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というわけで、
今回の「闘論! 倒論! 討論!」のメンバー紹介と行きましょう。
西部先生です。
西川京子さんです。
富岡幸一郎さんです。
三浦小太郎さんです。
杉田水脈(すぎた・みお)さんです。
Sayaさんです。
これに私を加えた7人がパネリストですが、
真打ちはやはりこちら!
水島社長です。
(12月の討論番組の際に撮影したものです)
なにせ今回の討論のハイライトの一つは、
西部先生と水島社長の白熱バトルですからね(ホント)。
私は前回の出演から2週間で再登場となりましたが
これは本当に充実した内容になったと思います。
日本の良さって何だ?
今日の20:00放送です。
お楽しみに!
ではでは♬(^_^)♬
4 comments
HS says:
2月 15, 2015
YouTubeでまだ討論の1/3しか観ていないのですが、西部氏はすべてわかっていて、あえて一見異を唱える形で議論に「石」を投じることによって多層な視座を提示してくれる。そこに不世出の、類い稀な知性と言語的天才である知識人・思想家西部氏の真骨頂がある。談論風発を好む西部氏は常に討論においてそれをおそらく意図して、あえて「悪役」に徹しているのではなかろうか。議論の場で意識化されない多角的な論点や論理を提示することによってこそ議論は思想的・重層的に深まってくれる。思想的深まりのある議論とはかくあるべきという稀有の機会を西部氏は示してくれる。西部氏のいない議論の場は思想的に平板になってつまらなくなる。
ぬこ says:
2月 15, 2015
HSさんの意見と同じです。西部先生と言うのは判った上で若手の論客を試している所がありますよね。あと、やたらに横文字を使って解説なさりますが、それは将来日本の若手言論人が西洋の論客と対峙する事を想定しているのではないでしょうか?西洋のエリートは意地が悪いですからね。
test says:
2月 16, 2015
「あえて」っていうのは違うと思いますね。西部先生はいつも素朴に思うことを述べてるだけであって、でもああ見えて発言には気を遣ってると見受けます。
今回の討論はいつにも増して、他のパネリストの盲点をズバズバ斬っていましたが、それでも
他のパネリストが憤慨しないのは、その論に隙がないというか、Inperfectionなのでしょうが、かなりPerfectionに接近している論だからと思います。
西部先生を理解した人から順に、右か左かの時代から抜け出せると思いますね。
フルート says:
2月 19, 2015
討論とても勉強になりました!佐藤先生の『愛国のパラドックス』と、『自信』のお話、そして『二重化(二重性)』のお話と、西部先生の『変化の規模や速度が小さい時には、水島社長のおっしゃった様なこの列島のある種の有機的な一体感を感じる事はできて結構毛だらけになるのだけど、ところがそうはいかないのがね、日本人の大矛盾は、(中略)次々と新しいものに跳び付く訳です。跳び付くという事は次々と有機的な一体感が破壊されてひび割れていく。一方でひび割っておきながら「私達は有機的な一体感の中にあるんです。」ってそういう嘘はもう通じないって話なんです。』というお話を、私なりに手掛かりにして討論を振り返ってみました。
まず杉田水脈前議員は、日本の地政学的な特異性を説かれましたが、私は少し奇妙にも思いました。杉田さんはTPP推進論者なのです(また橋下市長型の地方分権を強く支持、国土強靭化に反対、カジノ解禁に賛成で、これは余談ですが・・好きな映画は「マーガレット・サッチャー ~鉄の女の涙~ 」との事です)。杉田さんは、TPPに於いても日本の地政学的制限より日本の地政学的優位性をこそ見ているという事なのでしょうか。ただ私が本当に奇妙だと感じましたのは、橋下市長の所謂慰安婦発言への杉田さんの論理なのです。(※要約をさせて頂きます。)『橋下さんは非常に“人間的”で本音と建前の“本音”で喋る人だが、(橋下さんの発言には)“日本国内と”海外とで反応に差があり、この反応の差に驚いたのは大阪の人だけではなく多分“日本人全員が”そのギャップを思い知らされたんじゃないかなと思って、一神教の事などもきっちり学ばないと、その差ってのを学ばないといけないと思った。』との事なのですが、まず橋下さんに賛同されていない方は大阪にも沢山いらっしゃいますし、また日本人全員が橋下さんと同じ意見であったり、橋下さんに擁護的であったなどと言うのは更に考えられない事です。そもそも橋下さんご自身が、ご自身の発言に本当に納得されていたのかだって本当の所は解らないものです。杉田さんは、橋下市長の本音と建前の本音が日本人全員に共有されていたとおっしゃいましたが(これこそ単に杉田さんの本音が作らせた余り上手ではなかった建前という話かも知れないのですが問題は後に続きます)、sayaさんの『(日本人は言霊を大事にする民族の筈なのに)街に言葉が溢れているのに、誰も気に留めていない、真剣に見てない、若者も人の話を真剣に聞いていない。それに政府の「待った無しの農業改革」も、待った無しって誰が待ってるんだって..』への答えとして出された西川前議員の本音と建前論、そして議論の最後に出された水島社長の本音と建前論にも、杉田さんと同じ擬似的一体化による本音と建前の熔解が見られた様に思うのです。
水島社長はTPP反対・竹中改革に反対の筈ですが、所信表明演説で安倍総理は「改革」を説くこと34回、「格差」に触れられた回数は0回です(「格差」という言葉に触れない替りに「一人ひとりの選択が実現できる環境を整えて参ります」という言葉を選択されました)。水島社長は討論の最後にこうおっしゃいました。『政治家の話なんてね、建前で言うだけじゃないですか。現実的にてめぇが考えてもいない白々しい事をね。~中略~(日本の庶民は)結構リアリストだと思いますけどね。』勿論演説ですから、建前が多くなるのは理解しなければいけない事。ですが誰の何が誰の何へ託した・或は遠慮してできた建前なのかを完璧に把握する事は人間に無理でも(自分の事だって完璧に把握し尽すのは不可能かも知れません)、自分には自分の、相手には相手の本音と建前があって、きっとそんな本音と建前のそれぞれがまた二重性を保っているから、人が人を語る事は簡単では無いけれど、だからこそ理屈で全てを説明できない文芸や文化が育ったのであって、この理屈で説明しきれない二重性・複雑性を実は無くしてしまうのが、理屈では説明しきれない二重性・複雑性そのものである歴史を盾に取った人と政治との擬似的一体化なのかも知れないと思いました。この人と政治との擬似的一体化は、一見本音と建前の在りかと経緯を探り当てたという錯覚は起せても、実際には本音と建前を解らなくさせる。そもそも仮に事の経緯と関係性を把握できた状態というものを現在に仮定しても、この仮定が今の時点で成立したからといって現実の未来で成立するとは限らない。急進すれば失敗する可能性は高まってしまいます。日本の悪い所ばかり数えたり、良い所ばかり数えるのも、二重性の存在を煩わしがって取り払ってしまった結果起こった極端から極端への振れかも知れないのです。西部先生節の『お陀仏』へ人間が陥らずに葛藤をし続けて行く為にこそ、二重性の存在が必要なのかも知れないと思いました。