西部邁先生が昨年刊行された
『生と死、その非凡なる平凡』(新潮社)には、
こんな武勇伝が出てきます。
先生が東大で助教授(今でいう「准教授」ですね)をやりはじめたころ、
教え子の大学院生たちが
お茶の水界隈を歩きながら
就職先が見つからないとか、
三日間、インスタントラーメンしか食べていないなど、
生活苦を嘆いていたとか。
ところがそのとき、
駅前に乾物屋があるのが目に入ったらしいんですね。
で、西部先生
「見ておれ」と言って、
相当の点数に及ぶ品物を万引きしてみせたとか。
先生いわく。
恥ずかしながら、
その方面での経験には浅からぬものがある、
それが私の場合だ。
(79ページ)
その後、教え子たちと呑み屋に入った先生、
「諸君は、命懸けで学問をやらなくちゃ食いっぱぐれるんだから、
学問のためなら万引をやってでも生き長らえる覚悟を持たなくてはならん」
と説いたそうであります。
むろん、万引きは窃盗行為ですよ。
けれども、みずから万引きしてみせたあとで
こう説教できる西部先生には
「万引き=窃盗=良くないこと」といった
常識的な価値判断では割り切ることのできない
人間的迫力が宿っています。
この迫力こそ、先生の奥深い魅力なのですが・・・
なんと、ネットにこんな記事が出ていました。
おにぎり万引き「生活苦しかった」校長逮捕
スーパーでおにぎりなどを万引きしたとして
愛媛県大洲市の中高一貫校の校長が
窃盗の疑いで現行犯逮捕された。
逮捕されたのは帝京冨士中学校・高等学校、校長の吉岡行正容疑者(63)。
調べによると吉岡容疑者は12日午前6時半ごろ、
大洲市内のスーパーでおにぎりや酒など11点、
合わせて1200円余りを万引きした窃盗の疑いが持たれている。
こちらの校長先生、
容疑を認めており
「金銭的に生活が苦しかった」と供述しているとか。
ギャンブルにでもハマっていたのかも知れませんが
中高一貫校の校長が
わずか1200円あまりの万引きで捕まるというのは
何とも情けないものがあります。
しかも、盗んだのがおにぎりや酒とは。
最貧困層の少女たちに関連する言葉で
「おにぎりコスメ」というものがあります。
この二つをコンビニでよく万引きするからですが
ほとんど同じではありませんか。
まさか校長先生、
最貧困層の少女たちに
万引きしてでも生きながらえる覚悟を持たせたくて
手本を示す意味でやった
というわけでもないでしょう。
教育者でありつづけるためなら
万引きをやってでも生きながらえる覚悟を見せた
というわけでもないでしょうし・・・
勤務先である帝京冨士中学・高等学校の
木村克人教頭は
「ショックで信じられない」
と語っているとか。
一口に万引きといっても
いろいろあるものです。
ちなみに「生と死、この非凡なる平凡」、
すぐれた私小説にも通じる
豊かな機微を持った名エッセイ集。
西部先生、文学的なセンスに恵まれた方でもあるのですよ。
ではでは♬(^_^)♬
13 comments
ホワホ says:
4月 15, 2016
暴力革命組織に入ったころに
「暴力革命できるように頑張ります!」(変えて有ります)
と、演説したんでしたっけ?
私だったら、隣の奴か俺で良いからコレでやれよ
などといって刃物でも渡してますが
その頃から、なんというか左のムラヤマ化が始まってたんですかねw
マゼラン星人二代目 says:
4月 15, 2016
>「万引き=窃盗=良くないこと」といった
>常識的な価値判断では割り切ることのできない
だから、某元幕僚長が刑事上の責任を問われ(はじめ)た程
度のことで糠喜びしたりはしない。
元幕僚長の体現するようなある種の風潮なり政治勢力なり
は有権者ひとりひとりの選択によって政治の次元で退けら
れ没落するのでなくては意味がない。
伊藤 学 says:
4月 15, 2016
呑み屋に入るお金があるなら、そのお金で乾物屋で買い物をすればよかったのではないでしょうか。
> 「諸君は、命懸けで学問をやらなくちゃ食いっぱぐれるんだから、
> 学問のためなら万引をやってでも生き長らえる覚悟を持たなくてはならん」
学問をやっている人はみんな貧乏なのでしょうか。
東大の大学院生であれば、金を稼ぐ手段は複数あると思いますが。
大学院生たちが生活苦に陥っていたのは、家庭環境とアルバイトをしていないことが原因ではないでしょうか。
絵や音楽や演劇の道を目指している人たちは、それで稼げるようになるまでは貧乏ですが、副業で生計を立てるものです。万引きをしてそれを自慢している人は見たことがありません。
> 西部先生には
> 「万引き=窃盗=良くないこと」といった
> 常識的な価値判断では割り切ることのできない
> 人間的迫力が宿っています。
私にはまったく人間的迫力が感じられませんでした。
東大の助教授の職についていれば、学生に奢るくらいのお金は持っている筈です。また副業で生活費を稼いでいれば、学問をやるために万引きをする必要もありません。
教育者なら、万引きをせずに生活する方法を教えるべきです。
西部氏の言動は、自分が正しいと思ったことのためなら他人に迷惑をかけてもいいという、テロと同じ思想に見えます。
PX5 says:
4月 16, 2016
「諸君は、命懸けで学問をやらなくちゃいけない。学問をやったおかげで、
万引でもしないととても生きていけないという状況に陥ることがあるかもしれないが、
それでも学問のためならかまわないという覚悟を持たなくてはならん。
そして、そのような苦境に陥ってしまった場合に、諸君が万引きをして生き延びることを選んだとしたら、
それは、自分には命を懸ける覚悟が半端だったと、自分には学問のセンスが無かったのだと、
はっきりと諦める覚悟もまた、持たなければならない。
決して、生き延びるために万引きをしたということを学問のために万引きをしたということと
混同させて自分に騙ってはいけない。そんなことは文字通り言語道断であり、
諸君はその時点で学者として自死すべきだ。
もし諸君がそのように自分を誤魔化したとしたら、それ以降の諸君の学問は、もはや学問ではない。
それはただの、諸君が死ぬまでの間の個人的な思い出作り、思い出弄りだ。
それも挫折した人間としての一つの在り様かもしれないが、個人的な思い出作りを世に発表するというようなことは見っともないから止めておきなさい。
自分だけのノートに書き込めることにとどめておけないのなら、諸君は、
学者として人に成りたいのではなく、最初から、個人として人に認められたいと思っていただけなのだ。
もっとも、その自分は個人として人に『よしよし』と頭を撫でてもらいたいだけだったのだということを
悟ることが出来れば、一度の挫折から立ち上がり、真に学者としての道を歩み始めることができるかもしれないが」
どうでしょう・・ says:
4月 16, 2016
完全にやってはいけないことだと思います。やったとしても、本に書くべきではありませんでした。乾物屋さんが可哀想です。
mash says:
4月 16, 2016
だから文学としての作品だと思います。
万引きが良いとか悪いとかを越えての表現で書いてると思いますよ。
この作品ぜひ読んでから批評してください
どうでしょう・・・・・・・・・・・・・・ says:
4月 16, 2016
お気持ちはわからないこともないのですが、、もし「左翼の」偉い先生が同じことを本に書いていたとして、「文学としての作品」「読んでから批評してください」と書いている人がいたら、人間として感覚が狂っていると思います。
某有名東大教授は、「君、それ英語で言えるかね?」というのが口癖だったそうです。「もし、これが左翼の先生だったら??」猛烈に批判しているなと思ったので、上記のコメントを書きました。万引きは、万引きです。
熊本の地震で、お店の品物が万引きれているというニュースはありません。生活苦を通り越して、家がつぶれ、生存がおびやかされている状況にも関わらずです。
どうでしょう・・・・・・・・・ says:
4月 16, 2016
追記です。私のコメントは、犯罪としての万引きを批判(非難)しています。「文学としての作品」を、批評したいという欲求がありません。興味がないです。あしからず。
万引きしたと言う犯罪行為それ事体を批判するのに、「文学としての作品」なので、作品を最初から最後まで読んで、批評してくださいと言われること自体、理解できません。批判と批評の違いだと思います。
ogd says:
4月 16, 2016
西部先生、ステキです。
せい says:
4月 16, 2016
実際に読んでないので、どういうニュアンスて書いてあるか読んでみるまでは、モラル的な事を書く気はありませんが、知的アウトローならではのエピソードで、興味深いと思いました。正義ぶるつもりがないのがいいですね。
Guy Fawkes says:
4月 16, 2016
これは西部先生一流のマジックですね(苦笑)まずはじめに大体において強盗なら兎も角、そんな沢山の物を盗んでどうします。
お上に取っ捕まるリスクとの勘定ぐらい、あの西部邁が入れてない訳がないでしょう(笑)
『見ておれ』と颯爽に相当の点数の品物を買い上げた、それを敢えて万引きしたかの様に教え子に見せた。
そして呑み屋には入って説法を聞かせる為にね、こんなとこでしょう。
純粋な方々は万引きという犯罪行為という一点だけに釘付けになってしまうのです。
この話の主旨とは「生き方」それを身を以て示しただけに過ぎない。
自らの教え子に単純に白と黒で割り切れる世界ではない事を教えるために。
間に受けてしまう程、私は綺麗な存在ではありませんよ(微笑)
PX5 says:
4月 18, 2016
今回のエントリーは、まさに「トイレを詰まらせた『クソ』にきらめくものを見てしまう」行為そのもの。
実は私、「「人生に敗れた女」の正体 2014/09/12 」で、あるスレッドに書いたコメントを取り上げていただいた者です。
『ダンス(つまり私)の反論の仕方は「人生に敗れた女」に引導を渡す手法そのものである。
ダンスは紳士なので、本物の女にたいしてこれをやることはないだろう。
しかし女の腐ったような男には遠慮なくやるわけだ。』
私が思うに、今回のエントリーは、佐藤さんが、自身が無意識に抱えるキッチュを独自のセンスで発揮し、『学者としての』西部邁に引導を渡したものではないでしょうか。
オズヴァルド・シュペングラー
『思想家とは、自分の直観と理解によって、時代を象徴的に示すように定められた人の事を言う』
西部先生は、学者ではなく、純粋に思想家である日本男児だったのでしょう。
そして、佐藤先生もまた、西部先生と同様に、現在の日本を象徴的に示すよう定められた、
同世代に類を見ない傑出した能力を持った、現代日本最高峰の思想家であると考えています。
ところで、これまで佐藤先生の著作をいくつか読ませていただきましたが、
戦後日本について語られるキッチュが、まるで自分の事を書かれているように私の頭に響いていたものです。
それが最近、ようやく「クソ」の通じが良くなったような気がしてきたのですが、
今回のエントリーと一連のコメントを書くうちに、一層健康的になれたような思いです。
佐藤先生の著作は、さしずめサトラックスのようなものですね。
何のことかわからなければ検索してください。
あ、自分の人生のためだからといって、万引きしてはいけません。ちゃんと書店で買いましょう。
むーどん says:
4月 23, 2016
今回のブログもさることながら、読者のみなさんの『ご意見』も面白く、感心しながら拝読いたしました。
わたしは実はこの本を読んでいまして、なにより面白かったのは、引用文の後です。
……佐伯啓思氏が、「西部先生から大したことは教わらなかったが、あの万引き説教は利いた」と言ってるそうである。子弟の強い信頼関係が垣間見られて微笑ましい、というか笑っちゃいました。