昨日、新著の仕上げ作業が完全に終わりました。
通算15冊目。
事故で重傷を負っていらい最初の本、
いわば生還第一作となりますが
これまでにないテンションやクオリティを持っている
と自負しています。
装丁も素晴らしくなりそうですよ。
徳間書店から、2月末に刊行されます。
乞うご期待!!
・・・さて。
1月22日の記事
「甘利大臣の金銭トラブル、または野党の盛り上がりに思うこと」
について、
GUY FAWKES さんから
興味深いコメントがありました。
野党の先生方は
「政局的に」与党を攻撃する口実が欲しいのであって、
「政策的に」TPPを再検証するつもりなぞ毛頭ないのですね。
菅・野田両首相から安倍首相までの流れを見れば、
それは否が応でも理解できます。
もっともな話ですが
このコメントのどこが興味深いか。
インフューラー(土木総統)、または平成の新幹線男として
歴史にその名を刻むであろう
畏友・藤井聡さんの著書
「〈凡庸〉という悪魔 21世紀の全体主義」(晶文社)の161ページに
そっくりの表現が出てくるのです。
自民党のある総理経験者について。
この人物、総理在職中に
側近にこう語っていたとか。
自分は政策よりも政局に興味があるんだ。
誰だかお分かりでしょうか?
そう、小泉純一郎さんです。
安倍総理が、政治家として多くを学んだと言われる人物。
小泉総理といえば
郵政改革を断行した人物でもありますが
藤井さんはこれを全体主義的テロルと規定したうえで
政策よりも政局という発想が
そのような行動を正当化した
要因の一つだったのではないかと論じています。
政策よりも政局とは
露骨に言ってしまえば
長期的な国益、ないし経世済民に貢献すること(=政策)を実践するよりも
オレの政権運営にとってプラスになる状況(=政局)をつくるほうが大事だ
ということですから
これもまた、もっともな話。
安倍政権(第二次以降)の動向も
政策よりも政局という方針に徹した結果ということで
キレイに説明がつくような気がしますが、
ここでお立ち会い。
GUYさんのコメントにも暗示されているとおり、
政策よりも政局というのは
もともと野党のスタンスだったのではないでしょうか?
長期的な国益、ないし経世済民に貢献することを実践するよりも
政権攻撃にとってプラスになる状況をつくるほうが大事だ
これはまさに
わが国の野党のお家芸というべき行動パターンです。
だからこそ自民党は
一部の例外的な時期を別とすれば
1955年の結党いらい、一貫して政権を担ってきたわけですが
その自民党の中ですら
政策より政局という発想が定着しつつあるとすれば
日本が迷走・衰退に陥るのも当然の結果にすぎません。
これは何を意味するか?
そうです。
近年見られる政治の劣化は
自民党が与党中核としての責任感やプライドを失い
野党と同レベルの振る舞いをするようになったことに
起因するものかも知れないのです!
このところ国会で
民主党から何か批判されるたびに
与党側が「民主党政権時代だって同じ(ような)ことをやっていた」とか
「民主党政権時代はもっと悪かった」などと反論するのは
これを裏付けるもの。
民主党と同レベルでも構わないとか
民主党より多少でもマシならそれで良いという発想がなければ
当の反論は成立しませんからね。
・・・とはいえこうなると
国会を一度吹き飛ばすぐらいのことをしなければ
日本の民主主義は再生しないかも知れない。
17世紀のイギリスでは、これを本当に実行しようとした人々がいました。
「火薬陰謀事件」(ガンパウダー・プロット)と呼ばれる出来事ですが
実行責任者の名前をご存じでしょうか。
ガイ・フォークスと申します。
アルファベットで書けば、GUY FAWKES.
はて、どこかで聞いたおぼえが・・・
ではでは♬(^_^)♬
7 comments
kazu says:
2月 17, 2016
こんにちは。
興味深い分析、ありがとうございます。
自民党内も政策より政局・・・
自社さといった連立を組まねばならない状況に陥ったことも含めて、これは自民党が一度野党に転落したことも関係しているのでしょうか?
ヤバい国民に政策の話をしても与党には戻れんぞ、与党の足を引っ張り、与党が国民に嫌われるように仕向けねば、といった感じかな、と思った次第です。
Guy Fawkes says:
2月 17, 2016
“Remember, remember, the Fifth of November, the Gunpowder Treason and Plot. I see of no reason why the Gunpowder Treason should ever be forgot…”
“忘れるな、忘れるな、11月5日を、火薬陰謀事件と反逆を。忘れることは許されぬ、あの火薬陰謀事件を”
これは『Vフォー・ヴェンデッタ』でナタリー・ポートマン演ずるヒロインの独白、マザーグースの唄。
開いてみて驚天動地、まさか一ヶ月前のコメントからここまで自分を暴き立てられる事になるとは…
…ところで『Vフォー・ヴェンデッタ』の連載当時の背景はブレトン・ウッズ体制が崩壊し、
「小さな政府」「民営化」「市場原理主義」即ち『新自由主義』が推進される70~80年代前半。
そして、舞台は英国。当時の英国首相は三年前に亡くなったマーガレット・サッチャー。
他でもない『鉄の女』とソ連から畏怖されたサッチャリズムの推進者。
更に、サッチャー女史は首相就任から三年後に「領土問題」を巡る戦争に対面します。
そう、アルゼンチンとの『フォークランド紛争』、そして、その戦勝後に三度目の総選挙に勝利。
最後に導入したのが納税能力に関係なく、全ての国民1人につき一定額を課す悪名高き『人頭税』。
では翻って、我が国日本では「日本を取り戻す!(らしい)」成長戦略を着々と推進する某首相も
なんと今年で就任「三年目」を迎えますが…『新自由主義』…『領土問題』…
そして『納税能力に左右されない税金』…これを偶然の一致とするか否かは各々方次第。
ちなみに、跡形もなく『国会を吹き飛ばしたい』というのは私の悲願(彼岸?)ではあるのですが、
その凶行に及ぶ事を首の皮一枚で引き止めているとある賢人からの言葉があります。
「近現代の日本の虚妄性を既存秩序と共に抹殺しようとしても、それこそが最大の破局を齎す!」
これは何方が仰った事か…?それはこちらにこうしてに長々と書き連ねている事が証左です(苦笑)
ではでは∩( ・ω・)∩
SATOKENJI says:
2月 17, 2016
「近現代の日本の虚妄性を既存秩序と共に抹殺しようとしても、それこそが最大の破局を齎す!」
感服しました。
世の中には賢い人がいるものです。
私も見習わねば。
フルート says:
2月 18, 2016
政治をどんどん政局化させていく小泉元首相の
「私の内閣の方針に反対する勢力、これはすべて抵抗勢力であります。」
という答弁が出た衆議院本会議151回国会の全やりとりが、
「抵抗勢力」と検索するだけで
ウィキペディアのリンクから見る事ができましたので、
尋ねた側(民主党:鳩山由紀夫議員)の質問と合わせて読んでみましたら、
鳩山由紀夫議員と小泉首相は、ともに
1).「構造改革」の早期実行
2).「プライマリーバランス」の早期黒字化
3).「公共事業」の大幅削減
を主張していて、
しかも{両者のどっちが、本当に1~3を断行する覚悟を持った本物か}(?)
を争う様な展開にもなっていて、
そもそもその政策が、本当に政策として正しいのかは、余り問われない政治、は、
ずっと以前から繰り広げられていたんだなと愕然としました・・。
ただ同時に、本来だったら、経世済民だったり、本当の意味での国家戦略
などに資する事を目的として突き合わされるべきそれぞれの政策が、
そもそもの成り立ち方からして国家とは違う一部の上場企業の立場だったり、
政策も政局もショー化させてしまうメディアの立場などから
好まれるものに変わって行ってしまった原因を政治家だけに問うのは、
やっぱり不十分だとも思いました。
たぶん政策も政局も両方ともが劣化していて、
この両方を劣化させる原因として、国民も係ってしまっていると思いました。
{悪者としての政敵≒守旧派≒官・・からの自由としての政局を起す政策}とも
ある意味表現できてしまえそうな{構造改革}という鉤括弧付きの政策について、
小泉首相は民主党鳩山由紀夫議員への答弁の中で、
「抜本的な改革を進めるに当たりましては、国民との信頼関係が大事であります。」
とも答えているのですが、
{根本の原因を抜き去るという意味の言葉である「抜本」的な改革を進めるに当たり
大事とされる国民との信頼関係}とは、そもそもどういう関係・関係性なのかを、
「私の内閣の方針に反対する勢力、これはすべて抵抗勢力であります。」
との答弁とも合わせながら考えてみたら、
この関係性は、
{自分達の方針に反対するものすべては、抜き去られるべき原因であると考えても
良く、自分達の邪魔をしていると今自分達が考えられるこれらの政敵・論敵・
不都合な存在(←人によっては、国家そのものである場合も・・)との係りは、
係りとしてありのままに観察され合ったり・感じ合われなくとも良い、
・・として、元々あった自と他との関係性を、無かった事にする関係性}
でもあると思いました。
この様な信じ方としての関係性が、本当に信用に値するものなのかという疑問を、
自身に向けられないままの状態でずっと居続けてしまう事が、
全体主義を起して進める最も身近でありながら最も見え難く
だからこそ最も注意するべき原因のひとつなのかも知れないとも思いました。
政策が政策でなくなる事・政治が政治でなくなる事・国家が国家でなくなる事
の全部に、やっぱり国民は係っていると思いました。
(月末が楽しみです!長文すみませんでした。。)
頓珍漢 says:
2月 19, 2016
新刊と言うことで、常々思っていたことがあるのですが、”さくらじ#62 佐藤健志と目指せ!新たな日本文化~言葉 身体そして歌~ ”
このときの内容をまとめた本もまとめていただいて出せれば・・・と思っておりました。まぁ出版してくれるところがなければ別ですが・・・。
お時間があればお考えいただきたいものです。単なる一要望(独り言)です(独り言なら書くなとも言われそうですが)。
SATOKENJI says:
2月 19, 2016
そういうタイプの本も、これから出してゆくつもりです。
頓珍漢 says:
2月 20, 2016
御返信、ありがとうございます。
・・・そうだったんですね。これから予約しておきます。?。
あの回を再視聴していて、元々日本語自体にリズムがあって云々や、さやさんが洋楽リズムに日本語の歌詞を乗せることが難しい(ファミレスに引き篭った?とか)云々・・・これは共著となりそうですね。売り切れ必至です(無駄指が過ぎますね)。
私的なことでしかありませんが今は亡きファンの間では師匠と呼ばれていた大瀧詠一さんの著書やラジオでの言説や曲造りに、あの回の話が自分の中では歴史的な下地みたいなモノが多々重なる部分を感じておりました。
つくづくそう思っておりました。