アメリカの作家ハーラン・エリスンは

「この素晴らしい国の善良な人々に尽くしたい」

などとキレイゴトを言う政治家は

信頼できないと主張しました。

 

「オレはあんたらからカネを盗むが、

盗みすぎはしないし、

埋め合わせにいろいろサービスしてやる。

そうすれば、あんたらはオレを再選させるだろう。

オレはまた、あんたらのカネを盗めるというわけさ」

 

こうハッキリ言える候補者がいたら、

喜んで投票するとのこと。

 

エリスンの意見については、

政治家は理想を語らなくても良いのか?

という反問がありうるでしょう。

 

しかしそれは、

私に言わせれば的(まと)外れです。

 

考えてみて下さい。

「オレはあんたらからカネを盗むが・・・」云々と、

有権者の前で公言できる候補者が、

本当に利己的な動機だけで政治家をやっていると思いますか?

 

どこかで理想を強く信じていなければ、

こんなことが口にできるはずがない。

 

けれども政治とは、

まずもって利権の誘導と調整だというのも

この世のいつわらざる現実。

 

そこに手を染めないかぎり

どんな理想も達成できないのです。

 

裏を返せば

「この素晴らしい国の善良な人々に・・・」

などとばかり言っている政治家は

政治の現実を直視できていないか

嘘をついているかのどちらか。

 

エリスンが真に主張しているのは、

理想ばかり語って、現実には触れたがらない人間と、

現実をずばり語ることで、ひそかな理想の存在を暗示する人間とでは

どちらが信頼に値するか?

ということなのです。

 

アメリカ第三代大統領、トマス・ジェファーソンいわく。

人は自分に見合ったものしか手に入れることができない。

 

ホンネを踏まえた誠実さより、

嘘でもいいからキレイゴトが聞きたいと思っている人が多いかぎり、

「この素晴らしい国の善良な人々に・・・」

とか何とか言いたがる連中が当選し、

人々はだまされることになるのです。

 

そして、だまされたと分かったあとも、

今度はちょっと別の立場から

「この素晴らしい国の善良な人々に・・・」

とか何とか言いたがる連中に投票し、

以下繰り返し。

 

詩人のT・S・エリオットではありませんが、

人はそれほど多くの現実に耐えることができない

ということなのでしょう。

 

とはいえ、われわれは現実で生きるしかないのです。

ではでは♬(^_^)♬