昨年10月7日の記事で
「驚異の論理相似形」というのをやりました。
週刊文春がときおり組むグラビア特集に
「顔面相似形」があります。
容貌の似ている者同士
(ただし人間とは限りません)について
写真を並べてみる、というもの。
同様、論理構造が似ているものを並べてみるのが論理相似形。
前回は藤井聡さんと三橋貴明さんが
それぞれ「新日本経済新聞」に寄稿したメルマガを比較したのですが
今回はこれです。
三菱自に「物言えぬ風土」 燃費目標、現場を圧迫
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160513-00000023-asahi-soci
三菱自動車が燃費をめぐるデータ偽装を行っていた問題についての記事ですが、
それによると軽自動車
「eKワゴン」と「デイズ」をめぐる
偽装の経緯は以下の通り。
1)開発開始から1年半の間に、燃費の目標が4回引き上げられた。
2)実車試験を前にして、データのとりまとめを委託された子会社の性能実験部長が「目標は達成」と報告した。
3)試験してみたら目標が達成できなかったにもかかわらず、先に達成と報告したのがまずかったのか、目標がさらに引き上げられた。
4)実車試験は繰り返されたが、引き上げられた目標を達成することはできなかった。
5)すると本社の性能実験部管理職が、「有利な値を抽出してデータを算出する」よう指示した。
6)子会社には本社にたいして物を言えない風土があったので、その指示にしたがった。
私なりに整理しますと、
1)理論的にうまく行くはずだったことが、実際にはうまく行かなかった。
2)だが、うまく行かなかったとは誰も言えなかった。
3)そこで、うまく行ったことにすべくゴマカシを図った。
というわけです。
しかるにお立ち会い。
三橋貴明さんは、5月13日のブログ「安倍総理は緊縮財政の間違いを認めよ!」で、
ここ数年のわが国の経済政策がたどった経緯を
以下のようにまとめました。
1)多くの経済学者が、現実性に乏しい政策(金融緩和+緊縮財政、および消費増税)を提言した。
2)このため政治家が「これこそ、うまく行く(=景気回復をめぐる目標を達成する)政策なのだろう」と思って実施した。
3)目標は達成されなかったが、学者も政治家もうまく行っていないとは認めなかった。
4)政策が改められることはなく、状況はダラダラと悪くなっていった。
5)とうとう政治家が、「いや、本当はうまく行っているのだ」と強弁をはじめた。
6)メンツを保つべく、学者もくだんの強弁をフォローするにいたった。
これってつまり、
1)理論的にうまく行くはずだったことが、実際にはうまく行かなかった。
2)だが、うまく行かなかったとは誰も言えなかった。
3)そこで、うまく行ったことにすべくゴマカシを図った。
ということじゃないでしょうか?
具体的な経緯は違いますが、本質的な構造はそっくり。
論理相似形と認定したいと思います。
裏を返せば、政治の世界はもちろん、経済学者の世界にも
物言えぬ風土があるということでは?
ではでは♬(^_^)♬
7 comments
玉田泰 says:
5月 15, 2016
隠蔽する態度には似通った「型」があるのではないでしょうか。実際との齟齬を無かった事にしようとする脳内回路の「型」
現状を見ないふりをし続け後にツケを回すのは、いつか破綻をきたす事になるとしか思えませんが、そこに「型」が発動し暗黙の了解が加わると、独特の空気が醸成されて共通の気分(物言えぬ風土)が造り出されていく。
気分を醸し出すのに一役かっているのがメディアなのかも知れません。
自分達が正しいと強弁を押し通そうとするのは、ある種のキッチュの亜流だと思うのですが。
(※)投稿者の希望により、文面を一部修正しました。
SATOKENJI says:
5月 15, 2016
いえいえ、キッチュそのものだと思います。
フルート says:
5月 15, 2016
三橋先生の金曜日の記事『安倍総理は緊縮財政の間違いを認めよ!』の中でもちょうど紹介されている動画なのですが、『Front Japan 桜』の中で三橋先生は、マザー・テレサの言葉、
「思考に気を付けなさい、それはいつか言葉になるから・・。言葉に気を付けなさい、それはいつか行動になるから・・。行動に気を付けなさい、それはいつか習慣になるから・・。習慣に気を付けなさい、それはいつか性格になるから・・。性格に気を付けなさい、それはいつか運命になるから・・」
と、安倍総理の周囲にいる人や安倍総理自身も使っている言葉、
「(日本の)経済の{ファンダメンタルズ}は良好です」
「デフレは{貨幣現象}です」
などなどを引用されて、マザー・テレサはまっとうだけれど、しかし実際現状としては、
『言葉は思考を決め、思考は行動を決める』
というケースの方がずっと多くなってしまっていて、その根底とその経過に思考停止がある、という事をご指摘されて、曖昧な言葉を何となく納得したつもりで使ってはいけなくて、ちゃんとその言葉の定義を一人一人が問い質していく事が必要、というお話をされました。
でも私は同時に、例えば「もしかしてこれは失敗しているんじゃないですか・・?」とか、「これはいけない事なのではないですか?」と言い出せなかったり、自分(達)の間違いを直視できない事などの理由の中には、きっと{相手の失敗だけは大きく見せ(※失敗してないのに失敗した事にする場合も・・)且つ自分の失敗は自分からも相手からも見えない様にしないといけない・・そうしないと自分の周りの人と自分との関係性は失われ、そして関係性はもう取り戻せない・・}・・みたいな怖さの存在もそこにはあって、その様に怖く感じる事の理由の出処には、多分言葉になる前だったり・自分では言葉にできない言葉以前の感情としての周囲との関係性の問題があるんじゃないかな・・という事を思いました。
そしてもしそこに機能不全があるのなら、それを正常な状態に戻す為の関わりが必要な筈で、それは言葉を用いる方法であっても言葉は用いない方法であっても、とにかく相手に言葉以前としてある自他の関係性をまずは想起させる事なのでは・・とか思いつつも、でも昨日の佐藤先生の記事にもありました自分の誤った行動によって相手も誤ってしまう可能性・・の事を考えたら、三橋先生が引用されたこの累積しつつ変形していく(?)6つの概念を挙げるうちに「気を付けなさい」を5回突きつけたマザー・テレサの格言の意味も段々私の中で深まって来て、本当はこの最後に出て来る「運命」の意味も含めて人々は解釈したり思考し合っているのだから、ほとんどこの格言は「(あなたやあなたの周りの人が)存在しているという事に気を付けなさい」と言っている様なものじゃないか・・という事にも気付きました。。(長文すみません。。)
福岡ワマツ says:
5月 15, 2016
日本の各所でキッチュが積み重ねられ、「キッチュ大国」実現へ向けて日進月歩という様相ですね。
別の言い方をすれば、「キッチュ立国」と言えるかもしれません。
例えば「技術立国」と言う場合には、
「産業技術・科学技術などを育成し、それらに基づいて国家を発展・繁栄させていくこと」を意味します。
その一方で、
「キッチュ立国」と言う場合には、
「キッチュな言論を育成し、それに基づいて国家を発展・繁栄させていくこと」を意味すると思います。
ただし、「キッチュ立国」における「国家の発展・繁栄」とは、普通の意味とは矛盾した、「全体主義化による従属国化」のことなのかもしれませんが…。
せい says:
5月 16, 2016
先日は失礼いたしました。苦手な朝日新聞の論理相似形を感じたものですから。
kazu says:
5月 17, 2016
おはようございます。
全くですね。
最近の政府発表やコメントを見ていると、戦前の大本営発表を見ている気分になります。
これも論理相似形でしょうか。
SATOKENJI says:
5月 17, 2016
歴史のリピート機能というやつでしょう。
詳細はむろん、こちらを。
『僕たちは戦後史を知らない 日本の「敗戦」は4回繰り返された』
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