10月23日の記事
「メルマガへの疑問に答える」にたいし、
マゼラン星人二代目さんから、面白いコメントがありました。
ご紹介します。
謎解きを自力で解くことを諦め、購入。拝読、拝聴しました。
解答そのものもさることながら、興味深かったことは次の点です。
論理的には、保守、革新に対する両面批判がひとしく展開されている(同型性批判)、ということになりましょう。
が、オーディオブックから受ける印象は、いささか違います。
いわゆる保守派、特に安倍首相(ならびにその「愛国心」の欠如)に話が及ぶにつれて、気のせいか、批判の語調が強まり、語気が荒くなってゆくような。。。
呆れかえってもう笑うしかない、と言わんばかり。
レジメだけでは伝えきれないことが伝わる。こういうところが、音源つきコンテンツのよさだと思います。
誤解かも知れない。しかし、私は確かにそう聞こえました。
マゼラン星人二代目さんが購入してくださったのは、
もちろんKADOKAWA「ちょく論」の2号目
「憲法九条がノーベル賞を取る日」です。
さて。
私は基本的に保守寄りのつもりでいますが、
今回の平和賞騒ぎについては
受賞推進派(つまり護憲派左翼)よりも、反対派(つまり保守)のほうが
感心しない振る舞いをした、と思っています。
とくに感心しないのが安倍総理の反応。
語気を荒げたつもりはないものの、そのかぎりではマゼラン星人二代目さんの印象は正しい。
では、なぜ感心しないのか。
今回の受賞推進運動は、いかなる政治的思惑があろうと
(九条を保持する)日本国民の国際的評価を高める、
ないし
日本国民に栄誉を与える
という形で展開されています。
ノーベル平和賞の権威が、どこまで絶対的なものかはともかく、
受賞するのは不名誉だということはないでしょう。
慰安婦問題などとは、ここが大きく違うのです。
そして保守は、ナショナリズムや愛国心を積極的に肯定する立場を取っているはず。
これはつまり、日本および日本国民の名誉を重んじるということです。
左翼にだって知恵がある。
なかなか良いところを突いてきたのですよ。
ゆえに保守は本来、
日本国民の国際的評価を高めたり、
日本国民に栄誉を与えようとしたりする点は(少なくとも表向き)評価しつつ、
背後の政治的思惑については排除する論理を構築することで
受賞推進運動に対応しなければならない。
しかるに、保守(の大部分)が実際に見せた反応はどうだったか?
条件反射的な全否定です。
これって、推進派の思うツボじゃないですかね?
日本の保守派は、いったん自分たちに都合が悪いとなると
自国民の国際的評価を高めることにも、
自国民が栄誉を受けることにも反対するような連中だということになってしまいますよ。
とくに安倍総理の場合、
一国の指導者である点を別としても、
大叔父の佐藤栄作さんがノーベル平和賞を取っているのですから、
賞の意義を否定するような発言をしてはいけないはず。
にもかかわらず、「結構、政治的ですよね」とやってしまった。
片や、受賞運動の発案者とされる鷹巣直美さんは何と言っているか。
こうです。
政治家はいろんなことを考えないといけなくて、
本当に難しいことをやってもらっていると感謝しています。
私はクリスチャンだから毎日、
その人たちに本来のよい仕事をしてもらえるよう、
神様、守ってください、と祈っています。
安倍晋三首相のこともです。
これが鷹巣さんの本心かどうかは問題にしません。
たとえ口先だけだったとしても、
彼女の発言は論理やレトリックの洗練度において、
「結構、政治的ですよね」より文句なしに優れている。
向こうは安倍総理のために祈ると言っているのに、
当の総理は日本国民が平和賞を取るのをくさしているのですぞ。
しかもそれは、自分の大叔父の業績をくさすことでもある。
鷹巣さんに負けていると見なされても、仕方ないのではないでしょうか。
だから感心しないと言うのですよ。
ならば保守派は、平和賞の受賞推進運動にどう対応すべきか。
それについては「憲法九条がノーベル賞を取る日」をご覧ください。
ではでは♬(^_^)♬
6 comments
たかゆき says:
10月 25, 2014
「知恵」の限界♪
「憲法九条にノーベル平和賞を」という
日本国憲法の つまみ食い、、、
日本国憲法第一章第一条
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて」と
あります。
ノーベル賞は個人あるいは団体にしか
受賞資格がないそうですので
どなたが受賞なさるべきかは推して知るべし。
天皇陛下に想いを馳せないところが
彼らの限界
猿の浅知恵かと存じます。
1969年5月13日
東大教養学部900番教室
「君らが一言『天皇陛下万歳』と叫んでくれれば俺は喜んで君らと手をつなぐ」
三島由紀夫は言い放ったそうです。
彼らが一言
「ノーベル平和賞を天皇陛下に」と叫んでくれれば
僕は喜んで彼らと手をつなぐ(たぶん)
kATO says:
10月 25, 2014
元記事の鷹巣さんに関する記述。感動モノでした。素晴らしい!彼女は立派だ。ビバ!鷹巣さん!と讃える人が沢山現れるでしょう。それはもっと掘り下げたいと思いますが、たかゆきさん提供の「知恵の限界」♪のお話。憲法を保持してる日本国民に平和賞を授与するとなれば、賞を授与する資格のあるのは、天皇陛下ただ御一人。そうなんですよね~。そこに思いが至らないのは、正に猿の浅知恵。私も指摘しようと思ってましたが、先を越されました。悔しい・・・けど当然か。まあ、そこに行きつくのは大して難しい事では無いのですが、ここで更に恥ずかしい人が登場。社民党の又市さんで~す!!
http://www.asahi.com/articles/ASGBB6GZ3GBBUTFK011.html?iref=comtop_list_pol_n01
野党である社民党は(少なくとも建前上は)、政策を与党政権と競い、政権を奪取せねばならない立場です。それが国民の代表(象徴と言い換えても可だが)を安倍晋三に託してヨシとしてるそうです。
安倍総理に代表で授与してもらうという発想は、彼が言い出した事ではないと思いますが、それに乗ってしまうんですね。これは社民党のダメさ、いやキレテル加減…いや、ユニ-クさを知ってるつもりで居た私も驚愕の発言でした。佐藤さんが度々指摘されてる安倍総理の言語感覚喪失症(今創った)を凌駕するトンでも発言でした。安倍晋三が、国民の象徴で良いの?社民党は実は安倍好きだった?
この問題は奥が深いですねえ。
マゼラン星人二代目 says:
10月 25, 2014
>天皇陛下に想いを馳せないところが
>彼らの限界
>猿の浅知恵かと存じます。
天皇(ならびに皇族)は、あくまでも、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて」、「主権の存する日本国民」ではない。だから、「公務員を選定し、及びこれを罷免する」「国民固有の権利」を付与されない。
すなわち、天皇(ならびに皇族)は、国会に憲法改正の発議権を付与する(しない)の選択に関与することはない。
したがって、天皇(ならびに皇族)は「憲法九条を保持してきた日本国民」には該当しない。当然、これを「代表」する資格を欠く。
Q.E.D.
参考:
1) http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q115696881
2) http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1012378610
KATO says:
10月 26, 2014
とベストアンサーさんの答えにもありましたね。ノ-ベル賞の授与に国民を代表して出る事は出来ないのですね。言われて見れば・・・・、国家を代表して国事行為を執り行うのであり、国民を代表してというのは、違和感がありますね。これは気が付きませんでした。
まあ、そもそも天皇陛下がノ-ベル賞を受け取るというのが違和感ありまくりですが。
そうするとこのケ-スにおいては、又市議員の姿勢はあながちオカシクも無いのかも知れませんね。う~ん、難しい。
たかゆき says:
10月 26, 2014
天皇陛下に受賞資格は
有りや無しや??
諸説ございますが、、、
ぼくは受賞資格ありという
意見に与するものでございます。
詳しくは各自で
お調べいただければ幸いで
ございます。
akkatomo says:
10月 25, 2014
そもそも日本国憲法はアメリカ由来の人造物ではないでしょうか
製造元であるアメリカ、及びGHQとマッカーサーが
製造者の権利としてノーベル平和賞を受賞すべきだと思います
翻って、仮に憲法九条が人工物であるならば
つまり道具なのですから、上手く状況に合わせて使う事も
可能になるのかもしれませんね
思うに、九条というものを必要以上に精神化しているのは
左翼のみならず保守にも見られる傾向ではないでしょうか
憲法九条のフェティシズム仮説と名付けようと思います
保守よ!嫌うような『しな』を作りてマネキンを愛せ!汝らがマンモンを奉ずが如くに!