早いもので2015年も
あと一月となりました。
・・・って、私は年内に退院できるんだろうな?!
という気にもなったりしますが
おかげさまで、まあ大丈夫でしょう。
思えば9月に救急搬送されていらい
病室の窓の向こうで
世の中はどんどん変わっていきました。
安保法制の成立とか、
TPPの大筋合意とか、
一億総活躍なる国民運動の登場とか、
大阪ダブル選挙での維新勝利とか、
原節子さんの死去とか。
変わっていないのは
デフレ脱却がまだできていないことと、
あいかわらず政府がこの点を直視しないことぐらいではないでしょうか。
とはいえ、
まさかこれが起きるとは思いませんでした。
水木しげるさんの死去。
93歳という享年を思えば
まさに大往生なのですが
あの方には永遠に死なないイメージがあったのです。
なぜか?
生きているうちから、
この世とあの世を行き来しているようなところがあったから。
「天才はこの世とあの世を行き来する。
だけど、凡人にはこの世しか分からない」とは
女優・木村不時子さんの名言ですが、
ならば水木さんは
まさに天才中の天才だったと言えるでしょう。
戦争で左腕を失った漫画家が
長い不遇時代の末、
不気味な画風にかかわらず
中年になってから人気を集め、
ついにはNHKの朝ドラで
人生が取り上げられるほどの国民的漫画家になった。
水木さんの人生を簡単に要約すればこうなりますが、
これだけでも手塚治虫さん、
石ノ森章太郎さん、
藤子不二雄さん、
赤塚不二夫さんといった
他の偉大な漫画家たちと一線を画しているのは明らかでしょう。
いえ、これらの方々も天才ですよ、間違いなく。
しかし水木さんのキャリアは、なんというか、常識ではありえないようなもの。
おまけにそれを支えたのが、妖怪へのこだわりです。
オバケのQ太郎と
ゲゲゲの鬼太郎では、
やはり違うでしょうに。
「この世にいながら、あの世に片足突っ込んでいる度合い」ともいうべきものが
誰よりも強かったように思うのですよ。
なにせ売れ始める直前、
大判小判が空を飛んで、自分の家に流れこんでゆくのを見た
という方ですからね。
個人的には水木さんに
ときどきこの世に戻ってきてほしいのですが
それは難しいかもしれません。
今年の暮れは
日本中の妖怪も喪に服すことになりそうですね。
水木さん、
あの世でもご活躍を!
ではでは♬(^_^)♬
3 comments
しきしま says:
12月 2, 2015
霊感の強い知人によると、水木さんは元々「妖怪界の人」で、元いた世界に帰られたのだ・・・とのことです。その感覚で行くと、妖怪達は今頃、水木さんの「お帰りなさいパーティー」をやっているのかな?と。
佐藤先生が
>「この世にいながら、あの世に片足突っ込んでいる度合い」ともいうべきものが
誰よりも強かった
という印象を受けておられたというのも、そのへんから来ているのかもしれませんねえ。
私にも少々、霊感らしきものがあるのですが、水木さんの魂は今、とても楽しそうにしてらっしゃると感じられます。
半ライス大盛り says:
12月 2, 2015
小林秀雄先生の公演で、柳田国男先生のお話が出ていたそうです。内容は、「柳田氏が14歳くらいの年少のとき、近所の小さな石のほこらをのぞく。近所のおばあちゃんが祀ってあるというほこら。どうしてものぞきたくてのぞくと、そこには握りこぶし大の美しい玉(老石)が収まっていて、思わずその場にしゃがむ。それはおばあちゃんが最後まで体を磨くのに使っていた石なのだ。そして柳田少年は空を見上げると、晴れた空に一面の星が煌いているのが見えた。星などこんな昼間に見えるはずがない。なんとも神妙な怪しい気持ちに襲われ始めたそのとき、ヒヨがピィィィィィっと鳴いた。もしヒヨが鳴かなかったら、そのとき発狂していたと思った、と柳田国男は語る。」
今回のブログを読んでこの話を思い出しました。
この世とあの世、正気と狂気は紙一重なのではないかなぁと思いました。
ムードン says:
12月 2, 2015
10月に日本に行ったとき、ちょっとだけ時間ができたので思い付きで鳥取に行きました。鳥取というと、水木しげる、なのですが、JR鳥取駅の方ではなくて、米子駅から境港の方向だったのですね。それは知らんかった。
時間的余裕なしで残念無念。次の機会によく下調べしてから行かなくちゃ、と思ってたら、死んでしまった。。
今度行くときは、たぶん亭主と一緒だから、下準備としてフランス人の彼に知識を与えなければいけない。
検索するとあった! 翻訳版 KITARO le repoussant 全11巻。
今年のクリスマスプレゼントはこれで決まり。しっかり『勉強』してもらおう。
今度こそ鬼太郎のふるさとに行けるのを楽しみにしています。
ちなみに、わたしは悪魔くんの大ファンでもありました。実写版のとき、毎週見てた。