モーターボート競走(競艇)の産みの親である
笹川良一さんについて
こんなエピソードがあります。
笹川さんは戦前、国粋大衆党という組織を率いて
愛国運動をやっていました。
で、日中戦争のさなかの1939年末に
イタリアを訪れるのですが
そこでこんなことを聞かれる。
貴国で政変が起きたと伝えられる。
しかし日本は戦争に勝っている側ではないか。
負けている側の指導者・蒋介石が安泰なのに
勝っている側の内閣がしばしば倒れるのは不思議でならない。
ここでいう政変とは、1940年1月に生じた
阿部信行内閣の総辞職のことですが
返答は以下のとおり。
外国と日本とは根本的に国体が違うからである。
日本には上に日月(じつげつ。太陽や月のように不動の恩恵を与えるもの)のごとき
天皇陛下がおわしますゆえに、
内閣のごときは一年半年はおろか、
毎日替わってもいっこう差し支えないのである。
その証拠にいくら内閣が替わっても
日本自体は微動だもしないではありませんか。
(表記を一部変更)
「毎日替わってもいっこう差し支えない」は
いくら何でも極端ながら、
皇室、とくに天皇陛下の存在が
わが国を安定させるうえで大きな役割を果たしてきたのは
間違いありません。
しかるに現在は
その安定が崩れてきているのではないか。
ご存知の通り、
陛下は8日、ビデオメッセージでお気持ちを表明されました。
抜粋を記しておきましょう。
天皇が象徴であると共に、
国民統合の象徴としての役割を果たすためには、
天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、
天皇もまた、自らのありように深く心し、
国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。
こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、
私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。
しかるに陛下はご高齢のため、
今後は公務を果たしてゆくのが困難になるのではないかと
懸念されておられます。
そして、お言葉はこう続く。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、
国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、
無理があろうと思われます。
また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、
天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。
しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、
生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
畏れながら要約すれば、こうなるでしょう。
1)日本国の象徴、および日本国民統合の象徴たるためには、天皇は積極的に公務を果たさねばならない。
2)各地を回り、国民と共にある姿勢を示されるのも、象徴的行為として大切な公務である。
3)高齢化したという理由で、公務の縮小を繰り返すのは無理がある。
4)摂政を置いたとしても、天皇が公務を十分に果たせないままでいることは変わらない。
譲位(いわゆる「生前退位」)をめぐる
ご意向の有無については脇に置きます。
ただしこれは
陛下が率先して各地を回られ、
国民と共にある姿勢を示されないかぎり
象徴としての役割が果たせなくなるほど
わが国の国民統合が脆弱になりつつある
ということを暗示するものはないでしょうか?
天皇陛下がおわしますゆえに
内閣がいくら変わろうと、日本は微動だにしない。
そう断言できた時代は
もはや過去のものとなったのかも知れません。
6 comments
リラベル says:
8月 13, 2016
ご年輩の保守派の方々は、しばしば「天皇は権威であり、政府が権力。」とおっしゃいますが、もう少し実情を見たほうが良いのではないかと思います。
これは私の主観ですが、40歳以下の日本人のほとんどは天皇についてなにもわかっていません。
天皇について事細かに教わっていないですし、また、親も教えていないところが多いと思います。当然、友人同士で天皇・皇室について語るなんてこともありません。
これは、天皇が好きとか嫌いとか言う感情ではなく、「何も思っていない」というのがおそらくマジョリティであり、また天皇を語ると「右翼と思われるのではないか」という刷り込みは相当あると思います。
この現実を見ずに「天皇は権威」、「天皇陛下万歳」と言われても、若い子はポカンとするだけだとなぜあなた達はわからないのか?と言いたいのが本音です。
もちろん私自身は天皇、皇室は絶対に必要であり、日本の象徴だと思います。そして守らなければいけないと思います。
でも、若い子がそこまで思いを致せているのであろうかと思うと、相当疑問です。
Guy Fawkes says:
8月 13, 2016
若人だけとは思いませんが、リラベルさんのご指摘は至極当然と思われます。
畏れ多くも結論から申し上げるならば今現在の天皇に対する認識は陛下ご自身の善意で漸く成り立っている砂上の楼閣。
こんな事を書けば「 日本人民は天皇の奴隷ではない!という罵声が聞こえてくるでしょうが、
国民という存在が決して固まり得ない砂粒の様な存在の集合体(らしきもの)になり、
それをどういう訳か楼閣であらせられる天皇陛下がお一人で掻き集めておられる。
その本質は単に保守派の言う様な「左翼的価値観が国を滅ぼす」などという単純なものでは決してなく、
むしろ保守・リベラル関わらず「そもそも、近代化(明治維新以降)の天皇とは何なのか」
それを日本という国民国家の主体性と共に等閑にしてきた莫大な年貢が今まさに顕在化したのではないでしょうか。
只々、その場その時の風向きが良くなれば「なんちゃって尊皇・天皇制反対」を言い出すばかりで、
こんな事を言えば今度は保守派から罵声が飛んでくるでしょうが政界では天皇機関説を説いた美濃部達吉、
文芸の世界にあっては近代化の過渡期にあった虚無感を「こゝろ」で描いた夏目漱石の様な存在は皆無です。
そして、佐藤先生が上述した笹川さんの言葉にはどこか天皇なきナショナリズムの空虚さが感じられるのです。
そういえば当時下野した総理大臣は阿部信行…今現在は安倍晋三…まさか、ねぇ…(苦笑)
せい says:
8月 13, 2016
確かに若い人には、階級闘争の事は分からないけど、声高に叫んでる人達をみて「平和といってる割には、やたら好戦的だよなあ」と頭の中で突っ込みを入れられるくらいには、自主性というか煽り耐性というか、シラケてる人が多いとは思えます。例の如く中野剛志、桜最後の会で佐藤さんらが仰っておられた、シラケの縮小再生産が極まってきたのでしょうかね。
せい says:
8月 13, 2016
つまり、草食系とまで呼ばれるほど平和愛好家な昨今の若者は、感覚的には戦前の、もっといえば森首相の神の国発言全文をみればわかる通り、アミニズム的な古神道本来の天皇の在り方に、なんら異存はなくむしろ歓迎する人が多いと思うのは、私がオタクで「聖地巡礼」とか「擬人化」とかに慣れ親しんでいるからでしょうか。
しゅんぺー says:
8月 14, 2016
佐藤先生、いつも楽しく、そして勉強のため、
お話聞かせて頂いております。ありがとうございます。
終戦記念日の数日前というタイミングで
陛下からこのような声明を承ったのも
なにがしか陛下の中で想うところがあったようにお見受けします。
佐藤先生のお話は私の頭では理解するのが難しい時があるのですが(笑)
私が陛下、そして天皇という存在の有難さを感じたのは東日本大震災の時です。
あの時、陛下が京都あたりへ、ご移動・避難されていたならば
日本国は崩壊していたのではないかと思うのです。
大阪にいる知人が東日本大震災の直後
「(大阪の)人がすごく増えている気がする」と言っていました。
実際、東京から避難された(一時的なモノも含め)人がどの程度いたのか
分かりませんが、私を安堵させたのは間違いなく、あの時の陛下の「お声」でした。
私はあの時まで、正直、天皇という存在を日常生活の中で意識した時はありませんでした。
(そしてさらに付け加えると「自衛隊」という存在も、です)
福島の原発は依然不安でしたが
「まだ日本は大丈夫なんだ」と漠然と思った記憶があります。
一番私たちが大切にしなければいけない存在を、
一番ないがしろにしてきた「戦後ニッポン」
今回の陛下のお言葉は
「敗戦」や「アメリカ」という言葉に甘え
日本という国の国体を決定せず、
形作る努力すらせずに過ごしてきた日本国民に対する叱責のように、私は感じました。
またもや陛下の「お声」にやられてしまった次第であります(笑)
玉田泰 says:
8月 15, 2016
「天皇」と口にしただけで極右?と言われかねない空気が、今の日本にはありますね。そう口走る人達は平気で「地球市民」などと絵空事を口にします。そんな矜持など持ち合わせていないくせに。
結局人間は何かに属さないと生きていけないと思うのですが、出来るだけゆるい方が自由だなどと考える人たちこそが、どこかで怠惰に「国民統合」してくれる独裁者を待ち望んでいるのではないでしょうか?
天皇制は日本人が編み出した深い恵みだと思うのですが。