深入りしそうな女と、
深入りする前に観てきたい映画ベスト5
いかがですか。
「ラストタンゴ・イン・パリ」
「アイズ・ワイド・シャット」
「赤い航路」
「危険なメソッド」
「ジェラシー」
以上5本のテーマをまとめれば、こうなります。
愛から言葉を差し引いたら、あとは傷つけあいしか残らない。
愛においては、現実と幻想の差は紙一重で、
セックスと死も隣り合わせ。
あまりに相手を求め合いすぎると、ついには一緒に命を絶つしかなくなる。
男と女が言葉を交わすことは、セックスと同じくらい深い行為となりうる。
そこには狂気もひそんでいるが、そこでしか見えない真実もある。
愛を理解しようとすると、愛は死んでしまう。
愛を生きたければ、理解しようとしないこと。
そして、
男と女の仲なんて、要はいつ出会うかというタイミングがすべて。
これはつまり、
どういうことなのか?
私なりにまとめると、こうなります。
激しく抱き合うことも、
静かに話し合うことも、
互いに 黙ったまま、それぞれの幻想にふけることも、
ふつう思われているほど
違ったことではない。
幻想に裏打ちされない言葉は
愛の言葉たりえず、
言葉に裏打ちされないセックスは
傷つけあいに終わる。
「責任とは夢の中で始まるもの」とは、
アメリカの作家デルモア・シュワルツが書いた
傑作短編のタイトルですが
生身の愛にリアリティを与えるのは
幻想という形のないものなのです。
にもかかわらず、
幻想だけの愛と
生身の愛は明らかに別物。
ここに愛というものの
厄介なところがあるのではないでしょうか。
このすべてを踏まえたうえで
なお、相手にそばにいてほしかったら、
その相手は深入りするに値する相手だと思いますよ。
ちなみに、深入りしそうな女と
深入りする前に観ておきたい映画としては、
さらに以下の諸作も挙げられます。
「ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ」
(セルジュ・ゲンスブール監督、1975年)
「クライム・オブ・パッション」
(ケン・ラッセル監督、1984年)
「夫たち、妻たち」
(ウディ・アレン監督、1993年)
「ポンヌフの恋人」
(レオス・カラックス監督、1991年)
「雨のしのび逢い」
(ピーター・ブルック監督、1960年)
まあ、全部観る前に別れが来るかも知れませんけどね(笑)。
ではでは♬(^_^)♬
2 comments
愛は生モノ says:
8月 23, 2014
始まりがあれば必ず終わりが訪れる♪
愛する二人が一緒に暮らした時から
二人は
営巣隊員 花子と太郎になるのかも
愛の賞味期限は
神の前で永遠の愛を誓うまでかと、、
僕の理想を言わせてもらえれば
平安時代の「通い婚」
すこしワガママいって
従三位以上の身分なら申し分なし。
ちなみに
「深入り」の深度ってどれくらいから
「深い」というのか、、、
探ってみませう。
メイ says:
8月 25, 2014
ご紹介くださった映画は、恋愛のダークサイドや悲恋を扱ったものが多いように思いましたが、不調法者でして、悲しいストーリーが少し苦手で、観られないかもしれません。現実世界は辛い事が多いですし、当面、心の中に悲しさを、これ以上はあまり入れたくない、という事もあります。ですが、あらすじを伺っただけでも、考えさせられるテーマがたくさんありそうな映画ばかりですね。
愛情があると(異性に限らず、家族や友達でも)色々とこだわりや独占欲が出てきてしまうものかもしれません。そこは否定できないけれど、一生懸命そういう部分を乗り越えて、愛情というものの明るさや優しさの方を選ぶ努力をしたいなあ・・。
親や恋人など、想いが深い相手には要求も強くなり、ネガティブな感情が生じたら愛憎も強くなりがちで、「きれいごと」だけでは済まないのかもしれませんよね。
最終的には、自分を救う意味でも、「許す」という方法しかないと思いますが、それに至る紆余曲折や試行錯誤が必要な場合もあり、それは問題の深さや期間によっても違うと思います。
佐藤先生の文章で、愛というものが、美しいだけではない事が解ります。人間は神様じゃないし弱さもあるから、愛情ゆえに問題をおこしてしまうところがあるのでしょうね。でも苦労してトンネルを抜けたら、その本質が少しは理解できるかもしれない、という気がします。
誰かと心がつながっているような心境になる事もありますが、そういった事は、辛さがおこす「幻想」なのかもしれませんね。でも、そうであっても、やはり自分にとって大切だと思う人々、不可欠だと思う人の存在に感謝して、健やかでご無事でいることを強く祈りたいと思います。
話はそれますが、愛、という言葉を何度も使うのは、照れがあるというか、少し抵抗があるというか、やっぱり何だか、恥ずかしいですね・・・。