さる8月20日に開催され
大好評だった表現者シンポジウムの様子が、
三週にわたって放送されるのは
すでにお知らせしたとおり。
「西部邁ゼミナール」は目下、
毎週土曜の7:05〜7:30にオンエアされたあと、
毎週日曜の8:30〜8:55に、TOKYO MX2で再放送されています。
先週土曜日(9月3日)は
西部先生の基調講演
「平成の時代とは何であったのか」が放送されましたが、
明日、9月10日は
私と浜崎洋介さんが登壇した
シンポジウム第一部のハイライトがオンエアされる予定!
題して、
護憲の妄論を排して改憲の道筋を明らかにせよ。
とはいえ、ここで確認しておきたいのは
改憲とは憲法の内容を変更することのみを意味するのであって
それによって日本が良くなるかどうかは
じつはまったく保障していない
という厳然たる事実。
いわゆる改憲派が、この点に長らく無自覚だった
(ないし無視を決め込んでこられた)のは
ひとえに護憲派が
改憲なんかしたら最後、日本は破局への道を突き進むに決まっている!!!
と叫びまくってきたせい・・・
いや、叫びまくってきたおかげにほかなりません。
自分たちと対立する連中が
改憲なんかしたら最後、日本は破局への道を突き進むに決まっている!!!
と叫んでいるからには
改憲さえ達成できれば、日本は真の独立を達成できるに決まっている!!!
・・・とまあ、そう構えることができたわけです。
しかしお立ち会い。
「せい」と「おかげ」は表裏一体、または紙一重の間柄という
例の原則にしたがえば
改憲さえ達成できれば、日本は真の独立を達成できるに決まっている!!!
という主張は
改憲なんかしたら最後、日本は破局への道を突き進むに決まっている!!!
という主張のバリエーションにすぎない。
これは何を意味するか?
そうです。
改憲なんかしたら最後、日本は破局への道を突き進むに決まっている!!!
という主張が
護憲の妄論であるとすれば(そうだと思いますが)、
改憲さえ達成できれば、日本は真の独立を達成できるに決まっている!!!
という主張も
じつは護憲の妄論にほかならないのです。
護憲の妄論を排して改憲の道筋を明らかにせよ?
その通り!
異議なし!!
ただし、そこまで言い切ったからには
あらゆる護憲の妄論をひとしく排除せよ!!!
むろん
改憲さえ達成できれば、日本は真の独立を達成できるに決まっている!!!
という主張も例外ではない!
・・・というのが私の議論でしたが
西部先生、
富岡幸一郎さん、
そして浜崎洋介さんがこれにどう反応したかは
ご覧になってのお楽しみです。
この画像がヒントになるかな?
西部邁ゼミナール「護憲の妄論を排して改憲の道筋を明らかにせよ」、
ご期待下さい。
ではでは♬(^_^)♬
この服装、今にして思えば
デイヴィッド・リンチ監督の映画
「ワイルド・アット・ハート」(1989年)の主人公
セイラー・リプリーみたいでしたね(笑)。
9 comments
カインズ says:
9月 9, 2016
2015/05/22の記事、「福田恆存の劇的精神」が思い出されます。互いに妄論を吐いているようでは、議論も深まりようがありませんね。
自分が護憲派の立場だったら尋ねたいことを列挙してみると
「改憲派諸君は、立憲主義を軽く考えておられるようだが、そもそも古事記や日本書紀のエッセンスから大日本帝国憲法は作られたのだ。すなわち立憲主義とは伝統を重んじる態度である。それを軽んじるとはいかがなものか?」
「保守派の皆さんは、人間の理性を疑い時効によって物事をふるいにかけ、変化の際には慎重だと聞く。たいへん素晴らしい考え方だ。ならば、安倍政権によって一時的に盛り上がった空気に任せて、七十年も使い続けてきた日本国憲法を、一気呵成に改憲しようなどという乱暴な態度は、よもや取りますまいな?」
「もしも、憲法改正の国民投票がなされたとして、その結果が49対51とでもいうものだった場合、日本人が思想的に二つに分断され、いわば『二つの日本』となってしまい、ナショナリズムを損なう恐れがあるが、それは保守派の皆さんの望むところなのでしょうか?」
こんな感じになるでしょうか。こういった質問に華麗に答えてくれる保守派の方がいれば、安心なのですが。
平松禎史 says:
9月 10, 2016
ここ数年のスパンで言えば
「民主党政権3年数ヶ月が酷かったせいで日本はガタガタになった」
…と
「民主党政権3年数ヶ月に比べれば問題はあっても安倍政権はずっと良い」
も、「せい」と「おかげ」にあてはまりますね。
安倍政権の問題点を追求するとたいてい(問題意識は持ってますよ、という「自覚したふり」を行った上で)
「民主党政権よりマシ」と言われます。
さらには「安倍政権の代わりはいない」とまでいう始末です。
民主党政権のおかげなのに、それ自体を忘れてしまう。
そして、繰り返すわけです。
(2サイクルの社会現象)
SATOKENJI says:
9月 10, 2016
かりに今後、まかり間違って民進党政権になったら、
「自民党政権○年○ヶ月が酷かったせいで日本はガタガタになった」
…と
「自民党政権○年○ヶ月に比べれば問題はあっても民進党政権はずっと良い」
という主張が展開されるのでしょう。
これを「2サイクルの政権交代」と申します。
Guy Fawkes says:
9月 10, 2016
平松先生のサイクル論を聞いてふと思うのですが…
「またしても」歴史が繰り返されてはいやしませんかね?(苦笑)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160907-00010004-bfj-ent
「ゴジラ」、「君の名は。」の大ヒット映画 62年前に不思議な因縁
他にも東京オリンピックに安保闘争…まさか、ねぇ…?
平松禎史 says:
9月 13, 2016
初代「ゴジラ」からは、もう終わりにしたい、という切羽詰まった気持ちと、でもまた繰り返されるのかも、というやるせない気持ちが痛切に伝わってきます。
SATOKENJI says:
9月 13, 2016
おっしゃる通りですね。
山根博士の台詞「あのゴジラが最後の一匹とは思えない」なんて、下手をすると
と思われかねないところですが、全然そんな印象を与えないのは、作り手側の切実さゆえでしょう。
TOMAS says:
9月 10, 2016
はじめまして。いつも親近感を持ちながら、プロレスチックで隙のない高度な評論を拝読しております。私の意思は「自分も自分の周りの人も自信を持って、皆でご皇室を中心にもう一度しっかり国家を組み立てよう。」です。佐藤さんのご本を読ませて頂くと、その意思は何時も強くなりますm(__)m。
フルート says:
9月 11, 2016
表現者シンポジウムのpart2を視聴できました!
私はシンポジウムに参加できなかったので、公開に感謝しつつ、すごくワクワクしながら視聴しました!西部先生と佐藤先生と浜崎先生の全員のお話しがすごく勉強になったのですが、いろいろな時間のことがあるので、カットだったり、はしょらないといけない所とかは、理解しないといけないことなのですが、やっぱり更にもっと時間を長くとった完全版が見たい!と思いました。
会場を借りていられる時間のことを考えたら、どうしてもスパスパ次に進まないといけないし、またそもそもお客さんに理解され易い表現を選択したりとかがある上に、更にTV放送をする為の編集(カット)もあるので、余り書く意味がないことなのかも知れないんですけど、、それでもネットには<長期的なスパンこそ大事で、だから改憲に賛成>という意見の方が結構いらっしゃる感じで・・なので少し浜崎先生のお話しのことについて書かせて下さい。。
浜崎先生はネット(TV?)版のpart2のおわりで、
「私自身も、これはアンビバレントなんですけれども、今、改正すれば勿論保守側が強いから我々の意図通りのことになるやも知れないけれども、勿論時代が変わればそうではないと、しかし実は我々近代の経験はまだ150年位しかしてないんです。つまり行ったり来たりも大してしてない訳です。宗教戦争から憲法というものが作られた西欧史を見てみれば実のところ相当な年数の中で行ったり来たりをしている。その都度国が敗れたり或いは勝ったりものすごい傷つき方をしている。はたしてこの国は傷ついたと言っても実のところ西欧に比べて非常に歴史的経験は浅いと(私は)考えています。その限りで実は私達自身の手でどのようにしてであれ変えるべきなんだと私は思っています。変えて経験すれば良いんです。間違いを、そしてそれを学ぶんです。ですからこれは長期的なスパンです。今そのようにして勿論左に振れるという事は私自身の本意ではありませんがしかし、そういうふうになるんだとしたらそれは日本国民が選んだことでそこで傷つけば良いんです。私自身はそう考えています。」
とお話しされているのですが、でも「今、改正すれば勿論保守側が強いから我々の意図通りの事になるやも知れないけれども、勿論時代が変わればそうではないと、」の<時代>と<時代の変化>について、私は心配に思うことがあります。。今の総理大臣の安倍さんは、「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました、」とかなり本気で思ってしまっている総理で、しかも政策ブレーンもほとんどがこの考え方を持っているようです・・このことを考えたら(時間の制限のことや、お客さんとの関係のこともあるので、そもそもナンセンスな書き込みになってしまっている感じもしているのですが、、)<またすぐに世論が短いスパンで大きく振れることを佐藤先生は心配されているが、振れて失敗したとしても経験することの方が大事だ>という浜崎先生の<取り返しのつかない程ではないが、やや否定的な時代の変化>だって、もうどちらかと言うと既に来ていて、本当は<時代が変わったあと>ではなくて今現在が既に構造改革を極めそうな時代≒左な時代で、そしてそれはやっぱり取り返しのつく判断ではなくて取り返しのつかない判断をしてしまう時代・・な感じがします。。
それに例えば、「前回は左に急に振りすぎたから、今回は右に急に振ろう」とか、急激に世論が振れること自体にだって危険性はあるのに、その上いま自分達が推進している政策が右なのか左なのかさえよく理解しようとしない世論の動かす<時代>には、<右の時代><左の時代>という言い表され方より、もしかしたら<有権者自身、自分のついていた足が左右どっちにあたっていたのか・何をしていたのかがよく解らなかった時代>というひとくくりな言い表され方で、のちの世代から呼ばれてしまうような可能性だってありそうに思いました。。もしもですけど将来こうなってしまうような可能性のことを考えたら・・もう今<長期的なスパンで考えているのだから、今が今や未来のことをそれほど心配しなくても良い>とは言えない感じもしてきます。。(勿論そもそもこんなことを浜崎先生は言ってなどいないですし、私自身、自分で変な文章を書いちゃってるなと思っているのですが・・)やっぱり私は佐藤先生の提起(現状に於ける改憲は、「究極の構造改革、或いはグローバル化最大のとどめになる危険性の方が高いのではないか?」)について、有権者はもっと考えた方が良いと思います。(ほんとに長文すぎすみません・・。。)
玉田泰 says:
9月 18, 2016
拝見して一番心に残ったのは、先生が後半に指摘された、憲法改正は正しいとの通念のみが確立されたのち、グローバリズムや国家否定の憲法が作られる可能性です。あり得る話だと思います。
護憲の立場を更に進める方向への憲法改正。
それも踏まえてみると、単純な改憲万歳は余りにも幼稚ですね。