スペシャルトークライブ
「勝手にしやがれ! 天下国家」Vol.2
天高く総崩れの秋 希望も足りない! 絶望も足りない!
いよいよ本日、開催です。
主催する「カルティベイトの会」のメンバーからは
昨日、このようなツイートが。
おかげさまで事前予約が好調です。
当日受付もしますが、満員の場合は事前予約の方を優先しますので、お早めに!
会場に行ってみたら
満員で入れなかった・・・
などということにならないよう、
お申し込みは今のうちに!
(※)さきほど同会から入った連絡によると
当初、サプライズゲストに予定されていた方は
残念ながら都合により参加が難しいようです。
もっとも登壇していただくかどうかはともかく
会場には別のサプライズゲストがおられますのでお楽しみに!
さて。
トークライブのタイトル
「勝手にしやがれ! 天下国家」は
ジャン=リュック・ゴダール監督が1959年に発表した映画
「A BOUT DE SOUFFLE」の邦題にちなんだもの。
本当は「息もつけずに」という意味なので
「勝手にしやがれ」はかなりの意訳ですが
映画の雰囲気をじつによくとらえています。
ジャン=ポール・ベルモンド演じるチンピラ青年が
恋も犯罪もやりたい放題やったあげく
あえなく死んでしまう話ですからね。
「勝手にしやがれ」は
その斬新な映像表現で有名となり、
ゴダールはいわゆる「ヌーベルバーグ(新しい波)」映画の旗手となりました。
ちなみにわが国でも
これに触発されて、
「松竹ヌーベルバーグ」という一連の映画がつくられます。
こちらの旗手は、かの大島渚さん。
大手の映画会社では最も保守的とされる松竹ですが
にもかかわらず、
いや
だからこそ
こういう革新運動が生じたのでしょう。
「伝統に従わないものは盗作だ」という
サルバドール・ダリの言葉ではないものの
斬新な表現は、
伝統を踏まえたうえで伝統に反逆することから生まれることが多いのです。
さらにフランスは1990年代末ごろから
個性の強さゆえにハリウッドで映画がつくりにくくなった監督たちを
資金的にサポートする役割も果たしてきました。
デイヴィッド・リンチ監督はその代表例でしょうが、
「ロボコップ」「トータル・リコール」「氷の微笑」などで知られる
オランダ出身のポール・ヴァーホーヴェン監督も、
最新作「エル」をフランスで撮っています。
ところが、そのフランス映画産業も
どうも雲行きが怪しくなりかねない模様。
こういう記事があるのです。
POSSIBLE SMOKING BAN WILL CHANGE FRENCH CINEMA
(喫煙場面が禁止に? 揺らぐフランス映画)
フランスの元老院(いわゆる上院)議員に
ナディーン・グレル=セルティネさん
(NADINE GRELET-CERTENAIS)という人がいます。
しかるにこの人、
フランス映画における喫煙場面の禁止を主張している模様。
で、
連帯・保健大臣(日本で言えば厚労相でしょう)の
アニエス・ビュザンさんがこれに賛同、
文化大臣のフランソワーズ・ニセンさんに掛け合うと言い出しているとか。
セルティネ議員いわく。
新作フランス映画の7割に、少なくとも一箇所の喫煙場面がある。
これは子供や若者に「煙草を吸うのは自然なこと」という印象を与えているはずだ。
ビュザン大臣いわく。
フランス映画が、どうして煙草をこんなに大事にするのか分からない。
しかるに問題は
喫煙場面を禁じる法律が成立した場合、
新作映画はむろんのこと
過去の映画でも喫煙場面のあるものは
映画館で上映できなくなること!!
ゴダールの「勝手にしやがれ」もそうですが
名作・傑作と呼ばれるフランス映画には
登場人物が煙草を吸うものが多いのです。
これは当時、喫煙が広く社会的に受け入れられていたことの反映ですし、
中には煙草会社とのタイアップという例もあるでしょう。
かつてのハリウッドなぞ
「ハーレーダビッドソン&マルボロマン」
という映画を製作したくらいですからね。
もちろん、オートバイ野郎と愛煙家のコンビを主役にした作品です。
しかし、もう一つ無視できないのは
煙草の煙が立ち上る様子は、映像的に美しいこと。
照明がうまく行っていれば、とくにそうです。
SF映画の古典的傑作「ブレードランナー」でも
前半、登場人物がけっこう煙草を吸いますが、
これはハードボイルド的な雰囲気をかもし出しつつ
映像を美しくするための工夫に違いない。
そう言えば、公開中の続編「ブレードランナー2049」では
たしか誰も煙草を吸っていませんでした(※)。
(※)11月28日付修正。
昨日あらためて見たところ、序盤で主人公Kが吸っていました。
ただし全編を通じて一箇所だけです。
いくら喫煙が健康によろしくないからといって
これらの要素を無視したまま
喫煙場面を禁止していいのか?
まして、喫煙場面のある過去の映画の上映まで禁じていいのか??
さすが、
かの大革命をやらかしてしまったフランスであります。
もとよりフランスの映画ファンは、この動きに大炎上。
喫煙場面を映画からなくしたら人々が煙草を吸わなくなるっていうのなら、
犯罪、レイプ、窃盗、ドラッグにからんだ場面も禁じたらいいじゃないか。
社会の恒久平和が実現するぞ。
と、イヤミたっぷりに報じた新聞もあるそうです。
思いつきレベルの観念論で文化をいじってはいけないという
見本のような話ですが、
ひるがえって、わが日本はどうか。
やはりここでも、
「右の売国、左の亡国」が成立しているような気がするのですが・・・
ではみなさん、
19:00に赤坂CHANCE シアターでお会いしましょう。
7 comments
フルート says:
11月 27, 2017
私はトークライブに行けませんでしたし、また全然詳しくない身なのですけど、フランスと煙草、と聞いた時、バレエの『若者と死』の事を思い出しました。
YouTubeでもニコラ・ル・リッシュの踊る『若者と死』なら見る事ができるのですが、この場合煙草は、悶々とした感情だったり、若者のしなやかな手だったりの強調だけじゃなく、これから起こる事への暗示
(上って行く煙草の煙の行き先から階下?の足音へ意識を移した若者は、その訪問客の足音に聞こえたものが聞き間違いであった事に落胆し、一瞬自信を失いかけ、しょげたように股を閉じるも、時間と共に立ち上がり、自身のポテンシャルを確認するように180°まで股を開いたり、重力に逆らうように軽やかに舞ったりする事も多いものの、常に本来のままの足を保つ特に椅子を乱暴に扱ってしまったり、正体は死神である女に今度は自分が乱暴に扱われてしまったりして、もう足の存在を感じる事も、首以外には重力を感じる事もなくなる、ある種の純粋性からきた誤った自死へと自らを至らせてしまえる若者の死、への暗示)
としても機能し得ているように思います。腰を常に落とし、重心を低く保つ事で、手の動きをより大きく見せる日本舞踊とは違い、本来バレエは、重力から逃れるように軽やかに舞い、地から身体が離れて行く事を理想としていたのではないかと思うのですが、結局最後若者は、天に昇ったというより、生気のない歩を進める死人になってしまいました。煙草の煙によって何かが表現されたり、対比されたりする事もある筈だと思いました。
ただ煙草は、吸う仕草や指で挟んでおく仕草がセクシーだったり良い面もある一方、身体に悪い(特に胎児に深刻すぎる影響を与えてしまう・・)のは間違いない事実ですから、吸わない人からしたら余計に絶対配慮はして欲しいと思うのですが、でもこの政策だと表現が減るだけじゃなく、感じられなくなる現実も出てきてしまうと思います。仮に禁煙が進んだ先にある、社会から喫煙者が完全にいなくなった現実を仮定してみたところで、過去の現実を見たり、過去の現実を現実的に描写する事などが許されないなら、やっぱり感じられなくなる(過去からの繋がりとしての)現実も出てきてしまうのだろうと思います。ふつうに表現や上映は許しつつ、観ているお客さんに煙草の危険性を訴えるよう広報すれば良いだけのようにもやや思えました。
半ライス大盛 says:
11月 27, 2017
映画の場面から喫煙部分がカットされると言う、所謂、スモーキングカット法案とでも申しますか?
これが真面目に論じられるとは、かなり笑える話ですね!
名作『続・夕陽のガンマン』に代表される、マカロニ・ウェスタン映画から、喫煙場面をカットしたら
上映時間5分とかなっちゃいそう!
マカロニウェスタンは淀川長春先生の命名で、元は、スパゲッティ・ウェスタン若しくはヨーロピアン・ウェスタンと呼ばれておりましたが・・・(フランスはもはやヨーロッパではないのか??)
喫煙場面のカットで、あのモリコーネの名曲が映像と共に見れないとは・・・
あっモザイクかければ良いんだ!
余りに面白いネタでしたのでついコメントしてしまいました!
いつもどうでも良いコメントでスミマセン!><
レギーム作 says:
11月 29, 2017
>煙草の煙が立ち上る様子は、映像的に美しいこと。
あのシブさはどうやらタバコでしか出せなさそう。
果たして代替が利くのかどうか。
色々浮かんできたものに心のタッチライトを当ててみた所、
コーヒーがギリギリいけそうなのかなと。大人のほろ苦さが出せる。
だけど湯気は温かさ、美味しさの要素が強く、どうも具合が悪い。
タバコの煙にはどこか冷たさを感じる。だったらお線香・・・これはない!
もうこうなったら、ドライアイスを口にくわえるしかないのか・・・。
ある意味ハードボイルドですが。
話は変わり、ハードボイルドだったら、
「オレが紫煙をくゆらせば、そこが(どこであろうと)喫煙所、灰皿となる」、
ってやる位のワルさが欲しい所なんですがね(ハードボイルド的表現)。
銀幕の中におわすは、禁煙パイポをカミカミしてる主役・・・
これでは絵になりません。
メイ says:
12月 1, 2017
煙草への忌避がちょっと度を越えている気がするです。喫煙者に対してはもう迫害レベル?(笑)。
これだけではないけれど、大小いくつも争いの種があちこちに増えている気がします。他国を侵略する方法の一つに「内紛・内乱で混乱を起こさせる」というのがあるようですが、工作であるかどうかはともかく、無駄な争いは増やさない方が余裕が増えますよね。
私はもとから煙草は吸わないのでよく判らないけれど、喫煙する方が仰るには、気分が落ち着くのだとか。気分を落ち着かせる作用があるとずいぶん昔に読んだ事があるような・・。心の健康だって大切ですよね。世の中が神経質なくらいクリーンになり過ぎるのも、良いのかどうか判らない。
吸わない事が絶対正義みたいな構図になるとしたら、あまり良くない感じですよね。
吸わないのは健康に良いのでしょうが、都会に住んでいれば喫煙していなくたって皆さん、肺は真っ黒だって、解剖学者の養老武さんは仰っていましたが・・。個人的にはちょっと位の副流煙、大した事ないような気がするんですけれど。
映画やドラマでの、煙草の「効果」ってありますよね。日本でもそうだったと思います。私は銭形平次のキセルとか、凄くカッコいい!と思っていました。
仮に、電子タバコならOKとなっても、それは違いますよね。主人公が格好良く電子タバコをくゆらせたりしたら、却ってギャグというか・・。
メイ says:
12月 4, 2017
訂正:養老たけしさんのお名前、「武」ではなく「孟司」さんですね。間違えました。
玉田泰 says:
12月 4, 2017
現代の価値観で過去を断罪するのは、傲慢で心が貧しいのだと思います。
異なる価値観を積極的に取り入れてこそ、なのではないでしょうか。
「ブレードランナー」は、日本文化をミクスチャーして終末観を漂わせていました。
続編は未見ですが、今のハリウッドは中国資本で日本の終末を演出?(笑)。
SATOKENJI says:
12月 4, 2017
>今のハリウッドは中国資本で日本の終末を演出?
まずは自国の覇権を演出したいのでは(笑)。
これが確立されれば、日本の終末など演出するまでもありません。