10月7日の記事
「自衛隊の活躍を不思議がる人々」でも書いたように
間違った前提、
あるいは矛盾した前提から出発する主張は
たいがい的外れの結果に終わります。
当たり前と言えば当たり前の話ですが、
実践される方が後を絶たぬようで・・・
こちらをどうぞ。
「殺したがるばかどもと戦って」 瀬戸内寂聴さん発言に犯罪被害者ら反発
何でも日本弁護士連合会(日弁連)が福井市で開催した
死刑制度をめぐるシンポジウムに
作家・僧侶の瀬戸内寂聴さんがビデオメッセージを寄せたのだとか。
メッセージはシンポジウムの冒頭と終盤に流されたそうですが
記事によると、こんな内容だったそうです。
瀬戸内さんは「人間が人間の罪を決めることは難しい。
日本が(死刑制度を)まだ続けていることは恥ずかしい」と指摘。
「人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと。
みなさん頑張って『殺さない』ってことを大きな声で唱えてください。
そして、殺したがるばかどもと戦ってください」と述べた。
・・・しかしですな。
死刑判決を受ける人って、
人を殺しているんじゃないでしょうか?!
ウィキペディアで調べてみても
わが国において
死刑が適用されうる犯罪(未遂も含む)はいろいろありますが
汽車転覆等致死罪
水道毒物等混入致死罪
殺人罪
強盗致死罪・強盗殺人罪
強盗強姦致死罪
組織的な殺人罪
人質殺害罪
航空機強取等致死
など、致死をめぐるものがほとんど。
事実、戦後においては、
他人の生命を奪っていない者にたいして
死刑判決が出た例はないとのことです。
しかるに瀬戸内さんの発想では
これらの罪を犯した人は
殺したがるバカということにならない。
当該の人を死刑にしようとする者だけが
殺したがるバカということになるのです。
してみると、
人間が人間を殺すことは一番野蛮なこと
という見解も、
犯罪を行った者にではなく、
法を執行する者にのみ当てはまるのでしょう。
この支離滅裂なダブルスタンダードには
正直、恐れ入るほかありませんが
無視できないのは瀬戸内さんの主張が
被害者の尊厳をみごとに踏みにじっていること。
だってこれじゃ、殺され損じゃないですか。
欺瞞的な偽善とは、こういうことを指すのです。
はたせるかな、シンポジウムに参加していた
全国犯罪被害者の会(「あすの会」)のメンバーや支援弁護士は
瀬戸内さんの言葉に強く反発。
同会顧問の岡村勲弁護士は
「被害者はみんな加害者に命をもって償ってもらいたいと思っている。
そのどこが悪いのか。ばか呼ばわりされるいわれはない」
とコメントしたそうですが
まったくの正論です。
日弁連は結局、
「犯罪被害者への配慮がなかったことは、おわび申し上げる」
と謝罪。
シンポジウム担当だった加毛修弁護士は
「死刑制度を含む国家の殺人のことであり、
犯罪被害者へ向けられたものではないと考えている」
「『ばかども』という表現は確かに強いと感じたが、
瀬戸内さんの思い切りよい持ち味でもあり、そのまま使うことになった」
と話しているそうです。
苦しい言い訳と片付けてはいけません。
じつのところ、ここには非常に面白い論点がひそんでいます。
瀬戸内寂聴さんの主張を
東京裁判に当てはめたらどうなるでしょう?
いいですか、死刑はいけないんですよ。
人間が人間の罪を決めることは難しいんですから。
死刑を執行するのは「殺したがるバカ」のやることで、
そういう連中とは戦わなきゃいけないんですよ。
それとも国家の殺人は許されないが
連合国の殺人なら許されることになるのかな?
瀬戸内寂聴さんは東京裁判否定論者だった!!
戦争という殺し合いをさんざんやったあとで
量刑に死刑が存在しない戦争裁判をやるなんて
茶番以外の何物でもありませんからね。
かりに東京裁判やニュールンベルグ裁判で
誰も死刑にはしないことが最初から決まっていたら
連合国内で非難ごうごう、
とうてい成立しなかったでしょう。
とはいえそうなると、
戦争において非人道的行為や残虐行為があったとしても、
それは「やり逃げ」で構わない
という話にもなりかねない。
たしか瀬戸内さん、シールズに共感を見せるなど、
左翼・リベラルの傾向が強かったはずですが
それはたぶん表向き、
ないし欺瞞的・偽善的なポーズにすぎず、
本当はガチガチのウルトラ国家主義者ではないかと思われます。
だから、右か左かの時代は終わったと言うのですよ。
ではでは♬(^_^)♬
6 comments
ホワホ says:
10月 9, 2016
しょうもない話ですが
殺され”得”なんてものがあったとして……
どんなのでしょうかねww
MOJO says:
10月 18, 2016
本人なら尊厳死、厄介者が居なくなった遺族なら慰謝料ではないでしょうか
死はいかなる時も悲劇とは限らないと思います
フルート says:
10月 9, 2016
「犯罪被害者への配慮がなかったことは、おわび申し上げる」「死刑制度を含む国家の殺人のことであり、犯罪被害者へ向けられたものではないと考えている」「『ばかども』という表現は確かに強いと感じたが、瀬戸内さんの思い切りよい持ち味でもあり、そのまま使うことになった」
殺された被害者と、その殺された被害者を今も愛しているご遺族や恋人たちの思いを、思い切りよく無視するのが自身らの持ち味と感じているかもしれない日弁連は、10月6日、「第59回人権擁護大会・シンポジウム」を行い、死刑廃止を訴えました。その科目名は、『死刑廃止と拘禁刑の改革を考える~寛容と共生の社会をめざして~』と言います。ここでこのビデオメッセージは流されました。「犯罪被害者への配慮がなかったことは、おわび申し上げる」と言っているのだから、これ以上日弁連を批判するのは間違いだ、などという理屈は、完全に間違っています。上記の“おわび”であったり、<今後はこの“確かに強い”と感じられたという「ばかども」の様な発言は“おわび通りに”控えられる>ことによって、犯罪被害者への配慮は完遂される、などと考えること自体が完全な間違いだからです。(ばかどもというのは)「死刑制度を含む国家の殺人のことであり、犯罪被害者へ向けられたものではないと考えている」にもある様に、この人たちは、もし自分たちにも問題があるとすれば、それは今回の瀬戸内寂聴氏のビデオメッセージのことについてであり、それは言葉足らずだったことについての問題である、などと感じている様でもあるのですが、はっきり言って犯罪被害者を今も苦しめ続けているものは、このビデオメッセージそのものと、この“言葉足らずだったビデオメッセージへの誤解を生じさせない様な配慮”によって犯罪被害者への更なる苦しみの発生は生じなくなるなどと考えられるこの様な人たちのすがた・声・文章です。「~犯罪被害者へ向けられたものではないと考えている」というこの人たちが鈍感にも無視できているものは、犯罪被害者側の存在や尊厳・思いだけではなく、鈍感な彼ら自身でもある筈だと私は思います。その鈍感さは、このシンポジウムのチラシにも表れています。チラシは、今も彼らのホームページから見ることができます。「第59回人権擁護大会・シンポジウム」と検索して、「第3分科会チラシ」というPDFファイル(←第3が死刑制度を扱いました)を見てみて下さい。彼らは、「死刑廃止と拘禁刑の改革を考える~寛容と共生の社会をめざして~」と言っているのですが、私は、犯罪被害者の存在・尊厳・思い、そして自身らの鈍感さを“寛容に”無視できる彼らの“共生の社会”ではなく、亡くなられた被害者と、その被害者を今も愛している人たちの思いと寄り添い続ける社会こそが目指されるべきだと、心の底から確信しました。日弁連は、何か自身らのことを、一方的に人間の尊厳の側に立った存在かの様な認識で活動している様ですが、日弁連によっては未だ気づかれていない深みにある人間の尊厳の存在を、犯罪被害者と被害者のご遺族・恋人たちは訴えているんです。私は、チラシの中にごみ箱を持った死刑囚を描くことはしても被害者やご遺族たちの思いは決して描こうとはしない日弁連に向けて、自己満足もいいかげんにしろと言いたいです。(長文すみません・・)
Guy Fawkes says:
10月 9, 2016
>たしかこの方、シールズに共感を見せるなど、左翼・リベラルの傾向が強かったはずですが
それはたぶん表向き、ないし欺瞞的・偽善的なポーズにすぎず、
本当はガチガチの愛国主義者ではないかと思われます。
えー『愛国のパラドックス』の目次前に付属した〈パラドックス式〉イデオロギー診断テストの
5問目「太平洋戦争(大東亜戦争)の敗北は…」を瀬戸内女史のご高説に文字通り逆説的に当てはめますと…
診断結果(B)=あの戦争によって我が国が被った犠牲の大きさについて、
脇に置きたがるあなたは保守派です。
なんと!?(A)のリベラル・左翼や(C)の戦後保守よりも「犠牲の大きさを脇に置きたがる」なんて
正に被害者を軽視している点においては筋が通ってしまうではありませんか!
徳の高い御方が説く次元は私の様な俗物には到底理解できませんなぁ…
しゅんぺー says:
10月 11, 2016
この方に限らず自称知識人・評論家と呼ばれる方々は
もはや自分の言葉や思想の精査すら放棄していて
清々しいほどに戦後日本人の代表格といって良い方ですね。
当然同じような「バカども」がこのような輩を持ち上げ、
小金稼ぎをさせるのが現代日本なのでしょう。
残念な国になったものです。
玉田泰 says:
10月 14, 2016
多くの人達が国家に(母親に対するように)甘え切り、反抗し、そしてなだめてもらう、まるで中二病的な幼稚な世界観に囚われているような気がしてなりません。
自分がただの反抗期であると自覚する能力すら持ち合わせていないのでしょうか?
そして、そこから卒業する日は来るのでしょうか?
いい年をした大人が見苦しいですね。