昨日の記事
「ポスト・グローバル人材の愛のかたち、または性行動における『新自由主義疲れ』」
では、
わが国の青少年(中学生〜大学生)に見られる性行動、
早い話がデート、キス、性交の経験率の変遷を取り上げ
それが新自由主義的な改革にたいする人気の変遷と
みごとにシンクロしていることを指摘しました。
自由恋愛とは性行動における自由主義ですし、
1990年代から2000年代前半にかけては
やれ恋愛資本主義とか、
恋愛市場における商品価値とか、
新自由主義的な市場原理の発想で
性行動を説明しようとするのが流行った。
ならば新自由主義の弊害が顕在化している現在、
青少年が「草食化」するのも分かる話。
ただしこれが
施光恒さんの期待するようなポスト・グローバリズム的方向、
つまり見合いの復権に行き着くかどうかは不透明。
日本の多国籍化とあいまったグローバリズム徹底の方向、
つまり外国人との性行動の爆発的増加に行き着くこともありうる。
「お・も・て・な・し」が上半身のレベルで終わるとは
誰も言わなかっただろう、ってヤツです。
あるいは
新自由主義やグローバリズムには疲れたけど
国や地域社会の立て直し、
あるいは歴史や伝統の復権はもっと疲れそうだから
もう異性と関わりたくない
という、性行動の全面的衰退に行き着くかも知れません。
物事は放っておけば最悪の方向に進む
というマーフィーの法則に従えば
最後のシナリオが最もありえそうなのですが・・・
「絶望的になったアナタは、この本を開くといいわ。お姉さまが慰めてあげる♥」
アニメから sayaさんの熱唱まで、豪華絢爛たるプロモーション動画はこちら!
実際、2010年代末の世界を理解するキーワードは
展望が開けないあまり、あらゆることに疲れている
ではないでしょうか。
たとえば国民の多くは、
安倍内閣にけっこう不満を抱きつつも
政権交代はおろか
内閣交代だって、ますます疲れそうだから面倒だ
という心境で、
今なお支持しているように見えます。
グローバリズムにしたって、
まずは前世紀、
二度の世界大戦によるナショナリズム疲れがあったということを
見落とすことはできない。
GHQ参謀第二部のチャールズ・ウィロビー少将ではありませんが
そのような厭戦ヒステリーがポツダム宣言を生み、
さらには国連中心主義を生んだのであります。
ヨーロッパ統合の気運だって、
戦後初期から始まっていますからね。
詳細は『平和主義は貧困への道』第四章をどうぞ。
そして1970年代、
自由主義諸国の経済成長が低迷したことをきっかけに
福祉国家志向疲れが生じ
新自由主義が生まれる。
この両者が結びついて猛威を振るったのが
1990年代以後の30年間なのであります。
「困ったインテグレイトだ」(※)個人の感想です。
言い替えれば
グローバル化や新自由主義に疲れが生じていることは
ナショナリズムへの回帰が進むことを必ずしも保証しません。
わが国がいい例でしょう。
1990年代以後の「保守化」は
戦後平和主義の反政府志向にたいする疲れの産物と見ることができる。
しかし反政府志向疲れをきたした人々が
健全なナショナリズムの旗手として期待を寄せた安倍総理は
TPP11,
日欧EPA、
種子法廃止、
水道法改正、
入管法改正、
漁業法改正、
TAGとごまかしているUSJTA交渉
などなど、
グローバリズム推進に余念がなかったりするのですな。
なぜか?
戦後平和主義には疲れたとしても
戦後レジームの脱却はもっと疲れそうだからですよ。
論より証拠、今やこの言葉をまったく使っていないでしょうに。
そして「奇妙な自殺」を遂げつつあるヨーロッパでも
事情はやはり同じようです。
なるほど、向こうでもグローバリズム疲れは高まっている。
燃料税引き上げに端を発した
フランスの反マクロン・デモ、
いわゆる「黄色いベスト」運動は
燃料税引き上げの延期が表明されたあとも収まっていません。
どうぞ。
装甲車、バリケード…フランスで4回目の大規模抗議デモ 700人以上を拘束
(毎日新聞、9日配信)
11月17日に始まった大規模デモは
毎週土曜日に行われ、暴動化の傾向を見せているため
8日はついに
老舗百貨店、エッフェル塔、ルーブル美術館、
さらにはパリ中心部のブティックやレストランの多くが休業。
ルーブル美術館前では、
警察官らがデモに向かう若者らを呼び止め、
危険物を所持していないか手荷物を厳しく検査。
催涙ガス用のマスクを所持していた若者が拘束されていた。
仏内務省によると、警察当局は暴力・破壊行為を準備した疑いで
仏全土で700人以上を拘束した。
政府は燃料税の来年増税を凍結したもののデモを回避できなかった。
デモ参加者は、他に高所得者への富裕税の再導入や
最低賃金の底上げなども要求しており、
デモが収束に向かうかは不透明だ。
デモ参加者の一人であるトラック運転手セバスチャン・コーシーさんいわく。
(マクロンには)国際社会でリーダーぶる前に、国民の窮状を直視しろと言いたい。
自国が「自由貿易の旗手」になるとか
「国際社会のルール作り」をやる能力があるとか錯覚している
極東亡国の政府関係者のみなさんに
ぜひ聞かせたい言葉ですが
こうなると「抗議」や「暴動」の域を超えて
いよいよ革命じみてきました。
新自由主義+グローバリズムの政治には
富裕層と大企業(とくに多国籍)ばかり優遇する
という特徴があるものの、
富裕層と大企業を
宮廷と貴族に置き換えれば
これはずばり、フランス革命が起きたときの状況ですからね。
何せ、こうですから。
農村や地方部に住む国民にとって、
計画されていた増税は大きすぎる負担だった。
ここ数年、生活は苦しくなるばかりで、すでに多くが月々の家計のやり繰りに苦労している。
そうした状況では、温室効果ガスの排出量削減を目指す
政府の取り組みに構っている余裕などない。
エリートたちとその地方に対する態度に、うんざりしていたのだ。
農村や地方部では郵便局や交番、病院が閉鎖され、
住民たちはそれも歓迎していなかった。
公共交通網も大幅に縮小され、
公共サービスを利用するにも、中心部までの移動の便を車に頼るほかなくなっている。
マクロンは当初、
燃料税引き上げへの反対意見にたいして
軽油やガソリンを買うのがイヤなら、電気自動車を買えばいい
と発言、
お前はマリー・アントワネットか?!
と批判されましたが、
思えばマリー・アントワネットなんて
今風に言えば移民+多国籍企業みたいなものですよ。
ハプスブルク家の覇権強化のため
ウィーンから嫁いだわけですからね。
革命勃発後、彼女は兄であるオーストリア皇帝ヨゼフ二世にたいし
革命派をつぶすために攻めてきて!
と手紙で懇願しましたが、
フランス(国民)の利益より実家の繁栄が大事、の人だったのです。
その意味で反マクロン運動、
そう簡単に収まるとは思えませんが
忘れてはいけないのは
フランス革命は収拾のつかない大混乱に陥り
ナポレオン独裁に行き着いたこと。
反グローバリズムならいい、とは言い切れないのです。
しかも現在のグローバリズムは
そもそもがナショナリズム疲れの産物。
ついでにおなじみ、経路依存性もあります。
話は単純ではないのです。
明日はドイツ、
そして何よりイギリスを取り上げ
この点をさらに考えてゆきましょう。
疲れから立ち直るため、読むべき4冊はこちら!
ではでは♬(^_^)♬
(おまけ)
7日に佐波優子さんと「FRONT JAPAN 桜」をやりました。
7 comments
モルダー says:
12月 9, 2018
疲れて反発して暴力的(革命的?)になるのか、逆に疲れすぎて無気力になるのか
国によって違うんですかね
こみやこういち says:
12月 9, 2018
経路依存性って判断や行動を記憶に頼るのと、今より悪くなると予測するから変えられないんですよね~。
変えるって事は一時的に絶対に悪くなるよ。でもやらなきゃぶっ潰されちまうって思ったら、やるだろ。
屑が屑で終わることに何の抵抗があるんだろうか?
目的を持ってない奴は、守りに入る。結果が悪いと『やっぱりな』って悪い方の予測が当たると喜ぶ。
目的のためなら、自分や自分の家族がどうなっても構わない。目的のために生きる。
自分が特別な存在で、自分は正しいって思っている奴は、私のような考えの人間を無責任と呼ぶんだよなぁ。
マゼラン星人二代目 says:
12月 9, 2018
>つまり見合いの復権に行き着くかどうかは不透明。
行き着いたところで、それがそんなにめでたいものなのか。
それが「合同結婚式」みたいなのにならない保証をどこに求めるか。
いやしくも旧帝大で禄を食む学者なら、その辺りについても考えておくべきではないのか。
しろくま says:
12月 10, 2018
失礼ですがなんでそんなにお見合い結婚について否定的なんでしょうか。
少なくとも今の少子化は結婚する人が減ってるから少子化になってるんだしお見合い結婚で
それが解消するなら良い事では?少なくとも日本人は自由恋愛とか恋愛まで市場原理主義的に扱う事に
疲れてきたのは確かだと思います。
拓三 says:
12月 10, 2018
疲れの終着は宗教かもね。
信者って楽なんよ。
己の思考使わんで済むからね。
他者への依存ほど楽な事はない。
現に日本は戦争に疲れ果て米国の依存(宗教)に身を寄せた。73年も…..
あっ、そう言えばホシュの皆様もお疲れになられた産物かな ?
宗教的、都合の悪い意見はすべて陰謀論、
あるいは取り巻きが悪いと、つまり「うちの子(安倍)にかぎって」….
疲れすぎてもダメ。楽しすぎてもダメ。何事もほどほどが思考、身体の健康状態を保つ秘訣かもね。
名無し says:
12月 10, 2018
佐藤さん。第二弾の今日の記事を待った方が良いかも知れませんが
さて第一次大戦以降の欧米、特に西欧のナショナリズムが穏健でバランスが取れていたか。そして比較的歴史や文化に根差したウエストファリア体制のナショナリズムが悪い物であろうか?
西欧は度重なる戦乱と破壊の歴史から第一次大戦までの長きの間ウエストファリア条約体制により、まあまあ戦で勝った負けたと言っても勝った側が負けた側をコテンパンに搾取し戦勝裁判で敗者の国の制度を根本から作り替える野蛮はやめようというある種の騎士道/武士道的な歴史の知恵による妥協が成立した訳ですよね。
それは国境を接する欧州大陸で戦乱や勝敗や占領や被占領支配被支配繰り返して総力戦で相手を徹底的に滅ぼす繰り返しは本音として双方がビビるし嫌になるし痛み分けな叡知ではないでしょうか。
そこに西欧の歴史や慣習派から追い出された宗教過激派が作った人工、設計主義、実験国家である歴史を知らないアメリカが理性合理を宗教としそのような歴史や慣習や伝統や連続性を軽んじ、アメリカが覇権国として興隆するに従いまたバランスオブパワーを無視した野蛮な総力戦と勝者総取りの不毛な殺戮と戦乱に、パラダイムやロックインとしての流れとして騎士道や武士道を失った欧州や日本が巻き込まれたのが第一次第二次大戦の悲惨な大量殺戮大量破壊の総力戦だとするならばアメリカ近代主義が衰退して行くことに希望がないわけでは無いかもしれない。
日本の近代化にあたり、欧米列強に対抗するためラディカルな急進的改革でキリスト教に対する天皇一神教的オカルトをシステム化してしまったことも問題であろうし
貧困と格差や不満がラディカルな革命または国家全体主義のグレートリセットや自暴自棄の破滅衝動に移行してしまうとして
男女の問題が
戦前が家父長制や過度な男の沽券意識や亭主関白の存在、女性の選挙や労働や結婚出産の選択の自由がない、地域共同体や家族システムによる閉鎖制宗教制での自己実現や成功のチャンスが制限されたり読書や勉強すら憚られた、キリスト圏においては宗教的なポルノ規制や貞操意識としての性の抑圧、科学や治安の未発達による性犯罪の認知されなさ
←反動→
戦後は女性の家庭や家事や結婚出産子育てからの抑圧や社会進出、としたアファーマティブやポリコレ、性の貞操意識やポルノ規制への反動から初期はフリーセックスや不特定多数との性の営みの自由や性病、性犯罪の解決と処罰を科学的な検証や捜査を女性警官やカウンセラー配置等による証拠保全や被害の申告のしやすさ等男女協力した制度の整備構築ではなく男性嫌悪と憎悪に向ける、
ポルノや性描写の過激化と無秩序化の自由の女性の要求から最近は女性を性的に見ることへの過度な敵視や性嫌悪、男性の性の悪魔化と罪悪化としてのポルノや表現規制要求(それが体制や権力の表現や創作規制にエログロナンセンスの弾圧として道徳的に使われまた女性の貞操や性表現の抑圧へと回帰するループというジレンマ)etc
それら繰り返す反動においてアファーマティブによりある属性の比率を国家的に高めても生物学的に男性が女性から社会性や地位や経済力を求められる本能や行動は変わらないどころか上昇婚志向が高まっているし男性は女性より自殺率が高く社会性を求められ生物的に弱いから不満が溜まってくるし
女性が高学歴化するほどに晩婚未婚非婚率が高まり自分以下の男をパートナーにしないのでマッチングしない、社会進出が進めば家事料理育児が主体の低賃金主夫を養う女性が増えるというイデオロギーモデルも成立せず現実に当てはまらなかったし
過剰な新自由主義的競争による過剰な労働と格差と競争で能力や素質の低い男女双方にとって(選択の自由と拒否権や不満や理不尽の告発と離婚後の再出発のセーフティネット等が機能している現代的に改善された)見合いや共同体はメリットや弱者の掬い上げとしての機能が現実的にあるが、イデオロギー固執だと関わりたくない滅びた方がマシと自暴自棄のグレートリセットや破壊衝動に突き進みますね。
男女の性がどちらが強い弱い良い悪いの根本を遡り突き詰めると結局絶対的な生命の根元であるメスや女性性から性を持たされた男性は論理や理屈をこねてるだけで圧倒的な欠陥であり弱者でもあります。
私は男女やあらゆる属性の対立やバランスを欠いたパラダイムやキッチュ的空気や流行的風潮の正義に流されるだけのフェミ男君やリベ子ちゃんは流行の正義で相手にマウントを取って黙らせられる道具が好きなだけでパラダイムや時代や流行が変われば亭主関白や男性権威主義に途端に逆転豹変する自我の無い漂流する大衆人だと思います。
(佐藤さんは強くリベラル寄りな保守で意見が合わない部分もありながらバランスや総合性においてバランスが取れています)
つまり不況や経済的不満がナチズムや全体主義、障害者弾圧と選民や自己絶対主義の嵐を吹き荒らしたように、その反動からの現代的なマイノリティ擁護の流行、過度な自由や過当競争流行、偏ったイデオロギーモデルに乗る大衆人は
人間の残酷さや思考停止による宗教原理主義の台頭や欲望や全体主義や流れに流され豹変してしまう人間の不完全さや矛盾や狂気を包含し、向き合っておらず
結局中庸やバランス、循環、全体像把握によるジェネラリスト的立場がなく一方のモデルを正義化している大衆人は自由や格差の極端からまた全体主義や革命や争乱により結局支配者・搾取者のトップが入れ替わっただけになるという意味で搾取される極端から極端への繰り返しになるだろうという人間の本質は何も歴史から学んでない変わってないという現実を見てバランスを取らないと結局人類は同じことを繰り返すだけになる。
一方を過度に擁護することは必ずもう一方の誰かを抑圧し窮屈させてます。
革命や革新にしても、ウルトラナショナリズムや国家主義にしても極端から極端は何も良いことがないし
いわゆる保守や伝統も過度に変化への忌避や腐敗と停滞になりすぎればまた一方の力が必要になるんでしょうが結局人類は極端から極端への反動としてまた極端なモデルに傾倒し全体主義化する欠陥を繰り返して行くのかということには絶望と虚無感に苛まれるしせめて歴史から学びこれからの反グローバリズムや格差是正運動はバランスの取れた斬新的な改善であってほしいです
極端な異性または同性の恋愛対象への忌避と阻害も結局それによる社会や集団の停滞衰退により生じた生物の崩壊や被害には本当に国や集団が滅びてしまうか、また生存本能による集団の復権運動でまたラディカルな行動や自由の制限された連帯が必要になる。
人間はある時代において極端から極端、片寄ったモデルしか認識できず繰り返すしかないとしたら本当に重大な欠陥のある生物ですね
名無し says:
12月 10, 2018
斬新的→漸進的です。
ごめんなさい