世の中を上手に治め、
人々が豊かで幸福に暮らせるようにすることこそ、
あらゆる政治の目的です。
つまりは経世済民の達成。
豊かで幸福に暮らすなんてイヤだ!
という人もいないでしょうから、
これは民意を満たすことでもある。
ところが民意自体は、しばしば一貫性や整合性に欠けます。
要するにツジツマが合っていないのです。
ゆえに民意に従うだけでは、
世の中を上手に治め、人々が豊かで幸福に暮らせるようにすることはできません。
上記のパラドックスにどう対処するか?
この点こそ、あらゆる政治家
(とくに民主主義社会における政治家)の背負う課題であり、
腕の見せどころです。
しかるに中には
「強力なリーダーシップさえあれば、
民意にひたすら従いつつ、経世済民が達成できるはずだ!」
と構える者が出てくる。
当の人物は、民衆にたいして
「自分には強力なリーダーシップがあるから、
権力を与えてくれさえすれば、君たちの夢や希望をどこまでも叶えよう!」
と説きます。
そんなうますぎる話、あるわけないだろう!!
・・・という良識が民衆の側にあれば問題はありません。
しかし世の中の状況が悪いと、
うますぎる話につい乗りたくなる人が増える。
かくして経世済民をめぐるパラドックスを直視しようとしない人物が、
「カリスマ的なリーダー」として人気を博しやすくなる次第。
ポピュリズムの台頭です。
すなわちポピュリズムとは、
1)民意は絶対だという前提のもと、
2)民意を体現すると目された(ないし、そう称する)人物に
3)強大な権力を与えること
と規定できるでしょう。
ところが、お立ち会い。
ひとつここで、民意は本当に絶対だと仮定しましょう。
ついでに、ある特定の人物が、民意を本当に体現しているとも仮定しましょう。
すると、どういうことになるか?
「民意=絶対」にして
「ある特定の人物=民意」ですから
「ある特定の人物=絶対」となるのです!
ポピュリスト的なリーダーが自己絶対化に陥りやすいうえ、
支持者がそれを容認する傾向を見せてしまうのも、
こう考えれば当然の話。
ところが、さらにお立ち会い。
ポピュリスト的リーダーが、本当に絶対だと仮定しましょう。
くだんのリーダーは、自分にたいする批判など聞き入れなくても構わないはず。
よしんば、それが民意であったとしても、です。
自分こそ絶対なんですから。
すなわちポピュリスト的リーダーの頭の中では、以下の四段論法が成立してしまう。
1)民意は絶対だ。
2)オレは民意だ。
3)だからオレは絶対だ。
4)したがって、気にくわない民意は否定してよい。
この四段論法が、
で論じた「キッチュ」の構造と瓜二つなのは、
むろん偶然ではありません。
つまりポピュリズムには
民意を絶対視するがゆえに、民意を否定する
というパラドックスがひそんでいます。
とはいえこうなると、
自滅的な暴走が始まるのは避けられません。
民意を絶対視するところからスタートしたにもかかわらず、
民意の否定にいたるわけですからね。
だからこそポピュリズムは危ないのですが・・・
歯止めをかけるにはどうすればいいか?
ここで注目したいのが、
例のアメリカ大統領候補
ドナルド・トランプをめぐる最近の経緯。
明日はこれを具体的に追ってゆきます。
ではでは♬(^_^)♬
4 comments
Guy Fawkes says:
8月 15, 2016
>つまりポピュリズムには民意を絶対視するがゆえに、民意を否定するというパラドックスがひそんでいます。
>とはいえこうなると、自滅的な暴走が始まるのは避けられません。
>民意を絶対視するところからスタートしたにもかかわらず、民意の否定にいたるわけですからね。
主体性を担保できない民衆ないしは有権者が祭り上げた末にリーダーは民意を文字通り自己同一化・自己絶対化、
そこに放り出されたのはキッチュの大量生産…その中から現れたものはなにか!(突然の巨大な地響き)
震災ゴジラ・僕たちは戦後史をしらない「やぁ、3年ぶりだね」国家のツジツマ(CV:中野剛志)「私は2年だよ」
愛国のパラドックス「この後事故で大変だったんだぜ…安保法制プロレスも鑑賞できなかった!(激怒)」
???「フッフッフッ…紳士諸君、例によって近現代日本の虚妄性を既存秩序と共に抹殺する大義の時は満ちた。
さぁ、今こそ我々が『シン・ゴジラ』となるのだ!!全てを燃やし尽くせ!そうすれば世界は変わる筈だ!」
戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する「いやだから、それがいかんのよ」
SATOKENJI says:
8月 15, 2016
それぞれの本によろしく伝えてくださいw
あまのじゃく says:
8月 15, 2016
初めて投稿します。佐藤先生の著書は思考を要する問題提起が多く、いつも「生きた読書」を楽しませていただいております。
さて、上記の4段論法の件ですが、大阪においてはアメリカに先駆けて猛威をふるっていたのではないかとの印象を抱いております。しかし、日本の保守系といわれているメディアは根拠不明瞭な「リーダーシップ」や「変化」といった漠然とした言葉で府民や市民の期待を煽り、本質的な議論がなされていたとは思えない状況が続きました。そんなメディアが、現在、アメリカ大統領選挙におけるトランプ氏の台頭を「反知性」や「危険なポピュリズム」といった論調で批判的に伝えています。両者とも瞬間的な世論を背景にした放縦の美化にしか見えないのですが。「指導しようとする人々は同時にまた相当程度服従もしなければなりません」とはバークの引用ですが、メディアも「世論」を指導しようとしながらも「世論」の期待に応えるべく真逆の主張を展開しているパラドックスに陥っているのではと思える今日この頃です。
玉田泰 says:
8月 16, 2016
正直に言って、先生の言論に附いていくのが精一杯の僕ですが…、
今回もいきなり題名にある「ポピュリズム」って何?と調べる所から始めなければなりませんでした(苦笑)
僕が毎回のように投稿するのは先生の言論に理想形を見るからで、自分が少しでもその理想に近づくための自己鍛錬でもあります。
ですから、片隅にでも置いて頂ければとの思いから、日にちをずらして投稿していこうと思います。
「民意に従うだけでは世の中を治められない」
民主主義の根幹を問う鋭い指摘だと思います。
今回はシリーズのようですね。
とても楽しみです。