小松春雄先生による
トマス・ペイン「コモン・センス」の訳が
いかにご立派なものかは
お分かりいただけたでしょう。
ついでに小松先生、
なんと原著の一部をカットしているのですよ。
本の最後の部分を構成する
「クエーカーのパンフレットにたいする反論」。
これが丸ごと抜け落ちているのです。
しかもカットしたという断り書きすら、
どこにもありません。
とはいえ、カットした理由は簡単に推測できます。
ここで批判されているクエーカーのパンフレットは
憲法九条的な非武装主義の立場より
独立戦争反対を説いたもの。
ペインはこれを徹底的に批判しているのですが
ずばり言ってしまえば
この点が小松先生には都合が悪いのですよ。
岩波文庫版「コモン・センス」の解説を読めば分かりますが
小松先生はアメリカ独立を
日本の戦後改革と同一視しています。
アメリカは独立戦争をくぐり抜けて、民主主義的な良い国になった。
だから太平洋戦争をくぐり抜けた日本も、民主主義的な良い国になるだろう。
とまあ、そういう次第。
なんか、「メルケルが褒めたから安倍は優秀」という
どこかの社長さんの主張と
論理構造(ないし、その欠如)がよく似ていますが
それは脇に置きましょう。
ポイントは、この主張を展開するうえで
アメリカの独立戦争は、憲法九条的な発想を否定する形で行われた
と認めるのは、じつに都合が悪いということ。
カットしたくなるのも分かる話です。
とはいえこの姿勢、学者として誠実なものと言えるでしょうか?
いい加減な思考と
いい加減な言葉づかい、
および不誠実な態度は
すべてつながっているのです。
最後に一言。
「太平洋戦争」ではなく「大東亜戦争」だろうというコメントは無用に願います。
岩波文庫から本を出し、
憲法九条批判につながる議論の存在を隠蔽する人が、
大東亜戦争という表現を使うと思いますか?
だからこの場合は、太平洋戦争で正しいのですよ。
ではでは♬(^_^)♬
5 comments
s says:
8月 14, 2014
逆転メガネの話はご存知でしょうか。
以前本かTVで上下左右逆転して見える眼鏡を使った、実験の話しを読んだか
観た覚えがあります。
1890年代にアメリカの知覚心理学者のG.M.ストラットンと言う人が行った
実験だそうです。(詳しく解説されている方がいます。『http://web2.chubu-gu.ac.jp/web_labo/mikami/brain/29/index-29.html』)
最初は倒立して見ている様な映像に混乱するそうなのですが、
実験を続けるうちに適応してしまったそうです。
言葉を眼鏡に置き換えた時に、今の言葉の使い方は逆転メガネの
実験に通じるものがあるように思いました。
s says:
8月 14, 2014
訂正 ×言葉を眼鏡に→◯眼鏡を言葉に
私も逆転していたようです。
s says:
8月 15, 2014
「最初は倒立して見ている様な映像に混乱するそうなのですが、
実験を続けるうちに適応してしまったそうです。』
混乱を克服するためには、実際に体を使って経験する
ことが必要なのですが、私自身言葉をいい加減に使っている
ために、その混乱が未だ解けていないのではないかと思う次第です。
混乱した言葉で考えても混乱が増すばかりですし、それを
他人に聞かせたり読ませたりする事は混乱をひろげる行為です。
インテリと呼ばれるにはその自覚がありまともに言葉が使えるか
問われるのかもしれません。
逆転メガネをかけると船酔のようになり、
吐いてしまうこともあるとか。
そう考えると、自覚があるだけに適当な事を言ってしまう
人(私も含めて)を見ると、『吐いてしまう』
とまではいかなくても、それに近い不快を感じるのではないでしょうか。(すみません)
逆さ眼鏡をかけても危険だと自覚があり慎重に行動すればいいのですが、
自分はおろか他人に迷惑をかける事に自覚が無いと悲惨です。
真面目な愚か者のほうが几帳面な悪人よりそうゆう意味では恐ろしいのかもしれません。
どうすれば混乱を克服できるのでしょうか。。。
widelogy says:
8月 14, 2014
ありがとうございます。
こういったお話を聞くと、学問それ自体がどこか虚しくなってきますね。・・・いや、この事実を含めて理解と解釈を重ねることが学問なのでしょうか。
米国の「コモン・センス」を学ぶつもりが、実は日本の学者特有の「コモン・センス」を学ばされていた!
文科省のスーパーグローバルなんちゃらはアホらしいと思いますが、こうした日本語の問題や翻訳の問題(というより日本の学者の問題)には、なんとも歯がゆい気持ちにさせられますね。
藤井聡先生がご著書「プラグマティズムの作法」で取り上げられた、明治のお雇い外国人のケーベル博士による、日本の不誠実な学者、指導層の批判にも繋がるお話だと思いました。
(なお、藤井先生による解釈だと、ケーベル博士はそうした連中に対して、「全くもって、汚臭を放つほどの、おぞましい精神的欠陥、道義的欠陥を持っている」、と表現されていました)
明治維新命以降まだ150年も経っていませんし、しかも戦前も戦後も常に「混乱」の只中にいるわけですから、仕方ない部分はあるんでしょうけれども、これからは日本の事も海外のことも落ち着いて理解していきたいです。
(これから20~30年の間にそんな余裕のある状況が来るかは疑問ですが・・・)
マゼラン星人二代目 says:
8月 14, 2014
岩波文庫で省かれているという箇所を E-textで探しています。
しかるに、”Quaker(s)”や”Friends”でgrepかけてもマッチしません。
該当箇所のさわりの部分を文字列でお示しいただければ幸いです。
ちなみにE-textの所在は、
http://www.gutenberg.org/files/3755/3755-h/3755-h.htm
です。