前にも書いたことがありますが

8月27日という私の誕生日は

かの宮沢賢治さんと同じ。

 

向こうは1896年(明治29年)、

こちらは1966年(昭和41年)と

生年もちょうど70年違い。

 

つまり私は

宮沢賢治が生まれて、

きっかり70年後に生まれた物書き

なのです。

 

・・・そろそろ、

だから何?

という声が聞こえてきそうですね。

 

むろん、これ自体はたんなる偶然です。

 

しかし宮沢賢治こそは、

戦前の東北、岩手に暮らしながら

近代日本、

いや近代そのものを超越するような

作品世界を残した天才。

 

近代日本の主題というのは一つしかない。

明治維新というものを

どう乗り越えて、

新しい自我と新しい文明文化を作っていくかだ。

そこに真っ正面から取り組むとき、

はじめて日本的な主題が確立される。

 

とは、ある偉大な演出家の言葉ですが、

賢治は「童話」や「ファンタジー」の枠組みを借りて

この主題に鋭く迫ったのです。

 

とはいえ宮沢賢治、

時代にあまりに先んじてしまったがゆえの

不遇を味わった人でもある。

 

「VOICE」2014年4月号で

岩手県知事・達増拓也(たっそ・たくや)さんと対談させていただいたとき

私はこう述べました。

 

宮沢賢治には、早すぎたSF作家の側面がある。

しかるに彼は、テクノロジーを万能視する発想を取らない。

自然と人間、

人間と動物、

人間と機械、

さらには有機物と無機物まで、

すべてが一体となる世界を夢想し、

そこに救済と幸福を見出しています。

 

ここにはわれわれが今後、

向かうべき方向性が示されています。

彼は1920年代の時点で、

なんと2020年代に切実となるテーマに踏み込んでいたのです。

 

とはいえ生前に刊行された単行本は

詩集『春と修羅』

童話集『注文の多い料理店』のみ。

 

前者は実質的な自費出版。

後者も印税はなく、

完成した本を100部受け取っただけでした。

 

しかも賢治、

『注文の多い料理店』があまりに売れないので

親から借金して、さらに200部を買い取ることに。

 

生前、原稿料をもらったのはただ一回、

1921年12月の「愛国婦人」誌に

「雪渡り(その一)」を寄稿したときと言われます。

 

まさに「日本文学のヴィンセント・ヴァン・ゴッホ」

と呼ぶべき不遇ぶり。

 

ちなみに賢治とゴッホは、くしくも享年が同じ。

ともに37歳で世を去りました。

 

だが今や、どちらについても

その天才を疑うものはいない。

 

その意味で宮沢賢治の生涯には

いろいろ考えさせられるものがあるのです。

 

この話、明日も続きます。

ではでは♬(^_^)♬