まずは告知から。
三橋貴明さんが「三橋TV」第58回で、
私の著書を取り上げて下さいました。
題して、「堤未果さんと佐藤健志さんを読もう」!
強烈なカップリングではありませんか。
戦後平和主義に取り憑かれた日本が
爽快に売られたあげく
貧困大国(=アメリカ)の現地妻として
やはり貧しくなってゆく、
そんな未来像が浮かんできます。
みなさん、ぜひどうぞ!
「真実に直面しなさい! でないと後になるほどツライわよ!」(※)お姉さまのお言葉です。
アニメから sayaさんの熱唱まで、豪華絢爛たるプロモーション動画はこちら!
また1日には上島嘉郎さんと「FRONT JAPAN 桜」をやりました。
題して、沖縄問題に見る日米安保の正体 / 沖縄の民意は真摯か[桜H31/3/1]。
ちなみにコメント欄にも、
なかなか面白いものがあったのでご紹介。
こういう人がいるんですね。
私は、佐藤さんに何時も違和感を感じていました。
彼のコメントは的確かもしれません。
しかしながら彼の中に日本人としての苦悩が感じられない。
喜々として語る彼を見る度に感じる違和感はなんでだろうな~。
おいおいおい。
私のコメントは的確なんだろう?
それに違和感をおぼえるとしたら
問題は自分にあると思わないか?
(※)「嬉々として」は主観の問題なので取り合わないことにします。
それとも何かい?
「日本人としての苦悩」とやらが感じられさえすれば
的外れのコメントでもいいのか?
まさか、
大げさに苦悩してみせるだけの
的外れなコメントのほうが
真剣に物を考えずにすむうえ
悲壮感に酔えるからいいなどと
こっそり思っているんじゃないだろうな。
「どんな英知にも限界があるが、愚かさときた日には底なしだ」(※)小デュマの言葉です。
・・・とはいえ、この人物にたいして
認知的不協和大賞を出すつもりはありません。
別の視聴者が、すでにこうコメントしているからです。
日本人の苦悩…..
苦悩ね。何をもって ?
(問題に)目を瞑(つぶっ)ただけでしょう。
さらに、こんなコメントが。
保守派にとって聞きたくない事をズバズバいうからでしょ
私がそうだったからわかるよ(+_+)
でも彼の分析はほとんど正しかったのはもう証明されたのでは?
桜でいち早く安倍政権の危険性を訴えたのも彼ですからね
わが意を得たりという顔のジョアン・チェンさん。(要出典)
まあ、最初のコメント主は
私の分析が正しかったと証明されているからこそ
ますますもって違和感に苦しんでいるのでしょうが
やはり自己責任だよな、それは。
それはさておき。
先日、新宿駅を歩いていたら
もうすぐ駅弁販売が終わるとかいうアナウンスが聞こえました。
調べてみたところ、事情は以下のとおり。
JR東日本 新幹線での車内販売が終了へ 乗客からは「やめないで」の声も
(FNNプライム、2月19日配信)
JR東日本は3月15日をもって
運営する新幹線のおよそ7割で、駅弁の車内販売を終了させるのだそうです。
東北新幹線「やまびこ」の全線、
秋田新幹線「こまち」の盛岡~秋田間では
車内販売そのものが終了。
また東北新幹線「はやぶさ」「はやて」の東京から新青森間、
山形新幹線「つばさ」の全線、
秋田新幹線「こまち」の東京~盛岡間、
上越新幹線「とき」の全線では、
販売されるものが、飲み物やお菓子だけなどに縮小されるとか。
東北新幹線と相互乗り入れしている北海道新幹線も
「はやぶさ」「はやて」の新青森~新函館北斗間で
車内販売が全面終了となるそうです。
ちなみに知りませんでしたが
東海道新幹線はJR東日本ではなく
JR東海の管轄なんですね。
ただしこちらでも、
「こだま」からはすでに車内販売がなくなっているとか。
JR九州も3月15日で
新幹線での車内販売を終了。
JR北海道はすでに2月28日、
特急列車での車内販売を終了させています。
ならばなぜ、車内販売は消えてゆくのか?
フリーライターの小林拓矢さんはこう述べます。
(車内販売の会社は)拠点を各地に維持し、
列車で車内販売を行うべくスタンバイしている。
この維持費用も、かなりかかる。
車内販売で売れる金額、というのはたかが知れている。
大量乗車・長距離運転でない限り、
売上の数字が大きく出るということはありえない。
その上、車内販売の求人は比較的多く出ており、
人手がたりないという状況も見て取れる。
比較的長い時間乗る、「のぞみ」のような列車でないと、車内販売は成立しないのだ。
短距離運行、長距離でも短編成、乗客も多くない。
そういう列車では、ビジネスとしても成り立ちにくいのである。
小田急のロマンスカーや
富士急の「富士ビュー急行」のように
車内販売があること自体が呼び物になっている場合は例外とのことですが
たいがいはコスパが悪いんですね。
ウィキペディアにも、こうあります。
列車の高速化による停車時間の短縮、
目的地への移動時間の短縮、
コンビニエンスストアならびにキヨスク(キオスク)の廉価な弁当や
弁当以外の軽食・パン類との競合、
駅構内での飲食店の充実(いわゆる「駅ナカ」)、
優等列車での車内販売の縮小・廃止などによって
駅構内や車内販売での駅弁の売上は減少する傾向にあ(る)。
先に紹介したFNNプライムの記事は
駅ナカでの駅弁の売り上げはアップしている
と、ちょっと違ったニュアンスの書き方をしていますが
文脈からいって、これは東京駅に限った話でしょう。
上記の箇所の直前では
同駅構内にある日本最大級の駅弁屋「祭」が紹介されていますので。
実際、駅弁を販売する駅の数は
2006年と2016年を比較すると
JR東日本で12駅減、
JR西日本では22駅減となっているそうです。
考えてみれば駅弁というもの、
鉄道による長距離の移動が普及したが
移動自体にはまだまだ時間がかかり、
駅での停車時間も長い
というときに
一番、需要があるんですね。
事実、韓国の学者・金英順さんの論文
「駅弁の変遷と多様化」によれば
わが国の駅弁文化は
新幹線が誕生する以前、
特急列車の普及にともなって発達したもの。
新幹線の開業によって、
すでに売上げが落ちた例もあるそうです。
まして現在では交通手段も多様化していますし、
駅構内の飲食店も増えた。
さらにコンビニ弁当や、
他の軽食類も多い。
「鉄路での移動に際して食べる弁当」としての
駅弁が衰退するのは仕方ないでしょう。
ただし面白いのは、
このような変化に対応して
近年、駅弁のあり方が変わってきたこと。
鉄道の駅や車内での販売にこだわらず、
自動車のドライブインやサービスエリア、
あるいは空港(「空弁」と呼ぶそうです)、
はてはデパートやネットの通信販売へと
販路を拡張してきているのです。
信越本線の横川駅を本拠としていた「峠の釜めし」は
今やドライブインやサービスエリアでの販売がメインとのことですし、
JR北海道の函館本線森駅の「いかめし」は
デパート販売がメインとか。
そう言えば近所のスーパーでも
ときどき各地の駅弁を売っていたりしますからね。
・・・思えば駅弁文化の背後には
昔は鉄道で長距離移動でもしないかぎり
さまざまな地域の食事を味わう機会があまりなかった
という事情もあったんですよ。
しかし今や、そうではない。
「駅」弁とは言うものの、
鉄道と結びついていなければならない必要は薄れたのです。
となれば鉄道による移動に際しての駅弁の重要性が落ちる一方、
鉄道と無関係に駅弁が流通するようになるのは自然な流れ。
つまりは駅弁と鉄道が
互いに新たなステップに踏み出したんですね。
その意味でJR東日本が
車内での駅弁販売を終了させてゆくのは
鉄道ファンにはさびしいでしょうが
悲しむべきことではないかも知れません。
鉄道に依存しなくとも
各地の食文化が楽しめるようになったしるしとして
ポジティブにとらえようではありませんか。
駅弁を食べながら、読むべき5冊はこちら!
ではでは♬(^_^)♬
6 comments
木村裕美 says:
3月 4, 2019
おはようございます、佐藤先生。
ひとつ前のエントリに話題が戻ってしまいますが、私はお二人のお話を聴いて、ようやく沖縄のことが腑に落ちた感じがします。
結局のところ、情理を理解する強さが無いから現実に向き合えない、現実に向き合えないから情理を理解できないのですよね。自分の中に響かせるものがないから、乖離的神経症ではない「痛み」がないから、だから、誰にも何も響かない。
政府側にしても運動家にしてもそうだってことですよね。
……その関連で少し気になったのですが、今回認知的不協和大賞を逃した方の言うところの「苦悩」ってなんでしょうかね?
中国の脅威に立ち向かえる人材になるために毎日二時間睡眠で物理学の勉強を半年続けて発狂したり、自分を取り囲む現実の基盤はすべてその場しのぎの欺瞞によって構成されているがどうやっても抜け出すことができないと気付いて街を一週間飲まず食わず一睡もせずに歩きつづけ発狂したりすることですかね?
そこまで本当に苦悩できれば、殺人や戦争を無くすために人工知能を開発したり、シリアに渡ってIS入っちゃったり、MITに留学して国籍取得してCIAに入るとか普通にありえるコースですよね。
まあそれはジョークですが、私は自分勝手な「苦悩」とやらに酔いしれる人より、佐藤先生のように現実に向き合って情理をきちんと理解しようとし、できる方のほうがよほど人間として真摯だと思いますね!
(^^)/
拓三 says:
3月 4, 2019
人は感性で動くもの。ただし感性を圧し殺し淡々と語らなければならない時も存在する。それを感じ取るのもまた感性。
私の場合、好きな者を批判しなければならない時かな。
歳三 says:
3月 4, 2019
コメントが的確ならいい。
口調の印象は主観だから、
受け取り方は自己責任で―。
私はそうは思いません。
書き言葉について言えば。
書いてある内容さえ的確なら、
文章の巧拙は主観にすぎない。
悪文と思うのは読み手の自己責任。
とは、ならないからです。
言論は内容。口調は文体。
そのバランスは取れているほうが、
やはり伝わりやすいのでは。
SATOKENJI says:
3月 4, 2019
その通りです。
内容と文体、あるいは発言と口調は密接不可分です。
つまり私の発言は、あの口調でなければ成立しません。
よって、「発言内容は的確だが、口調に違和感をおぼえる」場合は
切り離せないものをなぜ切り離したくなるのか、
そういう自分のあり方を省みる必要があるのですよ。
ただし私の口調が嬉々としているかどうかは
主観の問題なので取り合わない、ということです。
べつに嬉々としているつもりはありませんので。
富田師水 says:
3月 4, 2019
駅弁というものが子供の頃は大嫌いでした。
なぜ移動中に物を食べねばならないのか。
旅好きの父に幼少期、ゲームしたいのに連れ回された事も影響しているかもしれません。
ですが、それは同時に「お食事中は行儀よくしなさい」と言っていた両親が、
旅となりと急に、立ったままでも食べるし、なんなら歩きながらでも食べだす。
そういう所に幼いながら矛盾を感じて嫌いだったのかもしれません。
しかし、現在は真逆になりました。
旅の恥はかきすてとばかり、美味い物があれば躊躇う事なく買って食います。
どんな心境の変化があったかは未だに分からないのですが、
各地を巡る事の愉しさを、学生の時に知った延長だと思っています。
その土地土地に根付く食文化は、やはりその土地で食べるべきだという思いを持つようにもなりました。
コモディティではなく、体験を消費する事の快感というべきものが、そこにはある気がします。
なので、旅先での食事は単なる生理現象ではなく、
心の栄養でもあるのだ、と思うようになってからは、
なるべく人に迷惑をかけないように、立ち食いでもなんでもするようになりました。
駅弁が無くなっていくのは寂しいですが、それは単に情緒として寂しいのであって、
その食がもう食べられなくなるという訳ではないのですから、気に病む必要は無いという事です。
安治 says:
3月 6, 2019
これも効率化という波の影響だと思いますし、列車の高速化に伴い昔は旅としていたものが今は単なる移動手段に過ぎないという味気ないものに変わり、そのとばっちりが駅弁の車内販売終了に表れたということでしょう
別に駅弁を社内で食べたいとかそういうことじゃなく、効率化を推し進めればどんどん人との関りが減っていくということであり、確かに鉄道と無関係に駅弁が流通するのも悪くはないのかもしれませんが、効率化を推し進めることが私達にとって本当に幸せなことなのかという、明治維新以降150年間の課題にいい加減向き合うべきだと私は思います
知らない間に私達はどんどん孤独になっている気がしてなりません
以前は列車内で景色を見ながら移動を楽しんでいたのが、携帯電話の登場でそれもなくなり、今はほぼ全員がスマホで時間を潰している状況を見ていると、みんな自分の世界に入り込みすぎて、外のことに関心をもたなくなってしまったことに何となく寂しさを感じますし、そんな流れで鉄道の高速化が進めば駅弁の車内販売の需要が見込めないのは当然かもしれません
別に車内でなんか食べたくないよと思う人もいると思いますが、ただそれも車内販売をしているから人それぞれ思う所があるのであって、それがなくなれば考え自体も起きません
つまりどんどん関心事がなくなり、私達は何か感じたり考えたりする機会が失われるということです
これも孤独への道ではないでしょうか
駅弁一つで大袈裟かもしれませんが、私は無駄なものこそ人生を豊かにすると考えています