「どれだけ」をめぐる話のしめくくりに、また写真をどうぞ。
エンド・クレジットみたいなものだと思って下さい。
「どれだけ」
作詞=佐藤健志
作曲・歌=Saya
2014年4月22日、六本木スイート・ベイジルにて初演。
編曲はコンサートの音楽プロデューサーであり、ステージでもキーボードを担当された塩入俊哉さんがやって下さったと聞いています。
というわけで、作詞家と作曲家兼歌手でありました。
かのエルトン・ジョンは、
1970年代、バーニー・トーピンという作詞家と組んでいました。
ここから生まれるのが、
「ピアニストを撃て!」や「黄昏のレンガ路(みち)」、あるいは「キャプテン・ファンタスティック」といった、
エルトン黄金時代の名盤。
私がエルトンを知ったのは1980年代に入ってからでしたが、
ちょうど30年前の1984年夏、
「黄昏のレンガ路」を繰り返し、繰り返し聴いたことを思い出します。
あの夏はエルトンとクイーンに夢中だったなあ。
それにデイヴィッド・ボウイ(「トゥナイト」)と中島みゆき(「はじめまして」)。
ルー・リード(「ニュー・センセーションズ」)のすごさにも、そろそろ目覚め始めていたっけ。
もちろんこの年は、「ザ・ボス」ことブルース・スプリングスティーンが
「ボーン・イン・ザ・USA」で話題をさらった年でもありました。
そしてロジャー・ウォーターズが「ヒッチハイクの賛否両論」で、なにげにエリック・クラプトンを起用、と。
アーティスト名のあとに記したのは、彼らが1984年に出したアルバムのタイトルですよ、念のため。
・・・話をふたたびエルトンに。
今も聴き返していますが、「黄昏のレンガ路」は傑作です。
のちにダイアナ妃追悼の歌となった「風の中の炎のように」、
みずみずしいリリシズムにあふれた「こんな曲にタイトルは要らない」、
哀愁に満ちたバラード「僕もあの映画を観ている」、
ロックのビートが炸裂する「ツイストは踊れない」と「土曜の夜は僕の生きがい」、
そして美しいメロディを誇るタイトル曲。
2枚組の大作ですが、このクオリティに匹敵するロックの2枚組アルバムと言えば、
ボブ・ディランの「ブロンド・オン・ブロンド」、
ローリング・ストーンズの「メインストリートのならず者」、
ビートルズの「ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)」、
ジミ・ヘンドリックスの「エレクトリック・レイディランド」、
ブルース・スプリングスティーンの「ザ・リバー」、
デレク・アンド・ザ・ドミノスの「愛しのレイラ」、
プリンスの「1999」、
ピンク・フロイドの「ザ・ウォール」、
そしてザ・フーの「四重人格」ぐらいではないでしょうか。
・・・ほらね、私は音楽大好き人間だって言ったでしょう。
いずれ Sayaさんにも、私の詞でヒットを出してほしいものです!
というわけで、おまけ。
ヘルマンハープ・コンサートでの作詞家と、作曲家兼歌手でした。
ではでは♬(^_^)♬