9月6日の記事
「日本のミサイル対応を羨ましがる人々」で紹介した
「ツイン・ピークス全日マラソン」について
さらに面白いことに気づきました。
「ツイン・ピークス THE RETURN」では
1945年7月16日、
アメリカで行われた世界初の核実験の模様が詳細に描かれます。
この場面が登場するのは第8話。
で、全日マラソンは9月3日の午前4時(アメリカ東部標準時)にスタートしましたので、
核実験シーンが放送されたのは午前11時台ということになります。
しかるに北朝鮮が水爆実験をやらかしたのは
同日の午後0時31分。
実際には時差があるとしても
ツイン・ピークスの核実験と
北朝鮮の核実験の間には
不気味な符合が感じられると言わねばなりません。
ついでに第8話のサブタイトルは「GOT A LIGHT?」。
火を付けてくれる?
炎よ、核とともに歩め! という感じではありませんか。
(↓)この本の最後のフレーズにも通じることは、読んだ方ならご存じですね。
それはともかく。
戦後日本の漫画、
いやポップカルチャー全体に偉大な足跡を残した天才
手塚治虫さんの作品に
「すきっ腹のブルース」という短編(1975年)があります。
敗戦直後の大阪を舞台に
大寒鉄郎(おおさむ・てつろう)という
手塚さんそっくりの若者が
漫画家を志しつつ
言いしれぬ飢餓感と格闘する話。
ちなみに手塚さん、
その前年には
戦争末期の大寒鉄郎を描いた
「紙の砦」という短編を発表しています。
大寒少年、こちらでは
宝塚音楽舞踊学校(※)の生徒と恋仲になったりするのですぞ。
(※)宝塚歌劇団の養成所。
現在は「宝塚音楽学校」だが、当時はこう呼ばれた。
むろん「おおさむ・てつろう」という
まさしくawesome なネーミングが示すとおり
どちらの作品も
自伝的要素が盛り込まれているとはいえ
あくまでフィクションですので、念のため。
二つの短編は、
『手塚治虫名作集1 ゴッドファーザーの息子』(集英社文庫、1995年)
にも収録されていますが、
公式サイト「手塚治虫と戦争」では無料で読めます。
じつは10月発売の「表現者」75号に
これについて書くのですが・・・
「すきっ腹のブルース」を読んでいて、興味深いことに気づきました。
前半、大寒鉄郎が黒人兵から
似顔絵を描いてもらったお礼として
缶入りの携帯食糧、
いわゆる「Cレイション」をもらう場面があります。
手塚さん、
缶詰の中身をしっかり図解していらっしゃる。
ところが、たいへん申し訳ないのですが
Cレイションに関するウィキペディアの記述に照らしてみると
どうも正しくないのです。
しかもこれが
何とも切ない間違え方をなさっているのですよ。
どういうことかと申しますと。
Cレイションには
肉を中心とする主食の入ったMユニットという缶と、
パンやデザート、粉末飲料の入ったBユニットという缶があります。
MユニットとBユニットがセットで1食。
M、Bそれぞれについて
何種類か中身の違うものがつくられていますが、
この点は脇に置きましょう。
けれども「すきっ腹のブルース」で、
大寒は黒人兵から缶を一つしかもらっていません。
そして中身を図解したコマでは
MユニットとBユニットの中身がごっちゃになって出てくるのです。
ご存じの通り、
太平洋戦争における日本兵の死因は
病死や餓死がかなりの割合を占める。
16歳で敗戦を迎え、
当時の食糧難を身をもって体験した手塚さんにとって、
兵士が1回の食事に缶詰2個を開けるというのは
ちょっと想像できなかったのではないでしょうか?
小松左京さん(手塚さんより2歳年下です)のデビュー作「地には平和を」にも
Cレイションをめぐる描写が出てくるものの、
こちらを読んでも、「2缶で1食」という感じはしません。
ただしこちらのCレイションの中身は
煙草、レモンパウダー、ビスケットという具合に
Bユニットで統一されていました。
他方、手塚さんの描写も
ただ間違っているわけではありません。
缶詰を受け取った大寒は、すぐに開けてみるのですが
その際、彼は缶切りを使わず
細く小さな棒状のものを回転させています。
しかるにウィキペディアによれば
Cレイションの缶のフタには
わずかにめくれたところがあって、
缶の底に貼り付けられた金属棒にそれを巻き付けてゆくことで開けるのだとか。
拝察するに手塚さん、
本当にCレイションを開けた経験がおありなのではないでしょうか。
それでも「2缶で1食」という点は見落とされた。
ここが切ないのです。
今年も9月になりましたが
占領体験を語り継ごうとか
占領体験を風化させるなといった声は
例によって聞こえてきません。
とはいえ占領体験をあらためて直視しないかぎり
『右の売国、左の亡国』は避けられない気がしますね。
そして過去を全否定した国が
いかなる状態に陥るかは、
この本に述べられている通りです。
ではでは♬(^_^)♬
11 comments
momo says:
9月 8, 2017
フランス革命では革命派の詐欺に騙された国民が反乱を起こしました。
じゃあ日本は?国民が前衛となった革命がありましたでしょうか。
フランス革命後のフランスと現在の日本、起きている現象は酷似していますが、過程がだいぶ違うように思います。
小泉構造改革がフランス革命と同価値なんでしょうか。酷いものではあったものの、フランス革命ほど大それたものだったとはちょっと思えません。
結局、日本の失態は何が本質的な原因だったのでしょうか。
mashimaro says:
9月 10, 2017
普通はあれこれ押し付けられ、その反動でああいったものは起きるものですが、日本では進んで苦しくなろうとしている。そこが失態の原因でしょうね。
小泉改革なるものに賛同してしまうようなものが政治に関与すれば、酷いと思っていた仕組みなり体制をさらに酷いものに仕上げてしまうというオチになるのでしょう。
Daniel says:
9月 8, 2017
私も是非、Cレーションを食べてみたいと思いました。不味いものとは聞いていますが、本当にそうなのか。意外にイケてるのかも。そして何しろ、米兵の食欲を満たすほどのものです。大きさって、どの程度のものだったのでしょうかね。
またしてもですが、私は祖母に、戦時下の食糧事情について少年時代に聞いてみたことがあります。映画とかだと、戦時下や戦争直後では、皆が飢えてたみたいだけど、やっぱりそうだったの?と。祖母はあっさり、別に食料に困ったことは全然なかった、と答えました。ただ、砂糖が入ってこなかったことだけは、本当に参ったなぁと。
これは田舎での私の生活実感としても、誠に頷けるところです。毎日毎日、何かしら畑で、新鮮で美味い野菜が山ほど穫れる。親類とかからも、ちょっとこれが穫れ過ぎたからと、何かしら勝手に持ってきます。旨いのでついつい箸が進みますが、正直、食い切れません。工夫すれば、冬場でも或る程度の収穫は可能ですし、別に収穫に頼らなくとも、漬物にしとけば、年中食えます。
米だって、馬鹿正直に全量を供出する訳ないじゃないですか。自家用米や、場合によっては街や山家に行った親類にあげられる分までくらいは、地下に埋めてでも秘匿して確保するのが当り前です。江戸時代の年貢制の時代でも、庄屋様やお役人のお侍様には、さもひもじい思いをしてます風に悲壮感を漂わせて、終ったら、ペロッと舌を出して家で米を食ってるのが、立派なる農民根性です。
別に米でなくとも、裏作の麦もありますし、何と言っても、準主食は、芋です。芋はいいですよ、旨い。蛋白質だって、昔はどこも鶏を飼っていましたから、新鮮な玉子が毎日食えます。玉子を産めなくなれば、潰して喰う。川や池に網を打てば、幾らでも魚が穫れますし、探せば蝦や蟹までいる。鰻だって昔はどこにでも居たのですよ。それに、大豆と塩さえあれば、味噌や醤油にも不自由しません。
甘いものも、果樹を植えておけば、まぁ凌げます。生果でなくとも、例えば干柿にしとけば、年中甘いものにありつけます。蜂蜜っていう手もありますね。
こう言うと語弊があり、反発もあるものと思いますが、都会の人間が困ったからと言って悲嘆したり物乞いしに来たって、勝手に田舎を捨てて街で快適な暮しを営んでいたくせに、そのくせ田舎を平生馬鹿にしていたくせに、同情なんかしないよって思います。
三橋貴明さんじゃありませんが、金銭ではなくて、生産力こそが、経済力そのものなのです。
そのせいか、手塚治虫先生の悲壮な昔話って、ご本人方には確かに真実だったのでしょうが、やっぱり私には違和感があり、十分には共感できないのです。
済みません、冷たい人間で。でもやっぱり、ベースが何か、余りにも違う気がするんですよねぇ。
SATOKENJI says:
9月 8, 2017
「すきっ腹のブルース」における大寒鉄郎の飢餓感は、
たんに腹が減っているだけでなく、
敗戦・占領によって何を信じていいか分からなくなった
という精神的飢餓でもあると思います。
詳細は10月16日発売の「表現者」75号をどうぞ。
Daniel says:
9月 9, 2017
成程。了解しました。来月、改めて確認してみます。
ご指摘されて初めて気が付いたのですが、手塚治虫先生の作品には、その類いのテーマ(従来的価値観の喪失による飢餓感)がチラホラ見受けられるなと思いました。
ただ(或いは、だからこそ)、主人公らには、新価値観との相克の過程でも、一種の虚無感が漂う。私には、何だかその辺りに違和感を感じてしまっていたのだろうと感ぜられました。
私が能天気に生きてしまってきたからなのでしょうかね。この違和感が拭えなくなってきた頃から、私は手塚先生の作品を読まなくなりました。
私は昔、高田馬場に暮していたことがありまして、自分ちのアパートの玄関を出ると直ぐ対面に、虫プロがありました。
高田馬場駅ガード下の壁一面に描かれたアトムの絵を見ながら、馬場駅のテーマであるアトムの主題歌を聞きながら、いつもついつい手塚先生のお顔を思い浮べていたことを思い出します。
Daniel says:
9月 9, 2017
チラッと思いましたが、手塚先生が当時、お腹一杯食べられていたなら、その精神的飢餓感は、どうなっていたのだろうかなと。
少なくとも、後世の名作は成らなかったかもしれませんね。そうすると、日本の漫画史、否、世界の漫画史も、相当違っていたんでしょうね。
Daniel says:
9月 10, 2017
しかし、その段でいえば、農村で保守が多く、都市でリベラルが多いという要因の一旦は、農村においては、生理的飢餓の解消(腹一杯)が、精神的飢餓の(部分的)埋合せにまで及んだから、という仮説が立てられそうですね。
GHQが農地解放を急いだのには、このような背景もありそうですね。そしてならばそれは、見事に当ったというべきかもしれません。全国の地主様には、大変な犠牲を強いてしまいましたが。
SATOKENJI says:
9月 10, 2017
それは「あり」ではないでしょうか。
ついでに近代化の進んだ都市部を見返すこともできましたしね。
ちなみにマッカーサーは、
父アーサーがフィリピンで農地改革を試みたものの成功しなかったこともあって、
農地改革には力を入れていたと言われます。
豆腐メンタル says:
9月 8, 2017
月並みなんですが、手塚治虫の作品の多くが体験に基づいているのは、自らの体験を後世に伝えずにはいられないほどのショック故でしょう。
ところで私は「純文学とはなんなのか」と考えたことがあります。
結果、「ストーリーや展開を重視するのではなく、あることの姿や形(形象)を描くことを重視する文章表現=純文学」に落ち着きました。
漫画と文学を同列に理解できるとも思いませんし、もちろんこれは私の頭脳の限界です。
ただ、このところの先生の投稿を拝見するにつけ、手塚治虫のみならず戦後の日本全体にもこの”定義”が当てはまるのではと考えるようになっています。
先生の述べておられる「占領期を直視できない戦後日本の改革路線」とは、「ストーリーや展開を重視する」に当たるのではないか。文学賞では直木賞系。
一方、私の考えの純文学における「姿や形を描くことを重視」する路線とは今も我々が失い続けている日本なのではないか、と。
つまりこの改革の先には決してありえない別ルートの日本こそホンモノなのではないかと空想してしまうわけです。そこには後世に伝えられるスガタカタチがあるような気がするのです。
同時におののいてしまう空想でもありますが…
レギーム作 says:
9月 8, 2017
Cレーションの画像を見たらゼンマイみたいのがついてたので、細く小さな棒状のもので開けるってのは、
多分コンビーフのヤツに似てるのでしょう。
缶の開封に兵士たちは苦労したとwikiにありましたが、確かにあの手のヤツは結構難儀ですね。
コンビーフとか下手打って、途中でめくるトコがおかしくなったり、外す方に実がくっ付いちゃったりすると、
もうホントにがっかりw
手塚さんは確か、ブラックジャック文庫版のあとがきで(誰が書いたのかは失念)、彼の至福の時は本人曰く、
ファミレスでパスタ(ナポリタン?)を食べている時だとあった気がします。
あとブラックジャックに、「レトルトカレーはどう作っても旨い」、みたいなことを言わせてみたり。
こういったのものは手塚さんが経験した、敗戦や占領時代の影響が少なからずあるのかな、とか思ったりしました。
poti says:
9月 8, 2017
Cレーションはメニューを見る限り、割と美味しそうに見えます。
少なくとも、ミール・リジェクティッド・エチオピアンだの、Mr.Eだのと呼ばれたアレよりは大分食べ物らしく見える。
ただ、メニューの種類が少ないんだよなぁ。
確か復刻版もあったような。