みなさんおなじみ
山口二郎さんによれば、
わが国の野党は長らく
経済政策で与党と正面切って対抗する必要性について
あまり真面目に考えてきませんでした。
理由は簡単。
神武景気のもとで55年体制がスタートしていらい、
1993年に自民党がいったん下野するまでの40年弱、
同党の政権のもとで
日本は成長と繁栄を謳歌してきたからです。
バブルは1990年代はじめに弾けましたが、
1990年代半ばぐらいまでは
それまでの繁栄の余韻が漂っていましたからね。
うまく行っていることに文句をつけても始まらんでしょうに。
ならば野党は、おのれの存在意義をどこに見出したか?
山口さんによれば、
ずばり憲法改正阻止です。
要するに護憲の名のもと、
非現実的な平和主義を唱えて
国会で1/3の議席さえ確保できていれば
それで良かったのですね。
ここから「三分の一勢力」なんて言い方も生まれたりするわけですが・・・
今は時代が違う。
日本はかれこれ二十年近くも、
デフレ不況に苦しんでいます。
ついでに自民党政権は
財政出動の必要性を認めたあとになっても
なおプライマリーバランス黒字化へのこだわりを払拭しきれない。
こう言っては何ですが
安全保障をめぐる非現実的な姿勢を捨てて
健全なナショナリズムの必要性を認め、
かつ
積極財政による思い切った経済活性化を主張しさえすれば
「三分の一勢力」に甘んじることなく
一撃で政権交代を達成するチャンスが訪れているのです。
中曽根康弘元総理いわく、
政党の使命は政権を獲得することである!
与党に2/3の議席を取らせなければそれでいいなんて
情けない話じゃないですか。
し・か・し。
現実の野党に、そんな攻めの発想はまったくないらしい。
こちらの記事をどうぞ。
「憲法改正阻止」前面に、民進党がポスター発表
http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2016/news1/20160610-OYT1T50008.html?from=tw
新しい歴史に向けて漕ぎ出したはずの民進党が
参院選用のポスター(3種)を発表したのですが、
そのスローガンたるや
みごとなまでに旧態依然。
何せ、こう来るのです。
スローガン1
まず、2/3を取らせないこと。
スローガン2
人からはじまる経済再生。
スローガン3
国民(あなた)と進む。
・・・2/3を取らせないことだって。
あいかわらず三分の一勢力を決め込んでいるんですね。
ついでに経済再生が人から始まるとは、
具体的にどういうことなのでしょう?
私の理解するところ、
経済再生は財やサービスへの需要喚起から始まります。
民間部門でそれができないから、
政府の積極財政が必要になるんじゃないですか。
インフラ投資よりも人への投資をとか言うなら
まだ(かろうじて)分かりますが
これだって投資が大前提。
カネと切り離された「人」が
どうやって経済再生の始まりとなるのでしょうか?
それから「国民と進む」なんて当たり前の話。
逆のスローガンを謳った政党があったら
お目にかかりたい、てなもんです。
マンネリと思考停止の羅列!!
平松禎史さんは
ツイッターでこう一刀両断しました。
確かに憲法改正には警戒するが、
経済問題をイメージでぼやかし正面から争点にできない民進党は
始まる前から終わりきっている。
自民党の稲田朋美政調会長にいたっては
次のように発言したと伝えられます。
(政権を奪い返すという)野党第一党としての気概もない。本当に戦う気があるのか。
いや、まったくその通り。
しかし政調会長、
これで万一、
まかり間違って、
自民党が負けたりしたら
マジで洒落になりませんよ。
本当には戦う気のない相手とぶつかって、なお負けたことになりますからね。
さて、参院選はどうなるか?
なりゆきが注目されます。
ではでは♬(^_^)♬
4 comments
玉田泰 says:
6月 13, 2016
今の野党の言っていることは、反安倍政権でしかないと思います。選挙対策でしかなく、演説などを聞いてもその先のことは何も伝わって来ません。我々ならこうすると言う対案があるのでしょうか。
多くの支持政党無しの有権者、他に選択肢を見出せず自民党に投票する人たちを取り込もうとする気概が全く感じられません。
民主党を選んで痛い目をみた国民を舐めているのでしょうか。
フルート says:
6月 13, 2016
チャンネル桜の討論『世界の現在』すごく勉強になりました!
西部先生の『普遍の反対は個別・抽象の反対は具体』のお話し、『人間の遊び(と、それに必要なルール)』のお話し、『会話』のお話し、そして佐藤先生の『(人によって見え方の異なる)現実・風景』のお話し、『良い芝居の良いセリフ(書き言葉の密度を持った言葉を話し言葉であるかの様に喋って見せる良い役者)』のお話しが、私は特に面白かったです!この事を考えてみながら自分なりに少し思った事があります。まず個人的に私が現在で目立っている様に感じる概念(や、その派)を乱暴なんですけど列挙させて下さい。。
例えば{平和外交}は、良くも悪くも(?)抽象的すぎて、具体性を突き付けると成立していない事が解ってしまう・・。
{プライマリーバランス}は、{平和外交}派と{合理的経済人}派の両方から{グローバリズム}というそれぞれの現在観(?)を保つ為の規律の様な存在として支持されている。ただもともと恒久的に存続する国家の力の存在や国家の成立を{プライマリーバランス}から説明しようとするのには無理がある。
{リフレ}派は、{合理的経済人}の感性を、ある面で{プライマリーバランス}の堅持を主張する{合理的経済人}派以上に持っている。また中には、未来の不確実性を経済学という一つの学問からコントロールできるとする自身の左翼性を否認したがる事で却って{隠れ共産主義者・隠れコミンテルンスパイを糾弾し続ける限りに於いてリフレ政策は上手く行く}と思い込む人もいる・・。
また、単純に利権の為に公共事業を主張する人もいる・・。そして、{公共事業が日本人の精神や日本人の風景を破壊した}として、公共事業や公共事業を含んだ風景を拒絶する{保守}派・{リベラル}派もいる。
・・上の様な私の挙げ方というか捉え方にもそもそも問題があるとは思うのですが、、ただそれでもこうして見ると、やっぱり普遍と個別・抽象と具体としての4つの捉え方は、どれも欠けてはいけないんだな・・という事を思いました。また私は、何かの概念に没入する事によってもっと物事が見える様になる・・という事もある筈と思うのですが、でもそれは基本的には、捨象されたり排除される面がより出て来てしまうもっと前の物事の状態に却って気付けた時の話しで、他の概念であったり他者を見なくする様な目的からこれらをひどい悪者に仕立ててフェアに意見を戦わせないで、この様に仕立てた自分も仕立てられた相手も考え直したり引き返したりする事をできなくさせてしまう様な場合には、これは相手と自分にとっての見えない部分が普通に残るか・見えない部分がもっと増えてしまうだけなのでは・・という様な事も思いました。自分の見え方の問題と自分の見せ方の問題にもっと自覚的になった上で人や物事との関係性を広げていくべきで、何か自分の頭から今見られているその対象の側にだけ問題がある様に考えるのは間違いだ・・という事を思いました。(ただ、ある対象をひどい悪者に仕立ててお互いに引き返せない様な状態・関係性に持って行く事は問題でも、それでも世の中には本当に取り返しのつかない様な罪を既に実際に犯した人・救い様が無いんじゃなくて救ってはいけない人だっている筈だと私は思います。。この場合は、話しはもっと踏み込んだものに成らざるを得ない筈と思います。)長文すみません。。
SATOKENJI says:
6月 13, 2016
チャンネル桜には、髪を切った私が薬師丸ひろ子に見えるというコメントが寄せられているようです。
Guy Fawkes says:
6月 13, 2016
白井聡さんとの対談本『偽りの戦後日本』で共著者であったジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレンさんが
同書内で「現実的な政策を真剣に考えていなかった事で50年掛けても自民党との明確な対立軸を構築できなかった」と
社会党の事を痛烈に批判していました。
「戦後脱却で日本は右傾化して属国化する」にも並べられた様にこの双方に亘る思考停止は他の相対関係にも言及できます。
真新しい虚妄的対立軸こそ安保法案の推進派たる安倍政権と反対派であるSEALDsならびに「べ供」先生を筆頭とする学者先生達。
思えば、昨夏の安保法案ラプソディーと比較して消費税の際は何一つ大した盛り上がりもせずに2年前に増税されてしまいました。
「綺麗事を抜かしていても野党は永らく『小さな政府』推進だった」という説もこの落差を如実に示している様に感じられます。
「安倍政権の悪しき公共事業を推進するナチズムの加担者!」などと「べ供」先生からこじつけて誹謗された藤井聡先生は
「戦争でもないのに年間数万人の日本人が自殺している、誰も由々しき事だと思わないのか?」という様な事を仰っていましたが
その事実を軽視する左右の主流派にはもう絶望しかありません。
その領域に踏み入れて議論しようとすれば思考停止がバレてしまう…キッチュが白日の下に晒されてしまう…然もありなん。