどリベラル」と言っていました。
あえて言うと、私の立ち位置はその辺だと思います。
(リベラルとは)多様性を認めて、
社会的な平等を一定程度の幅で確保するために、
政治行政が役割を果たすという考え方です。
これは、かつての自民党そのものです。
枝野さんの立場が本当に「かつての自民党そのもの」かはともかく、
政権を担うのが当たり前だったころの自民党には、
それに対応した幅広さや奥行きがあったとは言えるでしょう。
ついでに。
政権を担うのが当たり前というのは
いわゆる「党内政局」をやっていても下野する恐れはない、ということでもある。
つまりは派閥対立も盛んだったわけです。
いいかえれば、自民党の中に野党的要素が入り込んでいた次第。
その意味では、今後の自民党もそうなるかも知れませんね。
4)政権交代が起きればいい、というものでないことは、過去25年の歴史に照らして明らか。
こう言っては何ですが、
経世済民を追求するだけの政権運営能力を持たない政党が
たまさか政権を獲得してしまうことほど
命取りになるものはないのです。
1993年の政権交代のときも、
2009年の政権交代のときも、
自民党に代わって政権を担った政党の末路は悲惨そのもの。
消滅するか、万年弱小野党へと没落するかの二者択一と言っても過言ではありません。
日本新党、新生党、新党さきがけなんて
みなさん、もう忘れているんじゃないですかね?
社会党(現・社民党)も、
とにかく存続するのがやっというありさまで、
往年の野党第一党の面影はどこにもない。
そして下野したあとの民主党(現・民進党)の体たらくときたら・・・
だ・か・ら、
『右の売国、左の亡国』というのですよ!
ならば、55年体制に弊害はなかったのか?
もちろん、そんなことはありません。
この体制の最大の弊害は
経世済民を(ほとんど予想以上に)達成してしまったことを通じて
「富国弱兵」という国のあり方は持続可能だ
という発想を定着させてしまったことにあるのです。
けれども中野剛志さんが再三、力説してるとおり
富国弱兵のもとでの長期的な経世済民はありえないのですよ。
マキャヴェリにならえば
金の力で平和を勝ち取ろうとする姑息な国家が、
いずれ破滅する運命にあることは歴史が証明している(※)
のであります。
(※)これはマキャヴェリの主張を、中野さんが要約したものです。
エドマンド・バークもこう言いました。
金銭の扱いに強いのは良いことである。
ただし、しっかりした秩序が基盤になければ話にならない。
(↓)本書306ページをどうぞ。
ところが日本では、保守もリベラルもこの点に直面したがらない。
対米従属を前提とした富国弱兵志向(親米保守)か、
対米従属を表向き拒否し、富国にも関心の弱い弱兵、ないし無兵志向(リベラル)か、
やはり富国に関心の弱い強兵志向(いわゆる「保守派」)が
互いに罵りあっているではありませんか。
富国「と」強兵をともにめざすことが
長期にわたる経世済民の必要条件である点が
みごとに無視されているのです。
国民がいかに55年体制の再来を願おうと
「富国弱兵路線のもとでの経世済民達成」という
同体制の本質に回帰することは
今や不可能だと言わねばなりません。
ではでは♬(^_^)♬
9 comments
GUY FAWKES says:
10月 26, 2017
豆腐メンタルさんによる問いかけと佐藤先生によるご回答は先般、先生がご著書や各講演にて述べてきた核心を詳らか、
且つ簡潔にして明瞭に明らかにされています。
私の様な能無し弱卒が僭越ながら纏めさせていただきますと、戦後日本は『富国弱兵』…
即ち「吉田ドクトリン」の拡大再生産を他ならぬ日本国民がローコスト・ハイリターンな代物と我先に飛びつき、
必死にしがみついて離さなかった。ここに生まれた経路依存性は一億二千万の国民全ての無意識に棲みついている、
雀の涙にも満たぬ極一部の例外を除いてはこの呪縛から逃れられる者は何人たりともありません。
2年前の安保法制狂想曲の時、国会前でとあるリベラル派の若き政治学者さんが仰いました、
「安倍総理、あなたこそが戦後レジームです!」…と、しかし私に言わせていただければ
「日本国民は九分九厘、それ自体が戦後レジームを内包して逃れられない」のです。
社会党が政権獲得後に自衛隊・国家国旗に合憲と打ち出した「ムラヤマ化」と佐藤先生が仰った様に、
政権に近づけば必然的に保守化(現実路線)にならざるを得ないという、文字通り「シーソーゲーム」を繰り広げた。
そのシーソーの支点がソ連崩壊辺りからぶち壊された結果、古参の政党は与党は狂った様に政党内部から国家の政治経済において
構造改革を繰り返し、野党は泡沫の夢うつつと消えかけ、国民の側もインターネットやSNSの発展と共に
いつ、何処で、誰が、どんな意見をぶち撒けても構わない様な状況になったのも自明の理と考えます。
正に虚構と幻想をリソースとする『炎上』の核融合炉であります。
…そういえば少し考えたんですが、戦後日本とは昨今のノーベル文学賞作家であるカズオ・イシグロ氏の代表作
『わたしを離さないで』に登場する保護閉鎖施設「ヘールシャム」とそこで“とある目的の為”に管理育成されている
「提供者」に見間違う様に思える今日この頃です。さしずめ、『ツジツマを合わせないで』(苦笑)
レギーム作 says:
10月 26, 2017
私なんぞは、十数年前は派閥政治許すまじ!って調子で派閥政治が壊れていく様を、
ボーっと見てたクセに、今度はその壊したものにすがろうとしてるのかい?ってな具合で、
大衆批判で締め括る、程度の認識に甘んじておりました・・・。
おみそれしました。
おちゃらけてる場合じゃなかった(-_-;)
豆腐メンタル says:
10月 26, 2017
身勝手な願いを聞き届けていただき恐縮の至りです。
お忙しい中、本当にありがとうございました。
富国弱兵。。まさに。
ただ解消しないところがあります。。考えをまとめてから再度書き込ませてください。
3)のところです。政治または統治における理念の消失か混乱が生じている。
私にとり核心の部分です。
豆腐メンタル says:
10月 26, 2017
『「炎上」日本のメカニズム』第6章を読み直しました。
昨夜、解消しなかった点が解消いたしました。さすが先生。失礼ながら苦笑
やはりラブレターは寝て起きてからぐらいでないといけませんな。
以下私の解消しなかった点です。
戦後日本の炎上構造である「白か黒か」つまり「正義か悪か」が、55年体制下の”自民党のコンビニエンスストア的政策スタンスの拡張”で有権者を煙に巻くことの問題点を考えていました。ちなみに、今回の選挙でもこの問題の影響は小さくはなかったと思われます。
先生の論考にある様に、自民党のみならず党の綱領が形骸化し、枝野氏の記事の様な言葉や意味付けの混乱に対して打つ手が無くなる一方だと考えたからです。
つまり、「保守だけどリベラル」や「(枝野氏における)リベラルとは」という言葉の撹乱や意味の乱用に対して多くの有権者は打つ手が無い。混乱したまま選べと迫られるわけです。
しかし真面目に考えすぎていました。
今も昔も有権者とは、または民主主義とは今と変わらない。
敗戦のショックに直面させないという核心的欲求に比べれば、言葉における混乱など付随的で自然発生的なことかもしれません。
しかし。。問題点が無くなるのではありません。
「構造改革とグローバリズム志向」とは白をさらに白くした欲求である上に、無自覚な「富国と強兵」を別々に扱うお花畑な態度に対しては、正に末期的と言う他ありませんね。
しかも世界と比べて周回遅れと来たらもう。。
マゼラン聖人二代目 says:
10月 26, 2017
>日本新党、新生党、新党さきがけなんて
>みなさん、もう忘れているんじゃないですかね
さすがに、それはない。
とはいえ、「太陽党」のことはすっかり忘れてた。
それと、「フロム・ファイブ」なんてのもあったのというのは、いま、はじめて知った。
洋一 says:
10月 27, 2017
『富国弱兵のもとでの長期的な経世済民はありえないのですよ。』
そんな、身も蓋もないこと言っちゃうから・・・
遠藤賢司さん、死んじゃいましたよ
(´Д⊂グスン
洋一 says:
10月 31, 2017
『ミネルヴァの梟は迫りくる夕闇とともに飛び始める』
メルケル says:
10月 29, 2017
「富国弱兵路線のもとでの経世済民達成はありえない」
まさにこれですよね。これに尽きる。「富国と強兵」の事をちゃんと考える事が、まともな国家の在り方、
延いては日本の在り方とは?を考える事に繋がる。この観点を失くして富国、つまりデフレ脱却もまた
不可能では無いかと思います。つまり富国の為に国家が投資する(お金を使う)事=国が強くなる事は悪
だ、と言うような思想に囚われている限りは。
そして緊縮に緊縮を重ね、ただ衰滅していくのみ…。
玉田泰 says:
10月 30, 2017
この記事を読んで、今回の選挙は、富国「と」強兵を政策に掲げる政党が無かった、まさに選択なき選挙だったと改めて痛感しました。
例えば、小池氏が政策に目覚めてブレーンを揃えていたら、小池新党は自民党に物申す第三極足り得ていたのかも知れませんね。都政で政局に執着するのを悪戯に持て囃した我々(特にマスコミ)の責任ではないでしょうか。
政治家を育てる、という意識が、どこか決定的に欠けているのかも?